公開日:2009年7月16日

「ウィンター・ガーデン 日本現代美術におけるマイクロポップ的想像力の展開」展

ゲストキュレーター、松井みどり氏の講演会レポート

原美術館で開催中の「ウィンター・ガーデン 日本現代美術におけるマイクロポップ的想像力の展開」展。ゲストキュレーターの松井みどり氏が講演会を行いました。この記事では、展覧会ではなく、講演会の様子をお伝えします。

国際交流基金では、日本の芸術を紹介するために作品を所蔵し、海外に巡回する国際交流基金巡回展という催しを行っています。今回は、その先行展として原美術館で展覧会が企画されました。海外を巡回しやすい作品で、国際交流基金が所蔵する作品という制約があるので、インスタレーション性が強いものより、ドローイングや映像がメインになった展覧会です。(原美術館での展示に際して、独自にセレクションした作品もあります。)

展覧会タイトルの「マイクロポップ」とは、松井みどり氏による造語で、2007年に水戸芸術館で開催された「夏への扉-マイクロポップの時代」という展覧会からその単語は使われ始めました。今回の講演会では、マイクロポップという単語の芸術表現の定義の説明から始まり、今回の展覧会のメイン・タイトル、ウィンター・ガーデンの意味などをお話されました。

展覧会は、60年代後半以降生まれ(いわゆる若手作家)の14組のアーティストから成るグループショーで、ドローイング・絵画・映像など約60点を展示しています。<マイクロポップ>で<ウィンター・ガーデン>な14組のアーティストが集められたわけですが、マイクロポップとかウィンター・ガーデンってなんなの?と思う人も多いと思います。

講演会当日には、松井みどり氏がまとめたA4サイズのレジュメが配られ、そこに上手くまとまっているのでそのまま転載しちゃいたいところですが、公聴できなかった方々のために稚拙ながらも私がまとめ直してみようと思います。

まずマイクロポップ世代(60年後半以降生まれ)とは、物質的な成功から距離を置く考えの人たち。そして超個人的な出来事や思い出を記憶のまま出すんじゃなくて、自分視点を上乗せして作品にしたり、他の人や一般的にはゴミだったり、どーでもいいようなことだったり、ダサかったりすることにも自分視点を上乗せして作品にしたり、そのこと自体をみんなにどうなのって投げかけてみたりする手法をアートとして使っている人たちのことを指しているみたいです。で、マイクロポップとはそんなこんなな芸術表現のことらしいです。

<イデオロギーや社会常識から離れて、個人が…(中略)…新たな視点や感性や行動の方法を構成する。>なんて、60年後半以前のアーティストたちもワンサカやっているし、チープな素材を使って<一見特別な技術を必要としない方法を好>んだり、日常のコンテクストを書き換える行為も、多くのアーティストがやっていすぎるような気がするので、こうやって書いてみると、こういう定義の仕方では曖昧すぎて最大公約数が拾えないじゃん!と思いました。が、広すぎるくらいが作家をピックアップするのにも多方面から選びやすいのかな…とも思いました。

しかし。これじゃあなんでこの展覧会が成立するのかわからん!でも展覧会は成立している!ということになってしまうので、もう少し考えを(勝手に)推し進めると、単語の持つ力を別の方向から考えてみた方が妥当なんじゃないかと気がつきました。マイクロポップというと、J-POPとかポップアートといった似たような単語を連想しますが、ここでのポップは松井みどり氏も言っているように、大文字ではなく小文字の<pop>、ドゥルーズの言っている独自の言い換えによるところの<pop>です。

おいおい。突然ドゥルーズって誰!?と叫んだり、哲学者の名前出せばいいと思ってるんだろ?と反応した人たちもいるかも知れません。落ち着いてください。でも引用は避けられません。ドゥルーズは近代の哲学史に影響を与えたフランスの哲学者です。詳しくはWikipediaでドゥルーズでもミテミテくださいね。←とここで言う<Wikipediaでもミテミテ>というのがこのレポートからWikipediaの「ドゥルーズ」にリンクされていて、理解の深さを作っていくわけで、<小文字の<pop>>という単語もドゥルーズの著書『カフカ:マイナー文学のために』に(物理的にではなく、頭の中で)リンクが張られていて、マイクロポップの理解の深さを作っているのです。

ぶっちゃっけドゥルーズを読んでいないと、その引用が妥当なのかも、意味の深さもワカラナイ。ということになってしまうのですが、まぁコンセプトとか論文はそういうものです。どんな素晴らしい論を見つけて自分の論にスムーズに結び付けられるか、自分の論がどんなに引用される(ほど面白い)のかが重要なときもあります。そうすることで一つの単語や一つの文章に広がりや深みがつき、論として強度を増していくのです。

<マイクロポップ>は、微細で超個人な事を謳っているだけでなく、ドゥルーズの思想も垣間見せ、なんだか知らないけどリオタールの大きな物語の終焉とかなんとかかんとか連想ゲームも働きつつ、単語に広がりや深みがつき、強度を増していくのです。そんな多すぎる属性をもつタイトルをかぶせて、もう一度マイクロポップの定義を読み直すと、深みが増すのか、頭がショートしちゃうからか(笑)、なんだか展覧会が成立するのに充分すぎるコンセプトになってきます。よね。

今回はそんなマイクロポップ的想像力の展開をする<ウィンター・ガーデン>の展覧会です。ウィンター・ガーデンは<冬枯れの庭><温室>からくるダブル・ミーニングです。温室もさらにダブル・ミーニングをもっていたりします。そこに至るまでに、ロバート・スミッソン『アースワーク:心の堆積化』、ジル・ドゥルーズ『スピノザ』、正岡子規『松羅玉液』からも彼女は引用していました。

うーんと。<ウィンター・ガーデン>のお話は面白かったのですが(引用元の書籍も読んでみましたが)、要素が多すぎたのと、マイクロポップがウィンター・ガーデンに展開していくさまが咀嚼しきれませんでした。ごめんなさい。なので、展開の仕方を引用しておきます。

<ウィンター・ガーデン展:そうした発想が、00年代後半の日本の社会や生活のなかで、どのような表現をとりうるのか、また、その表現は、現代の世界で生きることとどのように関係しているのかを探る。>

最後に。講演会とはあんまり関係ないレポートも。

松井みどり氏ってどんな人だろうと思ったら、昔の少女漫画に出てきそうな華奢で夢見がちな(褒め言葉です)風貌の乙女でした。

yumisong

ふにゃこふにゃお。現代芸術家、ディレクター、ライター。 自分が育った地域へ影響を返すパフォーマンス《うまれっぱなし!》から活動を開始し、2004年頃からは表現形式をインスタレーションへと変えていく。 インスタレーションとしては、誰にでもどこにでも起こる抽象的な物語として父と自身の記憶を交差させたインスタレーション《It Can’t Happen Here》(2013,ユミソン展,中京大学アートギャラリーC・スクエア,愛知県)や、人々の記憶のズレを追った街中を使ったバスツアー《哲学者の部屋》(2011,中之条ビエンナーレ,群馬県)、思い出をきっかけに物質から立ち現れる「存在」を扱ったお茶会《かみさまをつくる》(2012,信楽アクト,滋賀県)などがある。 企画としては、英国領北アイルランドにて《When The Wind Blows 風が吹くとき》展の共同キュレータ、福島県福島市にて《土湯アラフドアートアニュアル2013》《アラフドアートアニュアル2014》の総合ディレクタ、東海道の宿場町を中心とした《富士の山ビエンナーレ2014》キュレータ、宮城県栗駒市に位置する《風の沢ミュージアム》のディレクタ等を務める。 → <a href="http://yumisong.net">http://yumisong.net</a>