中村太一の作品は、童画のようなベールの下に、辛辣な批判精神を隠し持っています。彼の作品には、キャンバスに油彩、あるいは、紙に水彩で描く具象作品、〈over painting〉シリーズと名づけられた、雑誌の切り抜きの上にアクリル絵具や油絵具で自由にストロークを加えたミクストメディアの作品など、いくつかのタイプがあります。いずれの作品もシンボルやメタファーがもちいられ、表層の表現の背後に、作者の一貫したメッセージが深く込められています。油彩によるキャンバス作品や水彩絵具による紙作品は、抑制の効いたパステル調の画面に、しばしば単純化されたフォルムのコミカルな人物や動物が登場します。童話かおとぎ話の一場面を描いたと思うかも知れませんが、細部を注意深くみれば、描かれた風景が決して牧歌的な田園風景ではないことがわかります。黒煙をあげる煙突、打ち捨てられた無数の古タイヤ、荒れ果てた大地など、環境破壊のシンボルが描きこまれているのです。こうした「負」の光景を、作家は、天性の詩的感性と造形感覚によって、奇妙な郷愁が色濃くにじむ独特の心象風景に変換しています。中村太一の作品としてもう一つ忘れてならないのは、ミクストメディアによる作品群です。雑誌の記事や表紙、あるいは写真の上に、油絵具またはアクリル絵具によって、線や記号を無造作に描き加えたもので、コンセプチュアルな構成を強く感じさせるものです。そのうちの1点に、交尾する二頭の馬の写真(これは、社会問題を扱った広告キャンペーンで知られるイタリア企業ベネトン社のプレゼンテーション・スライドの1枚で、トリミングされた部分には「WE OFTEN FORGET; WHAT IS NATURAL IS NEVER VULGAR(私たちは忘れがちだが、自然なのは決して下品ではない)」という見出しが付けられています)の隣に、ウィルスか卵子のような有機的な球状をクローズアップした写真があります。じつはこれは、「ボタニキュラ(Botanicula)」というアドベンチャーゲームの一場面です。「ボタニキュラ」は、5体の小さな植物のキャラクターたちが、寄生されてしまった故郷の大樹の最後の種を救うために冒険を始めるというストーリーで、チェコの有名なゲームスタジオが制作し、熱帯雨林の保護を目指す活動にも協力しています。こうしたイメージの選択からも容易に推測できるように、〈over painting #2〉シリーズもまた、中村が強い関心を寄せる環境問題と密接に結びついています。写真や記事の内容を無視してその上を無造作に走るストロークは、人間による身勝手な開発が、生態系本来の循環を分断してきたことのメタファーになっているのです。このように、物語性を喚起する具象画にしても、コンセプチュアルなミクストメディア作品にしても、自然の摂理を逸脱することで進歩を続けてきた人間に対する複雑な想いは、中村の作品に一貫して指摘できます。中村太一の作品は、大切なものを見失いがちな現代人に対して、たとえそれが不都合な真実だろうとも、直視すべきことを切々と訴えかけているように思います。中村は、環境汚染や自然破壊という目前の動かしがたい現実を冷静に受け止めながら、人間と自然のかけがえのない関係に想いを馳せ、未来への希望や夢を懸命に紡ぎ出そうとしています。そうした姿勢こそが、彼の作品がもつ、観る者の心の琴線を揺さぶる確かな訴求力の理由に違いないでしょう。