レプリカ -真似るは学ぶ- 展

博物館で感心して見入っていた古代の珍しくて美しい物の脇に「レプリカ」というキャプションが添えられているのに気づき、がっかりしたという経験があるのは私だけではあるまい。この「がっかり」は突き詰めて考えてみると不可解な感情ではあるとはいえ、あまり有難いとはいえない「レプリカ(複製)」の存在と意義について、じっくりと考えさせられる興味深い展覧会が、京橋のINAXギャラリーで開かれている。

poster for Replicas: Reproduction is Realization

レプリカ -真似るは学ぶ- 展

にある
INAX ギャラリー1 & 2にて
このイベントは終了しました。

2人がこれを見たいと思っています。

小さな展示会場には、古代メソポタミアの壷、乾漆仏像(粘土の芯の上に漆を塗り固めてから、芯をくり貫いて作る仏像)、土偶、鳥獣戯画などの精巧なレプリカが並んでいる。レプリカと一口に言っても制作方法は様々であり、職人芸の域にまで高められたその工程を、写真パネルやビデオを通じてわかりやすく見せるのが展覧会の趣旨である。レプリカの条件として本質的と考えられる二つの要素がある。一つは、当然ではあるが、実物と似た外観を有していること。もう一つは、実物と何らかの形で物理的な接触を持っていることである。複製する対象によって両者の比重が変わってくる。例えば古代メソポタミアの壷のレプリカなどは、実物から型を取って作成されるので、ある面では、その直接性がレプリカとしての価値を保証しているとも言える。一方で、型取りのできない壊れやすい仏像などは、箱状に仏像を覆う特殊な計測器具で細かいデータをとりながら、物理的な接触なしに、外観を可能な限り実物に近づけることが目指される。

ほとんどのレプリカはこの二つの要素を多少なりとも含んでいるが、実は両者は互いに関連がない。つまり、似ているからといって物理的接触があるわけではないし、それがあるからといって似ているわけではない。前述のメソポタミアの壷にしても、型取りされた樹脂自体は実物と似てはいない。その反対に物理的接触が全くなくても、原理的には実物と完全に、すなわち顔料の分子の配置に至るまで、そっくりそのままの外観を持ったレプリカを作ることも可能だろう。

するとレプリカの本物らしさとは一体何だろうか、ということになる。彩色された壷のレプリカが実物と並べて展示されているのだが、私の眼には二つはほとんど同じ物に見えた。それはシュールな光景でもある。ずらりと並んだレプリカにがっかりさせられない、初めての体験であった。

Yoshiaki Kai

Yoshiaki Kai. Would-be art critic. 1981年、東京生まれ。 ≫ 他の記事

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