公開日:2009年6月24日

窪田美樹 個展「かげとりと、はれもの」

入れ子状の虚と実 — 新作への展開

窪田美樹さんの個展が、青山のhpgrp GALLERY東京で開催中だ。今回の展覧会タイトルが、「かげとりと、はれもの」とある通り、新作の「はれもの」シリーズを見る事ができる展覧会となっている。彼女の作品といえば、家具を用いた彫刻作品である「かげとり」のシリーズを連想される方も多いと思うので、「はれもの」シリーズは紙を素材にしているということに驚かされるだろう。まずは彼女の作品を知らない方のために「かげとり」の作品から見ていきたい。

◆「かげとり」の虚と実
《かげとり—そでの下》「かげとり」は木製の家具の表面の「かげ」を「とり」さることで、皮を剥がされた物体が立ち上がってくるという作品だ。もう少し分かりやすく説明すると、解体され再構成された家具の隙間を埋め、そして研磨することで表面の「かげ」が取り払われる試みと言えるだろうか。家具だった実像に虚像がはめ込まれる過程には何層にも実と虚が往来している。見ている者の感覚も、実像と虚像の間を行き来するので面白いが、まずは戸惑いを覚える。作品を遠くから一見すると、まるで絵画のように平面的に見える作品だが、近づくにつれ人体が連想されるようなボリュームと対峙することになる。そして作品の目の前に立つと、模様のように見える木目や家具の痕跡が線になって現れていることに気付く。さらには磨き上げられた表面に意図的に開けられた穴や、とってつけられたような装飾を見つけて、思考がばらばらになっていく。「かげとり」は家具のもつ機能が変換されていくおもしろさがある一方で、身体が感じられる木肌や形体にも惹き付けられる作品だ。

◆ 制作過程を見て
彼女は半年ほど前に、私の前職の施設(トーキョーワンダーサイト)にて滞在制作をしていたので、(TWS青山:OPEN HOUSE 2008-05 | ユミソンによるフォトレポート)幸運なことに私は約二ヶ月、作品制作の過程をほぼ毎日見ることができた。家具を解体するところから本当に始まるのね、とのんびりしていた私だが、解体された家具が再構成される際に、幾通りもの組み合わせを試行して進めていくことに既に驚かされた。一つの塊に繋がった家具は、表面の「かげ」にパテを塗られ、研磨されていく。パテで「とり」さった「かげ」を、さらに磨きあげることで、あの抽象絵画のような表面が出来上がるのだ。本人の許可を得て、作品に触れる機会もあったが、うっとりするくらいツルツルだった。表面の細かい研磨の跡にまで愛着がわいた頃、作品は出来上がり、スタジオから展示室へと作品は移動されていった。彼女の制作を見て興味深かったのは、「かげとり」はシリーズなので作業工程が決まっているにも関わらず、常に選択を繰り返し制作が進んでいくという葛藤の部分だ。そしてもう一つは「埋める」という動詞の発想から作品制作が展開していくというところだ。「埋める」、「削る」というシンプルな行程が彼女の作品の根本にあって、それは「はれもの」を見るときの助けにもなる。

少し横道にそれるが「動詞形の作品」というとき、多くはドローイングのような生成途中で常に変化していく発想に結びつくことが多い。この場合の動詞形のドローイングとはアーティストの頭の中にあって、まだ形になっていない途中の段階や発想の根本を垣間見ることができるものを指す。本展でもドローイング作品を見ることができるので見逃さないで欲しい。彼女のドローイングは練習か準備運動のようなもので、ほぼ彫刻作品と同義だ。人体のイメージがあるという発想に触れることはできるけれど、彫刻作品が常に変化し生成する過程を持ったドローイングの要素を併せもつ作品なのだと納得できるのではないだろうか。

◆ 新作「はれもの」の展開
《はれもの—防波堤》さてギャラリーに入ってまず目に飛び込んでくる「はれもの」だ。プラスチックか陶器のような堅いもので出来た、腫れぼったい家具に見えるのだが、近づいてみると実際の素材は紙だとすぐに気付く。裏表違う模様が印刷されたA4サイズの紙がくしゃくしゃに丸められ、積み上げられ、こんもりと膨らんだ椅子ができあがっている。紙の片面には木という堅い素材が、片面は絨毯のような布地が一枚の紙に印刷されている。木と布地は実際にはこのように自在には扱えない素材である。それが同時に握りつぶされ、混ざり合って、そして裏と表が同時に存在するのだ。とても簡単に裏が表になり、素材が溶け合い、素材と素材ではないものが同時に存在する。「はれもの」にも「埋める」があり「潰す」があり、そして虚像となった素材が潰されて紙という実像になり、虚像としての椅子ができあがっていく。今後どのような素材を紙に引き戻してしまうのだろうか、展開が早くも楽しみなシリーズであるし、本人も楽しんでつくっているのだろうということが伝わってくる。ぼってりした形体と粗い質感が、「かげとり」の滑らかな作品と同時に存在するコントラストが印象的だった。

◆ 窪田美樹さんへのメールインタビュー

▼どういう意図で「はれもの」と名付けているのですか?
内側から腫れ上がってくるという、この作品が出来る行程をそのまま言い表したものです。

▼「はれもの」のアイディアが生まれるきっかけはなんですか?なにか面白い紙を見つけたとかそういうエピソードがあるのですか?

かげとりの延長です。かげとりでは、本当にあるものに落ちている影を削って取り去り、まるで絵の様なイメージを表出させるというこのシリーズに対して、「はれもの」では逆に、握りつぶす事でイメージに影を与え物質化しています。いずれも「ある」という世界と「あるように見える」という世界を行き来しながら制作されたものです。
もう一つ、紙くずを捨てるとき、ぐしゃっと潰してからゴミ箱に入れますよね。繊細と言うよりは荒っぽい行為です。もともと「乱暴な方法」で彫刻を作りたいという傾向があって、なぜだろうと考えてみると、乱暴な行為って欲求に忠実だし、その分合理的で洗練されているような気がするんです。出来たものを乱暴に見せたいのではありません。あくまで過程の行為にこうしたことを選びがちです。

▼上の質問と似ていますが、実生活の経験が制作に影響することはありますか?例えば、面白い素材を見つけてというような直接的なことから、人間関係が微妙に影響しているという抽象的なことでも良いです。あれば具体的なエピソードを教えて下さい。

実生活の経験の影響は大いにあると思います。でもそれは、いろいろな経験が複雑に絡み合って少しずつ効果していると思うんです。ですから、説明するのは難しい。時々考えるのですが、自分がした事の原因を、嘘や憶測なく明確に説明する事って不可能な気がするんです。可能だとしても「お腹がすいたから食べた」くらいではないでしょうか。嘘も憶測も否定はしませんが、水田さんには正直でいたいのでここではやめておきます。

▼どのようなポイントに重点をおいて、家具を選んでいるのですか?人間っぽさ?埋めやすさ?それとも感覚?

どうでしょう、一つ言えるのは、人間っぽさで選ぶ事はまずないです。家具である事自体が、すでに人体と密接に関わっているものだと思うので、特に人っぽく見える家具を選ぶと言う事はありません。おそらく削りやすさでしょうか。あとは、あまり同じ時代性が反映されているものばかり使う事で、限定的なイメージを与えたくないという気持ちはあります。少しずれますが、「はれもの」は家具以外でも展開出来るかなと思っているんです。いろいろやってみます。

▼彫刻制作をしていて嫌なこと、辞めようと思ったことはありますか?

えっ、そんなに辛そうに見えますか(笑)?大丈夫です。
多分皆さんそうだと思うのですが、嫌な事というのはパワーになります。逆に辞めるという決断は、全てが明快になって頭もスッキリして、とても心穏やかな状態ではないでしょうか。私の周辺にはまだ未知なことや不可解なことが山積しています。一問一答コーナー、この質問が最後って変わってますね。

快くインタビューを引き受けてくださった窪田さん、ありがとうございます。まだ窪田さんの作品を知らない人がギャラリーに足を運ぶきっかけになったら嬉しいです。窪田さんの作品は、写真だけではやっぱりわからないですから!

Sayako Mizuta

Sayako Mizuta

1981年東京は大森生まれ、今も在住。武蔵野美術大学大学院を難波田史男とドローイングについての研究で修了。若手アーティスト支援の仕事を経てインディペンデント・キュレーター。ART遊覧(http://www.art-yuran.jp/)でもレビューを掲載。展覧会企画として、あいちトリエンナーレ入選企画「皮膚と地図」(http://skinandmap.blogspot.com/)、共同企画「柔らかな器」(http://yawarakanautsuwa.blogspot.com/)がある。のんびりした猫と同居。 e-mail: mizuta[at]gmail.com