藤村豪の新作 "火をつけて水を渡る"は、写真とテクストによって構成されるインスタレーションです。作品の中心となる写真は、シークエンスの一部を構成するようにも見えれば、それ自体独立したもののようにも見えます。曖昧な状態なまま、他の写真やテクストと組み合わされるイメージ。物語を立ち上げるようでもあり、また逆に、物語の完成一歩手前で立ち止まろうとする、つまり、かたくなに物語であることを拒否するようでもあるという不安定。
前作"being in right places"同様、家族や知人、友人、あるいは作家本人が登場するイメージと、その周囲を着かず離れず旋回し続ける物語。あるいはここで、アリストテレスによる、機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)の否定的解釈を想い起こしてもよいでしょう。物語化の直前で逡巡するかのような藤村のイメージは、イメージそのものから出来る物語を慎重に抽出しようとしてのものなのかもしれません。