政治的な建築: 黒川紀章とのインタビュー

新TABlogのリリースを記念して日本を代表する建築家、黒川紀章氏とのインタビューをもとにした特集記事とビデオフィーチャーをお届けいたします。

In インタビュー by Ashley Rawlings 2007-06-29

1960、70年代の建設理論メタボリズムの構築で知られている氏は、この数ヶ月であらゆる面で特に脚光を浴びています。 一月には設計・建設に二十年以上もをかけた国立新美術館が完成し、公開記念に氏の作品を振り返る企画展覧会が開催されました。また三月には東京都知事選挙に出馬し、四月には氏の象徴的作品の中銀カプスルタワービルが破壊の危機を迎えました。

ご自分でオーガナイズされた国立新美術館での回顧展は、ご自身のキャリアを見つめ直す上で、何かしらの影響を与えたと思われますか?

このあいだの僕の展覧会は自分の人生で最大の展示会でした。2000平方メートル。これは世界中どこへいってもなかなかないですね。前に僕はロンドンのロイヤル・インスティチュート、ブリティッシュ・アーキテクトでもやった。これが1000平方メートル。それからシカゴ・アート・インスティチュート。これが290平方メートル。パリにできたジャパンセンター。これが約450平方メートル。それに比べると2000平方メートル。本当に大きなスペースですね。建築って言うのは大きな模型もありますから。建築はそもそも大きいですから。できるだけ大きい写真で見たほうがよく感じが体験できる。今まで、トラベリングエキシビジョンというのを世界中でやりましたけれど、今回は全くその中で一番自分としてはいい展示会ができたと。それから一般の人ね。建築家だけじゃなくて一般の人にも分かるように。そういう展覧会がオーガナイズできたと自分では思いました。

国立新美術館の2階

1980年代に依頼があってからこの度の完成まで、黒川さんの建築はどのように変化しましたか?

まったく、ディテールも素材もプロポーションもファンクションもまったくそのままで完成しました。それはちょっと自分でもびっくりしました。プロポーザルって言うのはディテールがないですから、だからたぶん実際の実施設計をしてクライアントと打ち合わせをしている間にたぶんこうマイナーチェンジでも、大きなチェンジもあるかもしれないですけど、そういうのがあると思っていました。しかし、5つも委員会があったんですよ。ハンドリングの委員会とかね。それからどういうカフェを選ぶかという委員会とか、それからもちろん展示スペースをどのくらいフレキシブルにするかとかね。いろんな委員会があってそこへでて、いろんな人が、もちろん同じ意見ではないですね。違う意見も多いです。でも時間をかけてやはり今回10年もかけてね、コンペから入れると20年、フラクタルということをメタボリズム以降ずっと言ってきたわけですから、しかしそれが形になって完成するまでにやっぱりそれだけのタイムラグがありますから、僕は非常に今度の建築を自分自身のテスト、20年前に考えたことが今建築家が見て、一般の人が見て、フレッシュかどうか、それが僕にとって少し怖かった。でも自信はありましたけど。

構造方式は、この20年で変わってきていますか?

この建物のコンストラクションメソッドっていうのはそれほど難しくない。なぜかといいますと、非常に構造が、僕自身が構造計算しているんですけど、4つのコアがあって、柱がなくって、そしてそこにスーパースラッブが3.5mをボンと載せて、ですから4つの柱のない展示スペースがあってそれを上に積むと、それで一番手前がですね。コーヒーショップが欲しいしレストランが欲しい。コーヒーショップは2階に欲しいし、レストランは3階に欲しい。1階はできるだけ多くの面積をとって、導線のためにね。そういう条件が全てうまく要求に合いましたね。それと、構造もこれコンクリートの打ちっぱなしをずいぶん使っていますけど、プリキャストというコンクリートを工場で作ってもってくるでしょ、そうするとクオリティコントロールがしやすいですね。現場でコンクリートを流して作ると、たたいたり、型枠をあてたりととても大変です。これは安藤忠雄の住宅を見ててね、綺麗なコンクリートを作ったなと思うけど、それは難しいですね。今度の場合、僕は裏側の外壁もインテリアコーンも、プリキャストコンクリートですね。ですから非常に高密度のもので、工事もしやすい。ですから建設会社にとってはもちろん標準的な建物と比べると難しいですけれども、うまくできていますね。


あとあの、床に木を貼るっているのはなかなか国が許してくれませんでしたね。たぶん木が伸縮して、平らを保つのが難しいからではないかと、でも僕の計算でいくと、この木はアイアンウッドっていって、比重が水より重くて、沈む堅い木ですから、だからこう動かない、伸びない。温度が違ってもね。それからテラスで使っても雨が当たっても200年腐らない。だからそういう材料を選びましたから、建設のときにも、あんまり苦労しなかった。ファサードはだいぶ苦労していましたけど、ただこのフラクタルって言うのは僕はマンデブロに感謝しないといけないですね。マンデブロがエフェックス関数で、つまりどのような曲面の1点をとっても、3次元の座標軸上で、表現できる数式を発見した。それはフラクタルの幾何学形状ですからね。ですからそれをコンピュータに入れてあげると、工事をするときにそのポジショニングが楽ですね。一見複雑に見えてそれはちゃんと幾何学形状。そういうことを工夫することによって、予算が一番少ない文科省との仕事でもいい作品ができた。それはちょっと僕の経験とクリエイティブ。自慢していいところでしょうね。

今年の東京都知事選への出馬について、少しお話をお伺いできますか?

そうですね。政治家に興味を持ったことは今までなかった。ただあの、一種の運命というのですか、たとえばカザフスタンの新首都計画をしたときには、首都を移転するということが、すでに政治的課題ですね。全体のガバメントもネイションもプレジデント、スクート、アンチプレディレンシャルスクートに分けられるから非常に政治的で、難しい。それからマレーシアでもそうでしょ。首都機能の移転で僕が空港を設計して。でもやっぱりマレーシアでも (ねあの←cut)、アンチ・マハティールってのがあったから。僕がマハティールさんとコミュニケーションがあればあるほど、アンチ・マハティールの人たちから、責められた。

タンザニア新首都移転を設計したときにもそのお金を日本が出すのか中国が出すのか、当時と隣の国はザンビア。タンザニア・ザンビア、タンザン鉄道っていうのを中国が無償でやっていました。軍人がきて。だから僕の首都計画を見て、中国が全部やりますと。それで日本の政府はお金が出せなくなって。それで僕の首都計画は途中から少し変になりましてね。

 やっぱり中国人の都市計画が入ってきて。そういうように今まで50年の間に僕がやってきている仕事はすでに政治的ですね。ですからあまり東京にいても、僕自身政治性から逃げられないですね。僕ははっきり、これからの東京はこうあったほうがいいと、日本はこの点が間違っているということを、たくさん本に書いたり、18年間NHKのニュースキャスター、それから140冊の本を書いている。そういうクリティックの立場からいうと、そんなにクリティックだけしていてもね。世の中変わらない。僕は73になったので、やはり自分の体をささげる。東京日本のためにささげようと。ですからボランティアですね。僕以外の人はみんな組織された政党だからプロフェッショナル、集票マシンがある。僕は共生新党をつくりましたけど、これはノンポリティカルパーティーだから今度は勝てると思います。

東京の建築事情において、改善されるであろうキーエリアを3つ提案していただけますか?

東京はみなあまりよく知らないんですけども、東京湾が深く入り込んでいる。銀座まで海です。それが都市計画構造に本当にきちんと入ってないので、あの部分がですね、運河があって海があって、で僕もそこにクルーザーを持っていますけども、そこには非常に江戸からの伝統的な町があって、築地があって、だから他の場所と同じように開発しちゃだめだと思いますね。そこはむしろ運河を守って、低い建物にして、伝統的な日本人のライフスタイルを守り、旅行者も楽しめるように。

もうひとつは六本木の部分は新しいカルチュラルセンターだと思いますよ。それは国立新美術館ができ、そして森アートセンターが六本木ヒルズにあって、24時間営業しているライブラリーがあって、そして今度はサントリー美術館ができて、だからこのエリアって言うのは、もう一つのカルチュラルセンター。文化の森っていうと今までは上野、前川國男のコンサートホールとか、コルビュジェがやった国立西洋美術館とか、それから芸大とかね、そういうものがあって森があって動物園があってみんなそこを上野の森と言っていたんですね。今度それと別に都心、ハイライフと言ったらいいんですかね、もっと国際的なレベルで、もっとハイレベルなクリエイティブな。たぶん日本の、クールジャパンを見るには一番良いエリアが六本木。赤坂からちょっと行くと銀座があって、そういうエリアで青山があってね、新しくできてくるんじゃないですか。

三番目にそうですね。東京の中で人が住むところが、西へ西へと、多摩ニュータウンとか立川とかね、それから調布、それから練馬とかね、西の方に広がってそこに大勢の人が住んでいる。でも江戸時代にはそんなところは全部山だった。江戸城があってそれで人口が増えたときに、江戸幕府は何をしたかって言うと、隅田川の向こう側に新しい下町をつくった。だから先ほどもいったように伝統的な浅草の雷門とか浅草寺とか、職人がいっぱい残っているんですよ。だからそれが必要なんですけども、もうひとつこれから大きく変わるなと思うのは、渋谷なんですよ。渋谷はこれまで東急のプラネタリウムや映画館があったんですよ。そして今だと109とか、パルコとか、西武とかね。あの辺には一時シリコンバレーのようにベンチャー企業がいっぱい集まってね。それから人口が西の方にずっと広がったのですから、若者たちがまず出てくるのが実は銀座じゃなくて渋谷なんですね。だから東京に住んでいる人の一種のゲートウェイが渋谷なんですね。今度はその部分の再開発が東急、それからJR東日本によって始まります。ですから渋谷がもうひとつの、ここはちょっとハイテクで、ニュービジネスセンターのような感じでしょうか。そういう感じに変わっていくんでしょうね。ショッピング、ビジネス、住居と。

2016年のオリンピックに、東京が選ばれた場合、街に悪影響を及ぼすとおっしゃっていますが、それはなぜですか?

そう思いますね。悪影響があって、それは東京だけでなく世界にも悪い影響を与えると思います。僕は北京のオリンピックのアドバイザー、ロンドンのオリンピックのアドバイザーです。北京のあとにロンドンに行くのは決まっていますけどね。そのあとみんな世界の人たちが次はどこかっていうと、アジア、ヨーロッパその次ですから、またヨーロッパじゃないし、またアジアじゃなくって、ドバイとかあるいは米国のシカゴですね。その方が世界全体のオリンピックのイベントとしていい結果になるでしょう。みんなそう思っているんですから、それを無理やり東京に持ってこようとしても、無理です。投票で票が集まらない。

中銀キャプセルビルの建設(1970-72)

オリンピックがどの都市で開催されるにしても、常につきまとう論点の一部として、選ばれた都市の特定の地域は、この祭典のために大規模に再開発されるべき、あるいは「再生」されるべきという点が挙げられます。オリンピックが東京にくるか否かに関わらず、日本は都市計画のアイディアとしてスクラップ・アンド・ビルドの傾向があります。ご自身が設計された中銀カプセルタワーの取り壊しが予定されている事実を、どう感じられていますか?

中銀カプセルタワーって言うのがメタボリズムのムーブメントの中から生まれた作品で。僕にとっては大変若いころの、1972年に完成していますから、だから35年前ですよね。で僕がセオリーとして、できたときにちゃんと発表しているんですけども、25年ごとにカプセルを交換していけば200年まで、リサイクルですね、それで持続可能な建築っていう、そういう考え方の中で、世界で始めて建てたものですから、だから大勢の人たちが保存運動をやっていますね。日本建築学界、日本建築家協会、日本建築士連合会、それからDOCOMO ジャパンワールドアーキテクチャーニュース、インターネット新聞ですね、ロンドンの。そこでは数万人の署名、これは保存しなさいというリストがでていますね。カプセルの交換というのは一つの塔をやるのにたった3.8ヶ月、およそ4ヶ月で全部できてしまいます。で次にもう一個やるのに4ヶ月でできちゃうから、そうすれば全く新しいカプセルになってまた100年住める。だからそれは当たり前のことだとおもうんですが、残念ながら今、カプセルは140人の人が持っている。ばらばらにね。その人たちのほとんどの人が遺産相続で持っている。おじいちゃんが持っていて、おじいちゃんが大好きだったけれども、遺産相続でもらったと。でもあまり関心がないということ。そのためになかなか保存という声が大きくならない。

だからもうひとつはアメリカのへッジファンドが中銀カプセルカンパニーを買いました。中銀は倒産して、そのあとアメリカのへッジファンドが出てきて中銀を買いましたから、中銀のあの建物全体は今、へッジファンドが持っている。そのヘッジファンドが考えていることは早く壊して何でもいいから大きいのを建てて、それで利回りみたいなマネーゲームをやりたいということですから、あんまり建築の議論ではなくて、黒川紀章対ヘッジファンドというファイティングになっている。日本の窓口は虎ノ門ファイナンス、でその後ろにいるのは有名な2つのヘッジファンドで、それでお金儲けしか考えてない。僕は、それならちょうど良いと。そのヘッジファンド中銀を買ったんですから、それをまた僕が買うと。もっとお金積んでね。そうするとヘッジファンドはもっと儲かればオッケーと。この建物は儲かった、黒川さんにあげるといってアメリカに帰ると、僕がオーナーですからすぐとりかえられちゃう。それは近々そうなるでしょう。

一度建物が完成した場合、それは以前としてご自分の所有物だと思われますか?それとも、完成後に起こりうることは運命として受け止められますか?

それはあの25年ごとに交換するように設計してあるわけですから、25年たってそのままにしているというのは、これはとんでもないことですね。それはとんでもない間違いです。たとえば人口衛星でね、それを一回行って戻って来たと。一回毎にきちんと部品かえてメンテナンスしなきゃ二回目うっちゃいけないのにね、あるヘッジファンドが投資して、大丈夫、大丈夫、部品換えずにもう一回うっちゃえ、といったらこれは大事故でしょう。車でもそうでしょう、ホンダの車は優秀、トヨタの車は優秀ポルシェもベンツも優秀、でも常に部品を交換して丁寧に修理していくわけですよ。それしないでやったら事故。車もね、なんでもそうです。メンテナンスするように設計してあるんだから。それをみんなわかっているけれども、140人別々にばらばらに持っていて、そういうの面倒くさいってね。

2007年の中銀キャプセルビル

ご自分の人生の中で、脱構築と再構築についての考え方が今後変わると思われますか?

今でも信じているのは、一番安い方法はね、カプセルの交換です。もし全体壊そうとすると、真ん中のタワーはコンクリートじゃない。スチールフレームレインフォースドコンクリートですよ。だから壊すのにものすごくお金がかかる。そして地下が25Mで深い。それだからあれ全体を壊すとものすごくお金がかかってしまって、僕の計算では一戸あたり2700万円くらいかかる。壊すと。また同じのもらったとしても。ただ僕のやり方だと、780万円の負担でカプセル交換すればひとつ2000万で売れるわけです。実際、2000万円で買いに来ていましたから。

有名無名の建築家によるかは問わず、東京には他に保存すべき建築があると思いますか?

僕は2・26事件のアーミーキャンパスをあえて保存しました。それは新国立美術館のところに建ってた。これは革命をおこそうとした200人の若い兵隊があそこから天皇のところ行って、それで当時の司令官を射殺して、それでその後天皇陛下からやめなさいといわれて、全員が腹切ったんですね。だからとても勇気のある人たち、なぜそんなデモンストレーションをやったかというと、アンチ東条ですから、アンチウォー、そういう若い兵隊の200人の命が失われて、それでも戦争は続けたんだけれども、やっぱりそれは平和メッセージだったから僕はそれをあそこに残した。エントランスにね。お金がかかっている。だから常に自分できることなら残しますね。でも自分だけの力でできないことも勿論あります。まあでも、、、。

下北沢にて予定されている再開発について、どう思われますか?

僕は東京は300の小さい街の集合と定義してる。だから下北沢って僕が学生のときに住んでいた町です。すごくいいコミュニティがある。商店街がある。銀座とは全然違う、池袋とも違う。渋谷とも違う。田園調布とも違う。だから下北沢に住んでいる人たちが自分たちのすきな町を作れば良いと思う。あそこに僕の友人の本多君って言うのがね、本多劇場って言うのを作った。若い女優や男優を育てていますよ。彼は映画会社の東映の俳優だった。で僕は東京大学の大学院生。下北沢にいて、すごい安いバーだったんですね、彼がオーナーで。角ビンのニッカしかおいてない、国産のニッカってお酒ですけど。それをショットバーみたいに学生のときにね、安いからね、飲みに行って。その彼が何年かしたら地域の商店街と話し合って劇場を一つつくり、二つつくり、三つつくり、自分の劇団を持ってね。そこで僕は日本文化デザイン会議っていうボランティアの会議で、文化デザイン賞を出した。久しぶりに会ってね、うれしかった。

黒川先生、インタビューのための時間をいただき、ありがとうございます。



国立新美術館の建設について語る黒川紀章氏とのビデオインタビューを見るには、こちら
中銀キャプセルビルについて語る黒川紀章氏とのビデオインタビューを見るには、こちら

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