公開日:2015年6月30日

これぞセルフィーの極北「救いようないエゴイスト」深瀬昌久展

近代日本写真の重要人物、深瀬昌久。代表作や未発表作品が一堂に会する。

DIESEL ART GALLERYで深瀬昌久の写真展が開催されると聞いて、最初は戸惑いを覚えた。20年以上前に活躍していた、言わばクラシックな写真家のカテゴリに入る深瀬昌久の作品と、現代的なDIESELのイメージがうまく重ならなかったのだ。しかし実際の展示を観て、その先入観は氷解することになる。深瀬の写真は古さを感じるどころか、カラーのモンタージュ写真や今で言う「セルフィー」を先取った自画像など現代的なアプローチも多く、むしろ同時代性すら感じさせるものだった。

さて本展の作品について語る前に、深瀬昌久という写真家について簡単に紹介しておこう。深瀬は1934年、北海道生まれ。1974年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された、日本の写真家を世界に初めて紹介した写真展『New Japanese Photography』に、土門拳や東松照明、奈良原一高、森山大道と共に参加した。深瀬は身近なモチーフである妻・洋子の写真を展示したことで話題を呼んだ。

しかし、1992年にバーの階段から転落。この事故により重度の障害を負い、作家活動から離脱。そして、2012年に他界。つまり20年以上前に既に活動を停止していたため、現在の森山大道や荒木経惟たちほどの知名度はないものの、近代日本写真を牽引してきた重要人物のひとりには間違いない。

そして今回、深瀬の死後としては初となる写真展が7年ぶりに開催されることになった。本展の開催にあたって、キュレーターのトモ・コスガ氏は深瀬の以前の妻である洋子の協力も得て、膨大なネガ、プリントの山から気の遠くなるような発掘作業を行ったという。代表作はもちろん未発表作品までが一同に会する機会はこれまでになかったこと。各作品の見どころや展示の背景について、コスガ氏に話を訊いた。

当時の妻・洋子の言葉から始まった展示

会場に入り、まず目に入るのは「救いようのないエゴイスト」=深瀬昌久本人の顔写真。本展のタイトルにもなっているこの言葉は、深瀬の以前の妻であり、重要なモデルの一人でもあった洋子が深瀬を言い表したものらしい。身近なモチーフにレンズを向ける深瀬だったが、その先には結局、自分自身の姿を見ていたのだという。なるほど、”エゴイスト”という表現は見事に的を射ている。

「2012年、深瀬は78歳でこの世を去りました。本人不在のなか、本展をいかなるコンセプトで構築するか。これにずいぶん悩まされましたが、一冊の雑誌に目をつけたのです。それが1973年発刊の『カメラ毎日』別冊でした。『救いようないエゴイスト』という題で、当時の妻である洋子が『私をレンズの中にのみ見つめ、彼の写した私は、まごうことない彼自身でしかなかった』と書いていた。深瀬はセルフ・ポートレートの作風でも知られる写真家。それを最も近くにいた人物が見抜いていたのは興味深いと思いました。それに『救いようのないエゴイスト』って、或る種アーティストにとってはひとつの称号ですよね。深瀬自身もこの言葉を面白がったと思うのです。この原稿を軸に、本展を形成していきました。」

陽のエネルギー・洋子との出会い – 《屠》

《屠》© Masahisa Fukase Archives
《屠》© Masahisa Fukase Archives

時系列ではもっとも古い、1963年の作品《屠》。当時の深瀬は、洋子の前の恋人との間に子どもが出来たが、出産直後、その子を連れて恋人が突然の失踪をしてしまったという。失意の底にいた深瀬の前に現われたのが洋子だった。深瀬の悲しみ、行き場のない憤りといったネガティブな感情が、洋子の持つ陽のエネルギーとぶつかり合い、一種独特の空気へと昇華されている。

「恋人と子を失った深瀬の寂寥が、彼を屠さつ場へと導いたのでしょう。しかし、奇しくもその現場に伴った洋子は、その悲しみを上回る生命力に満ちあふれていた。深瀬29歳、洋子20歳。若き二人のフォトセッションは時を超えて私たちに感動を与えてくれます。二人はのちに結婚しますが、深瀬が洋子を初めて本格的に撮影したのが本作でした。つまり、深瀬の代表作『鴉』に次いで知られる作品『洋子』は本作から始まったと言えるのです。そういった意味でも、深瀬の写真を語る上で本作は重要だと判断し、今回出展しました。」

現代に通用するカラー作品 -《烏、夢遊飛行》

《烏、夢遊飛行》© Masahisa Fukase Archives
《烏、夢遊飛行》© Masahisa Fukase Archives

モノクロームの作品が並ぶ中にあって、一際存在感を放つカラーのモンタージュ作品。《烏、夢遊飛行》は1980年の作品だが、まるで古さを感じさせない。烏(カラス)の他にも自身の顔写真や指紋など、自分自身を見つめるエゴイストの性はやはりここでも発揮されているようだ。グラフィカルな面白みもある、現代的な作品。

「私自身、深瀬の本や作品掲載雑誌を15年かけて集めてきたコレクターでもあって。そんな私が雑誌蒐集を初めてすぐに出会い感動したのが、『カメラ毎日』1980年3月号に掲載された《烏、夢遊飛行》だったんです。深瀬のカラスといえば、写真集『鴉』。私も『鴉』に憧れましたが、すでに同書はビンテージとして高騰していて、高嶺の花。そこで目をつけたのが『カメラ毎日』でした。『鴉』は、同誌上で1976年から1982年にかけて全8回掲載された『烏』をベースに構成された本なので、そのオリジナルはいかなるものかと。すると、これが実に素晴らしい。深瀬といえばモノクロのイメージでしたが、それを一新させるだけの力強いカラー作品も手がけていた。
なにより、当時18歳の私が感動したということは、深瀬の写真が時代を超えていることの証拠でもあるんじゃないかと。本展の隠れテーマに、若い方々に深瀬の写真を知ってもらうことも掲げていましたから、それこそ18の自分が全身で味わった感動を少しでも多くの方に共有できればと、本作も展示しました。」

セルフィーの極地 – 《私景》、《ブクブク》

《私景》© Masahisa Fukase Archives
《私景》© Masahisa Fukase Archives

《ブクブク》© Masahisa Fukase Archives
《ブクブク》© Masahisa Fukase Archives

深瀬が事故に遭う前年の1991年の作品。本展の中ではもっとも新しいシリーズになるが、これまでと一風変わって力の抜けた、おかしみのある写真が並ぶ。しかし、どの写真においても、深瀬が決して笑顔にならず、真顔で写っているのが何だか笑いを誘う。このノリはまるでInstagramだ。

「これらは深瀬が手がけた最後の作品群からのもの。奥さんに”エゴイスト”と呼ばれた深瀬が、最後に辿り着いたのはセルフ・ポートレートだったなんて、なんかもうコントのようですけれど。深瀬は寡黙な人物だったと聞いていますから、恥ずかしがり屋でもあったんじゃないかな。《ブクブク》では、《屠》に見た洋子のパフォーマンス力を思い返すかのように、自らを解放させ、カメラの前で戯れる姿が見られます。もうここまで来ると、表現だとかそういう高尚なことではなく、素朴に写真を楽しんでいるようにも見受けられる。『梁塵秘抄』という古い歌謡集に「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」とありますが、それを実践していたんじゃないかとも思えるのです。深瀬の処女写真集の題名は『遊戯』といいましたしね。

もっと分かりやすく観るなら、《私景》は近頃のセルフィーにも繋がりますし、一風変わった場面を背景にして”いいね!”を狙っている感じはInstagramやFacebookに通じるものを感じられるかもしれません。ただ、深瀬本人はこれらを『セルフ・ポートレートと意図している訳でない』と言っていて。彼自身は、被写体と自分自身の関係、あるいはその距離感に興味があったようです。初めにこれらをコントみたいと言いましたが、それでも一人の人間が半生をかけて懸命に撮り続けたものは美しく、私たちはそこに言語とは異なったカタチでの対話ができると思うのです。そういう意味で、本展は深瀬と皆さんの、言葉なき対話にできればと思いました」

取り返しのつかない写真の怖さ《家族》

《家族》© Masahisa Fukase Archives
《家族》© Masahisa Fukase Archives

深瀬は20代、30代の頃はずっと東京で暮らしていたが、70年代に故郷の北海道に戻った時に家族の写真を撮り、そこから数度に分けて家族の写真を撮り続けることになる。時間の経過と共に進む父親の老化。避けようのない現実に写真を通して直面し、深瀬は取り返しのつかないものを感じる。1971年から1989年、父親が亡くなり、母が老人ホームに入居、一家四散に至るまで撮り続けられた作品だ。

「《家族》は写真集にもなっていて、深瀬の作品でもとりわけ玄人好みの作品。今回の展示では8点を選びました。上段に70年代から4枚、下段に80年代から4枚という構成で見せています。上ではみなどこか軽やかな表情というか、一家の記念写真を楽しんでいる。しかし下では一転して、どこか暗い印象を受けます。実際、彼らの背景を見ても、上が白っぽいとしたら、下は黒っぽい。なんだか重みがまるで違う。
深瀬はこのほかに『父の記憶』という写真集も手がけていて、父である助造さんに対して格別の思いがあったようでした。それは本作でも垣間見られるもので、たとえば1971年に父子でブリーフ姿になって写したかと思えば、それから10年以上経ってからも同様に、上半身裸で撮影したり。
家族の戯れから始まった本作なだけに、途中10年間近くは飽きてしまって中断されるのですが、1985年になって助造さんの老いを確かめてから再開しています。そして父の死を経て、三代続いた深瀬写真館が廃業となった1989年にピリオドが打たれます。取り返しのつかない、写真の怖さが感じられるのではないでしょうか。本作は写真館にあったアンソニーという大型カメラで撮影されただけあって、とても鮮明な写真に仕上がっています。故に家族の魂が宿っているようにも感じられ、得体のしれない迫力を秘めた傑作です。」

異なるアプローチの自画像 – 《猫》

《猫》© Masahisa Fukase Archives
《猫》© Masahisa Fukase Archives

幼少期から高校生まで一緒に生活した「タマ」、大学時代は「クロ」、洋子と暮らした時代の「ヘボ」と「カボ」、写真集にもなった「サスケ1代目・2代目」と「モモエ」、90年代の「グレ」といったように、深瀬は生涯を通して猫と暮らし続けていた。深瀬の生活には常に猫がおり、それゆえに猫が被写体になるのも自然のことであった。ここでは、ある種の番外編として「猫」のシリーズを見ることができる。

「深瀬の猫たちは、これまであまりフィーチャーされてきませんでしたが、実に多くの猫写真を残していることからも、とりわけ心惹かれた対象だったのしょう。生前は多くの猫を飼い、彼らを様々なところへ連れていって撮影したようです。どんなものを見ていても、結局は自分を見つめていた深瀬にとっては、猫もまた然り。『私は見目麗しい可愛い猫でなく、猫の瞳に私を映しながら、その愛しさを撮りたかった』なんて言葉も遺していることからも分かるように、猫にも自分自身を投影していた。だけどこの場合の投影というのは、深瀬自身が猫になった気分を味わう、といったものだったんじゃないかなと思います。
好き勝手に遊び回る猫たちの姿はどこか、洋子の自由奔放さや《ブクブク》での自己解放にも繋がります。深瀬は様々な被写体を見つめた写真家でしたが、それらが無関係のようでいて、だけど見方によっては一線に繋がるのも、深瀬の面白味のひとつなんじゃないかと思いますね。」

Photo: Wataru Kitao

各作品について解説してくれたキュレーターのトモ・コスガ氏は、「深瀬の写真は若い人にこそ見て欲しい」と語る。たしかに深瀬を知らない若者が目にしても、その写真の魅力は色褪せることはない。むしろ、Instagramの流行のようにセルフィーや身近なモチーフを多くの人が撮影するようになった時代だからこそ、深瀬昌久という写真家の有効性は衰えないどこか、新たな輝きを見せるに違いない。レンズの先に自己を見つめ続けたエゴイストのまなざしは、人間にとって普遍的なテーマでもあるのだろう。生涯にわたり自分を撮り続けた深瀬の写真は、言わばセルフィーの極北。その境地をぜひ実際に目にして欲しい。

深瀬の写真や文章が掲載された貴重な文献を手に取ることもできる。
深瀬の写真や文章が掲載された貴重な文献を手に取ることもできる。

■展覧会概要
キュレーター: トモ・コスガ(深瀬昌久アーカイブス)
会期: 2015年5月29日(金) 〜 8月14日(金)
会場: DIESEL ART GALLERY
住所: 東京都渋谷区渋谷1-23-16 cocoti B1F
TEL: 03-6427-5955
ウェブサイト: http://www.diesel.co.jp/art/masahisa_fukase/
開館時間: 11:30〜21:00
入場料: 無料
休館日: 不定休

Koushiro Tamada

Koushiro Tamada

玉田光史郎。熊本県生まれ。ファッション/カルチャー系の出版社に勤務後、広告の制作ディレクターを経て、2014年よりフリーランスのライター/ディレクターとして活動。趣味は園芸とクライミング。