出品作は、1879年に生まれ1940年に没したクレーの、20代から晩年に至るまでの幅広い時期に及ぶ。私が見落としているだけかもしれないけれど、特にこれといったコンテクストの下に組み立てられているという印象はない。(ちなみに、副題は「線と色彩」である。この副題が何かを積極的に意味しているとも思えない)
けれど、そういう弱いメッセージとともに並べられたクレーの作品は、逆説的にも強い志向性を帯びている。デパート美術館らしい低い天井や布張りの壁面を持つ薄暗い展示室内で、それらはきわめてアンティームな(親密な)ものとなり、絵画のマチエールに対する驚くべきこだわりも、クレーの内向性の象徴であるかのようだ。クレーの孤独な一人遊び、とでも言おうか。しかし、一人遊び的な要素は、あくまでクレーのひとつの側面でしかない。彼の心の片隅にはいつも、表現の普遍性を求めてやまない気持ちがあったはずだし、「線と色彩」はそのためのいわば共通言語なのである。
クレーの作品が時に醸し出す、過剰なまでの、しかし決して拒むことのできない親密さは、現代美術に通じる問題を提起していると思う。というのも、表現の親密さは、現代の(特に日本の)少なくない数の作家にとってのライトモチーフとなっていると見受けられるからである。そして、彼ら/彼女らの作品に親密さを与えているのは、主題でも技法でもなく、念入りに調整されたマチエールの力であることが多い。それが絵であろうが彫刻であろうが、作品に与えられた精妙な質感は、何かそれが非常に「かけがえのないもの」であるかのような印象を与える。と同時に、その「かけがえのなさ」が作品の「担保」として機能しているような気がして苦々しく感じる時もある。クレーはなぜこれほどまで作品のマチエールに固執したのだろうか。その意味を今、改めて考えることは、決して無駄ではあるまい。


いま、ここにいる。
2006-07-09
パウル・クレー展@川村記念美術館
5月にもニューヨークのノイエ・ギャラリーでPaul Klee展を見てきたばかりだ