「柿右衛門 - ヨーロッパを魅了した東洋の華」展

戸栗美術館

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佐賀県有田町周辺で誕生し、伊万里津から積み出されたため「伊万里焼」と呼ばれた日本の磁器は、初期には朝鮮半島の技術を使い染付や青磁を焼きましたが、1640年代以降に新たな技術が導入され、製品の幅を広げました。その一つが赤、黄、緑などの上絵の具を用いた色絵技法です。初期の色絵は、当時の中国赤絵を手本にしたもので、それらは現在、古九谷様式の祥瑞手(しょんずいで)、五彩手(ごさいで)と呼ばれています。1650年代末に大々的に始まった輸出事業によって急速に進歩した伊万里の色絵は、1680年代に柿右衛門様式を完成させました。第一室では、伊万里色絵の始まりと柿右衛門様式の源となった色絵技法、また輸出初期から盛期にかけての色絵の変化を紹介します。

純白の磁肌、薄く精巧な造り、華麗な色と文様。完成された究極の色絵は、ヨーロッパで熱烈な支持を得ました。これを頂点として、17世紀半ばから末にかけて輸出用の磁器製品が数多く生産されましたが、それらは土型を用いて作られた人形や染付食器まで、器種、技法とも幅広いものでした。第二室では、典型的な柿右衛門様式ともいえる完成度の高い色絵と、人形、染付などに見られる柿右衛門様式の広がり、併せてヨーロッパにおける当時の磁器愛好の様子を紹介します。

17世紀の末から輸出事業はやや陰りを見せ、国内では町人文化が新しい需要を生み始めていました。そうした中で有田は新たな色絵の方向を模索します。過渡期を経て、やがて伊万里色絵の主流は国内も海外向けも染付に上絵と金彩を施した金襴手(きんらんで)へと移ります。柿右衛門様式の瀟洒な意匠は変化し、「濁し手」と呼ばれた純白の磁肌は消えていきました。この濁し手が復活したのは、近現代になってからのことです。第三室では、元禄年間の柿右衛門様式の変容と金襴手への変化を、併せて十三代、十四代柿右衛門の作品によって現代の「柿右衛門」を紹介します。

[画像: 「色絵 竹虎梅樹文 輪花皿」伊万里(柿右衛門様式)江戸時代(17世紀後半)]

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2009年04月05日 ~ 2009年06月28日

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