「庫外正倉院文書と盤龍鏡 - 井上辰雄氏蒐集資料展」

国立歴史民俗博物館

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[画像: 盤龍鏡(後漢時代) 国立歴史民俗博物館蔵]

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井上辰雄氏は1928年(昭和3)10月生まれ。東京大学文学部卒業、同大学院満期退学の後、川村女子短期大学を経て、1960年(昭和35)4月に熊本大学法文学部に助教授として赴任(のち教授)。熊本では14年間にわたり勤務され、在任中には熊本県文化財保護専門委員などを歴任されています。1975年(昭和50)6月に筑波大学に移られ、1992年(平成4)3月に停年退官、名誉教授の称号を受けました。同年より2004年(平成17)3月まで城西国際大学教授、招聘教授として勤務。2015年(平成27)11月逝去されました。『正税帳(しょうぜいちょう)の研究』『嵯峨天皇と文人官僚』『平安初期の文人官僚』『平安儒者の家』(以上、塙書房)、『火の国』『隼人と大和政権』(以上、学生社)、『古代王権と宗教的部民』(柏書房)『茶道をめぐる歴史散歩』『在原業平』(以上、遊子館)、『慶滋保胤』(井上辰雄先生を偲ぶ会)など多数の研究書、啓蒙書を残されています。

井上氏は茶道の造詣も深く、書跡など数多く収集されておられましたが、逝去後、御遺族より古代史資料として特に貴重な2点を当館に御寄贈いただきました。1点は庫外正倉院文書(こがいしょうそういんもんじょ)です。正倉院文書は奈良の東大寺正倉院に伝来していたおよそ1300年前の古文書ですが、江戸時代末にその存在が知られ、整理が進められるようになりました。その過程でごく一部が民間に流出しました。その数は数え方にもよりますが、80点ほどが知られています(正倉院文書は全体で1万点以上)。井上氏はこの庫外正倉院文書を熊本にて入手されたとのことです。

内容は、葦浦継手(あしうらのつぎて)という経師(きょうし)(写経を仕事とする人)が、宝亀3年(772)9月に自分が書写した写経の分量を報告した手実(業務報告書)です。給料は1紙単位の出来高払いであったため、このような報告書を提出する必要がありました。写経所では他の経師の業務報告書も貼り継いで帳簿にまとめた上で、チェックして布施(給料)を支給しました。当館所蔵の別の庫外正倉院文書である「答他虫麻呂手実(とうたのむしまろしゅじつ)」も同月に提出された別の経師の業務報告書であり、もとは「葦浦継手手実(あしうらのつぎてしゅじつ)」と同じ帳簿に貼り継がれていました。この2つの文書は、1985年に当館で開催された庫外正倉院文書を集めた企画展示「正倉院文書展」で出会って以来、35年ぶりの再会ということになります。両文書がもともと連なっていた正倉院文書はまだ複製未制作であるため、他の帳簿の事例を参考として展示します。

葦浦継手はこの他にも正倉院文書に登場しています。本展示では、宝亀5年(774)3月の借金申請書を展示します。継手は月利15%で850文を借り、1か月で1020文を返済しています。もう1点の盤龍鏡(ばんりゅうきょう)は、中国の後漢時代につくられた、紋様・文字が鮮明な非常に良質の鏡です。古代史・文字の泰斗は手にした一面の鏡に、どのような視線を投げかけていたのでしょうか。資料をめぐる現代的な視点を交え、それに思いをはせてみたいと思います。

井上辰雄氏は正倉院文書のなかに含まれる正税帳(しょうぜいちょう)(諸国における地方財源である正税の年度ごとの収支決算報告書。中央に提出され、廃棄された後、写経所で再利用されたため、正倉院文書として残りました)の研究でも広く知られています(『正税帳の研究』)。そこで井上氏の研究にちなみ、諸国正税帳のなかから天平8年(736)度薩摩国正税帳を展示します。薩摩国は13郡よりなっていましたが、そのうち隼人郡が11を占めていました。蓆(むしろ)が庸(よう)として貢納されていることも、薩摩国の特徴です。

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スケジュール

2020年10月13日 ~ 2020年11月15日
開館時間 9:30〜16:30

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