原田郁 「ひとつの窓と醒める庭」

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絵画とは日常と「ここではないどこか」を繋ぐ窓である。ブルネレスキが1400年代初頭に遠近法を幾何学的に実証して以来、多くの画家が平面を使い、そこに仮想の空間、舞台に見立てて絵を描くようになった。ある意味、架空の世界と現実世界を繋いだ騙し絵ともいえる。ルネサンスやバロック期の教会の壁画では例えばあたかもその空間でキリストの生誕の瞬間が実際に起こっているかのように描かれる。もちろん近代になって平面を前提として空間から自立した絵画のジャンルが確立すると様相は変わってくる。それでも今日でも遠近法を使って描かれた多くの具象絵画では窓としての絵画はまだ生きていると言ってよい。原田はコンピューターの中に家や公園のある架空の世界を作り、立って見える風景を描き続けている。そこには木が生え、絵を飾るギャラリーさえ存在している。コンピューター画面の中に作られた景観は「リアル」なものではなく、大気の厚みがないため、色彩も現実世界にあるような光のあたり方によって生じる曖昧なグラデーションはない。ひと昔前のコンピューターの中の世界の絵に描かれた架空の世界である。それでもそこに陽は昇り、時間によって影が移動する。原田はこうしてシミュレーションで作りあげた自分の空間の中の世界を現実のキャンバスの風景画に置き換え、現実世界で絵を描いている。

では原田が現実世界に興味を持っていないかというと、そうではない。原田の手法が極度に複雑になってきたのは、その現実世界で描いた絵画をもう一度仮想空間の中に戻し、そこに建てたギャラリーの壁面にその絵がかかった展示風景を再び実際の絵画として描くようになってからだろう。その展示風景がこちらの現実の世界に戻されて現実の壁にかかってみると、原田の絵画に描かれた絵画の空間は急に壁にあけられた窓に見えてくるのである。描かれた床や壁が現実の壁や床と呼応しはじめる。その横に架空の展示ギャラリーにかけられた絵画のオリジナルの絵画が飾られると視覚効果はさらに複雑になってくる。そこにはだまし絵が発展したような空間の「歪み」が感じられる。あるいは原田の絵画には建物の窓を見上げた作品がある。絵画の中で初めから見上げているように傾いて描かれている窓を私たちは正面から眺める。現実世界と明らかに遠近法の消失点が異なるため、絵画の世界と実際の世界の間には一種の越えられない「捻じれ」が生じることになる。近代になってキャンバスやパネルが一般化して、描かれた風景をどこへでもかけ替えられることが可能なった。そうして絵画は厳密な意味での特定の場所という根を失った。現実と架空の場を行き来しながら描く原田の作品の面白さは絵画を歴史的に支えてきた「ここではないどこか」を描いた窓としての具象絵画のシステムを、軽やかに解体してゆくことにあるのだろう。原田の作品にある実際の空間に提示することを前提としてそこに歪みや捻じれを意図し、架空の窓を架空の窓らしく描き始める時、絵画はより場に根差した表現を伴う美術として力を発揮することができるようになるのではないだろうか。

[画像: 「HOME 005」 (2012) キャンバスにアクリル 1200×2100mm]

メディア

スケジュール

2013年05月02日 ~ 2013年05月19日

オープニングパーティー 2013年05月02日18:00 から 20:00 まで

アーティスト

原田郁

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