特集陳列: 歌舞伎衣裳

東京国立博物館

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江戸時代、庶民の娯楽として親しまれていた歌舞伎。旧暦11月に始まる興行は顔見世狂言(かおみせきょうげん)と呼ばれ 、新年から江戸三座(中村座・市村座・守田座)の舞台に登場する役者たちのお披露目でした。絵姿入りの顔見世番付が発行され、人々がこぞって歌舞伎小屋へ向かいました。歌舞伎界に一足先に訪れるお正月とも言うべき顔見世狂言にあわせて、歌舞伎衣裳を展覧いたします。

 歌舞伎は、江戸時代初期、京都の四条河原(しじょうがわら)で出雲阿国(いずものおくに)が始めた踊りが、その始まりとされます。最初は遊女や若衆(美少年)が演じる歌舞伎が流行しましたが、風紀の乱れを理由に禁止され、女性や若衆に代わって成年男性が演じる現在の歌舞伎の形式になりました。歌舞伎の人気は庶民ばかりではなく、武家階級の間でも高まり、大奥の女性たちもお忍びで出かけるようになります。ところが、正徳4年(1714)、大奥を取り締まる大年寄であった江島と、山村座の俳優生島新五郎(いくしましんごろう)との交際が発覚し、お咎めを受けた事件によって、武家の女性が歌舞伎を鑑賞することが難しくなりました。それでも、大奥の女性たちの間では歌舞伎への熱い思いがあったのでしょう。寛政2年(1790)、歌舞伎役者・初代中村仲蔵(なかむらなかぞう)の妻がお狂言師(きょうげんし)と呼ばれる女役者となって大奥に舞台を設け、お芝居を催すようになりました。

 東京国立博物館に所蔵される歌舞伎衣裳の大半は、お狂言師の一人、坂東三津江(ばんどうみつえ)が使用していたものです。三津江は、細川家十一代斉樹(なりたつ)の正室・蓮性院(れんしょういん)(1785~1861)や、徳川十一代将軍家斉(いえなり)の側室・お美代の方(おみよのかた)(専行院(せんこういん)・1872没)やその娘、末姫(すえひめ)(1817~1872)などに贔屓にされ活躍しました。今回は、坂東三津江が大奥の舞台で使用した衣裳の他、江戸時代の歌舞伎衣裳の伝統を引き継ぐ、大正から昭和にかけて使用された衣裳を展示して歌舞伎衣裳の様式を紹介いたします。肉厚で豪壮な刺繍や、人目を惹く大柄な模様、鮮やかな色彩にあふれる歌舞伎衣裳の数々をご堪能ください。

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スケジュール

2008年11月11日 ~ 2008年12月21日

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