公開日:2007年6月18日

BankART Life: 24時間のホスピタリティー

先日、友人と横浜トリエンナーレに足を運んだ。なんとなく事前に入ってきていた情報からもイマイチ感があり、横浜育ちとしては気が進まなかったのだが、やはりイマイチだった。

同日、BankART1929の『BankART Life 24時間のホスピタリティー~展覧会場で泊まれるか?~』にも足を伸ばした。もともと岡崎乾二郎の文章が好きであったこともあり、甲羅ホテル見ようかなあと気軽な気分で訪れてみたのではあるが、非常に快適な展覧会だった。美術作家や建築家による「住む」ことや「生活する」ためのメディアが展示されている。ICC作品が好きなんて人であればほとんど誰でも無意識に感じていることだとは思うけれど、近年、「インタラクティブな展示≒メディア・アート」という感覚は根付きつつある。つまり、観客がアクティブに「参加できる」、「操作可能な(広義の意味での)」作品は、そのほとんどが電子メディアを介在しているいうわけだ。これは、美術教育の現場で言うと、観客の「参加可能な展示物≒ハンズ・オン(しばしば近年はマインズ・オンとも呼ばれるが)」に近いステレオタイプとして定着している気がする。とはいえ、このステレオタイプは、能動的な観客と作品の間のインタラクション(この流行り言葉の使用自体やや照れがある)を肯定的に捉えている。このこと自体に対して別に私は興味はないけれども、時々思う。アトラクティブな作品がインタラクティブで、アトラクティブな事には新しさがあるのかと(怪しい日本語ですね…笑)。

展示デザインに限って言えば、展示と観客とのインタラクティブな関係への関心は既に1910年代、とりわけバウハウスに関わるデザイナーたちに散見されるものだったりするわけで。ヘルベルト・バイヤーやエル・リシツキーなどはその代表なわけです。彼らが部分的にではあれ志向していたのも、いかに観客の関心(attention)を作品に引きつけ(attract)るかだったわけです。今のメディア・アート作品もを引きつける(attract)ことに一つの関心を持っているとは言えるでしょう。

けれども、今回のBankARTに展示された作品群は、120°ずれた志向性を示しているように見える。『24時間のホスピタリティー』と銘うち、居住スペースそのものを展示したこともあって、癒される、癒される。大抵、展示を長々見ると脚が棒になるものだが、半ば体調を回復してしまった。要は、そこで出品された作品は私たちに、作品とともに寝ることを要求していたからである。昭和20年代であれば悪趣味なバラックに過ぎない『昭和40年会』の作品も、椅子を着るmtrismの作品も、室内に噴水広場という擬似パブリックスペースを作り混んだ開発好明の作品も、「寛げ」という命令を包含している。ある一定の注意(attraction)を呼び込むことを美術鑑賞というのであれば、印象派からメディアアート(so called)には一定の連続性(無論、連続性は不連続性の裏にしか存在しないのは認めています。)があるだろうけれども、これらの作品(居住空間?)はむしろ注意の停止(distraction)を副次的に要求してしまっている。注意を向けようとすればするほど、その注意の停止へと向ってしまうから。けれども、一方で展示を体験した後に私たちが感じるのは、間違いなく個々の作品との一体感だったりするわけで。こりゃー、立派なインタラクティブ展示なわけです。

私自身は、美術批評の文脈というよりはメディア論の文脈で、展示と来館者との関係を見ているので、リーグルからフリードなどを引いて美術鑑賞の議論をするような才は皆無なのですが、この文脈での美術鑑賞を含め、来場者と作品(メディア)との関係性を考えたとき、一つのヒントにはなる展覧会なんでしょうね。直前にみた、横トリのバラバラ感が強かっただけに、キュレーションがしっかりしていれば、これだけ楽しめるのだよねと納得の展覧会でした。横浜でマンガ喫茶を探すなら、BankARTの噴水広場へ!会期は12月18日まで。

Toshiro Mitsuoka

Toshiro Mitsuoka

Educator, Graduate student of Museum Studies, Tokyo University. 1978年生まれ。メディア論、博物館研究。ミュージアムを多様な意味が生成するコミュニケーション空間として分析するかたわら、2000年からSetenv(セットエンヴ)に参加。展覧会、シンポジウム等の企画を行う。