2012年4月から始まる企画、「絵画、それを愛と呼ぶことにしよう Crazy for Painting」は、ゲストキュレーターに保坂健二朗氏(東京国立近代美術館主任研究員)をお迎えし、絵画をテーマに10人の作家による9回の展覧会で構成されます。
思い切って言おう。今、絵画を語ろうとするにあたってキーワードとなるのは、愛だ。パースペクティヴとか平面とか、イリュージョンとかモデルだとかは、今やどうだっていい。確かにそういう理念なり方法なりは、ある。でもそれが絵画の目的となってはならなかった。絵画の長い長い歴史を振り返ってみてほしい。すべては、自らの、ある人の、共同体の、あるいはみんなの、愛(情)を注ぐに足る存在を生み出すことに賭けられてきてはいなかったか。その過程において様々な技法や理念が確立されてきたけれど、でもそれは手段であった。目的と手段を混同してはならない。絵画は、その形式上、愛情を注ぎやすい存在である。普通壁に掛けられるそれは、四方から見られることを望む一般の彫刻と違って、人とface to faceで向かい合う。絵画自体が、人と関係を結ぶことを必要としているのだ。強いようで弱く、弱いようで強いそれは、画家の愛によって生まれた新たなる存在として、さらに誰かと結びつくことを切実に求めている。と同時に、絵画は、壁に掛けられるという理不尽な姿で人々の前にさしだされている点において、まるで生贄のようでもある。生贄。「美」という言葉の語源。「台(大)」の上に捧げるためのかたちのよい羊。だが、もっと俯瞰的な視点を持てば、生贄とはつまり人々の思いを集約するための存在である以上、「美」の意味はそこにも求めるべきではないのか。