コニカミノルタプラザ「船橋浦」は、江戸湾の一部で湾岸一帯を指す古くからの名前です。かつては将軍家に魚介類を納める御菜浦(おさいうら:将軍家や大名などに御菜用の鮮魚を特別に献上していた漁村)といわれ、そこの漁民たちには広大な漁場を占有することが許され漁業の盛んな地域でした。
東京湾は江戸時代から少しずつ埋め立てられていましたが、1960年代からの高度経済成長期とともに、そのスピードを大きく加速して、船橋浦も海岸から2キロメートルから3キロメートルにわたり埋め立てられ、多くの干潟が失われました。今では三番瀬と呼ばれる干潟をほんの少し残すのみとなり、船橋浦という名前もこの海の衰退とともに忘れられつつあります。
しかし、今日においてもこの工場地帯の一角に200人ほどの漁業を生業とする専業の漁民達がいます。ほんの数十年前から考えると信じられないほど狭くなり少なくなった漁場と漁師達ですが、そこでは時代を超えて「江戸前の魚」と言われるすずきやコハダをはじめ海苔、アサリなどの海の幸が捕られ、築地市場でも高級魚として取引されています。外洋漁業と違って規模こそ小さくなりましたが、日々海の男たちが江戸前の魚と時に激しく、時に静かに、戦いを繰り広げています。
こんな「船橋浦」の漁業が、その名前とそのために必要な環境がいつまでも残るように願いながら、彼らの生活にレンズを向けました。
[画像:安孫子亮 「船橋浦」(2012)]
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