ギャラリー・マキ最初の"ひとり"は、袴田京太朗である。袴田は"彫刻家"だ。「何かをつくるというより、そのような積極的にかたちを見い出し難い場所を無理矢理押し広げ、僅かに開いた隙間が閉じてしまわないように取りあえず何か挟んでおくようにして、動物や雲や滝のかたちを仮に与えていると言った方がいいかも知れない。」そういうふうに言う袴田は、明らかに"彫刻"を疑っている。先見的にかたちがあるのではない。かたちが空間を生むと言うのではない。にもかかわらず、空間がかたちを生むというのでもない。まして、そこにある空間を変容させると言うのではない。けして"インスタレーション"ではない。
もしもそこに先見的なものがあるとすれば、それは作品と同時に生まれるかもしれない、そこにある空間の裂け目であり、その裂け目から生まれるもうひとつの空間という、想像的な空間だ。そうして、その空間を維持するために必要なかたちを召喚することを、袴田は彫刻と呼ぶのだ。袴田は「かたちのないはずの場所にかたちをつくるということ」と自らの彫刻を定義している。こうした彫刻が、徹底的に"ひとり"の孤独な作業にならざるを得ないことは当然とも言える。彫刻のはじめを見つけるのも彼なら、彫刻のおわり/完成を見つけるのも彼でしかない。想像的な空間は、その成立と同時に、想像的な空間になりえる。だから、そこには本来ははじめがおわりであり、おわりがはじめであるひとつの瞬間しかない。彫刻とは、その一点の時間に、その制作の間に"ひとり"だけに流れる時間を縫合する行為なのだ。
*添付されている写真は、作家の過去の作品で、展示作品と異なりますのであらかじめご了承ください。
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