パブリック・アートの下で – 六本木ヒルズ 《ママン》-

公共空間の芸術、パブリック・アートの下で出会った人々と、アートの在り方についての話。

poster for Catastrophe and the Power of Art

「カタストロフと美術のちから展」

六本木、乃木坂エリアにある
森美術館にて
64日後終了

In 特集記事 by TABインターン 2018-10-22

――パブリック・アート(public art)とは、美術館やギャラリー以外の広場や道路や公園など公共的な空間(パブリックスペース)に設置される芸術作品を指す。

私たちは普段、何を「アート」と呼んでいるのでしょうか?その定義は恐らく人それぞれで、多様な捉え方があるでしょう。アートに関心のある人に限らず、アートに全く興味がない人も、少なからず何かしらの「アート観」を持っているはずです。
アートに関心がない人はアートと接する機会がないかと言われると、そうではありません。全ての人に平等に開かれた空間で、あらゆる人がフラットに交わることのできるアート、それが「パブリック・アート」です。様々な人が集まる公共空間で、作品は人とどのように交わっているのか、その時、どんな「アート」の姿が見えてくるでしょうか。そして、SNSの発達した現代において、パブリック・アートの「公共性」はどのような形でアートの在り方に寄与しているのでしょうか。私は、六本木ヒルズの広場に佇む巨大な蜘蛛、《ママン》を取り上げ、実際に現地に赴いて作品周辺の人々との関わりを調べてみました。

六本木ヒルズの《ママン》

都営地下鉄大江戸線六本木駅、3番出口から徒歩4分の場所に、六本木ヒルズはあります。その二階のコミュニティスペースである66プラザで一際目を引く彫刻作品が、ルイーズ・ブルジョワの《ママン》です。

ルイーズ・ブルジョワ / Louise Bourgeois (1911〜2010)
――フランス・パリ出身の彫刻家で、主にアメリカの美術界で活躍した。自身の少女時代からインスピレーションを受けた作品を数多く製作する。

一日目: 9月20日 木曜日

小雨の降る中で姿を現した《ママン》は、高さ10メートルに及びます。遠くから観るとその姿は人混みの中を闊歩する巨大なモンスターそのものです。
そもそも、この作品が設置された意図は何でしょうか。六本木ヒルズの敷地内には20組以上ものアーティストによる作品が設置されていますが、これは六本木ヒルズを東京の文化の中心地にしようという「六本木ヒルズパブリックアート&デザインプロジェクト」によるものです。この《ママン》は、ルイーズ・ブルジョワが1990年代から取り組むシリーズの一つとして、2002年に特別に依頼を受けて制作されました。
作品に近づいてみるとさらにその迫力を感じることができます。

雨が降っていることもあり、人はまばらながらもやはり多くの人の視線に留まることは間違いないようです。その中でも、しきりに《ママン》の中心のあたりを見上げる人が目立ちます。さらに近づいて覗いてみると、その理由がわかりました。

《ママン》の胴体には、大理石でできた白い「卵」が抱えられています。これは作品のタイトルにもある通り、その蜘蛛が「母」のイメージの象徴であることを示しています。ルイーズ・ブルジョワの表現しようとした母親のイメージは、どんなものだったのでしょうか。

取材中、雨が強くなり、人もほとんど立ち止まらない中で、《ママン》の胴体の真下で楽しそうに遊ぶ親子に出会いました。

この作品に限らず蜘蛛が大好きだという息子さんのために、近くに来た時は必ずここに立ち寄るそうです。この日は、六本木ヒルズ以外の場所に用事があったそうですが、《ママン》を観るために少し歩いてここまで来たそうです。
「母」である巨大な《ママン》の足の間で、多少の雨をものともせず二人はしばらくの間楽しそうに走り回っていました。それは、この作品がここに存在しなければ生まれることのなかった光景だったかもしれません。
ルイーズ・ブルジョワは蜘蛛を「強い生物」として語っています。六本木の巨大蜘蛛は、実はそこに居る人々を守ってくれている存在なのではないでしょうか。

二日目: 9月23日 日曜日

休日のお昼頃の六本木ヒルズは、たくさんの人で賑わっていました。
六本木ヒルズには様々な商業施設、及び映画館、美術館などが併設されており、文化に触れ、学び、楽しむことのできる場所が数多くあります。そこには、多様なバックグラウンドを人々が集まります。六本木ヒルズの入り口である66プラザに居る《ママン》は、行き交う人々の「多様性」を見つめる存在でもあります。

こちらの家族連れは、韓国・ソウルからの観光客。とても楽しそうに《ママン》の足元で写真を撮り合っていたので、モデルになっていただきました。よく家族で海外旅行に行くそうで、私たちに対しても笑顔でとても明るくコミュニケーションをとってくれます。
ちなみに、《ママン》はかつて韓国のサムスン美術館 リウムにも展示されていました。《ママン》は世界各地に作品があり、現在六本木ヒルズの他にはニューヨークのグッゲンハイム美術館、ロンドンのテート・モダンなどで常設展示が行われています。そのように世界各地に点在するシリーズ作品は、新宿にあるロバート・インディアナの「LOVE」の文字をモチーフにしたオブジェなど、他にも存在します。
作品を通じて、アーティストの想いは国をまたいで広がっていきます。そしてその作品は訪れた人にとって、「その場所」を示すシンボルにもなり得るのではないでしょうか。その証に、多くの外国人観光客が《ママン》の前で記念写真を撮っている様子が見受けられました。それは美術館で鑑賞する作品よりも、その「土地」に紐づいたオブジェとしての価値を持っています。同じ作品でも設置される場所の特徴が色濃く見えるのもパブリック・アートの特徴と言えるでしょう。
なぜなら、私たちは無機質な展示空間に設置された作品そのものではなく、周辺に息づく環境を含めた「風景」に出会うことになるからです。

熱心に写真を撮っていた外国人観光客二人組に出会いました。

お二人は共にオーストリアで、それぞれファインアートと音楽を教えている先生だそうです。どんなジャンルのアートかと尋ねると、「彫刻、絵画、写真など、あらゆるジャンルのアート」とのことです。元々は旧ユーゴスラビアの出身で娘さんもオーストリアでアートを学んでいると言います。私自身も美術を学ぶ学生であることを伝えると、「もしオーストリアに来たら、家に泊めてあげる」と仰ってくれました。
パブリック・アートの周辺ではその作品を通じて、「アート」が世界共通の価値であることを実感する瞬間が数多くありました。

娘さん(写真左)はかつて1983年に来日して、日本で働いていたそうです。現在はフィリピンにいますが、今回はお母様を連れて一時的に戻って来たそうです。私たちが出会った二組目の母と子の物語は、30年以上の時を経た「日本」との再会の物語でもあるようです。その場所がこの《ママン》という作品であることに、象徴的な何かを感じずにはいられませんでした。
最後には私たち撮影班にも一緒に写真を撮ろうと言ってくださったり、どこまでも陽気でフレンドリーな方々でした。

最後に出会ったのは、フォトジェニックな犬の「ココちゃん」を散歩中の日本人の女性でした。話を聞くとなんと社長さんだとか。そこに来たのはココちゃんの散歩のためで、日課はSNSでよく行くドバイの情報を発信すること。その日の朝もfacebookに投稿をして来たそう。
作者について聞かれたので、ルイーズ・ブルジョワがフランス出身のアーティストであることを伝えると、意外な接点が見つかりました。この方は、昔フランスの美容の専門学校に留学をしていたのだそうです。とてもたくさんの海外経験をお持ちのようでした。
その後もしばらく話をしていると、大学生である私たちにたくさんの人生のアドバイスをしていただきました。

ここにいる人々は、それぞれどんな物語を抱えているでしょうか。どんな想いでそこにいるのでしょうか。私たちはそれを知る由もありませんが、今回、この《ママン》という作品の下で様々な人々の物語の一端に触れ、「交差点」としてのアートの姿が見えてきました。

新しい時代のアートと公共性

今や、展示されている作品の写真や動画を撮ったり、それをSNSに載せて発信するという楽しみ方は一般的になりつつあります。多くの人が訪れる企画展などでは、専用のフォトブースが設けられる場合もあります。
そのようなアートの在り方は、外部の「作品」として楽しむというより、より私たち個人の物語に内在化されていると言えます。すなわち「自分」のプロモーションの一部としてのアートです。私たちは経験を発信し、共有することで「アート」を自分の一部として身につけているのです。その傾向が良いか悪いか、もちろん明確に言い切ることは出来ません。しかし、それはアートの持つ公共性を考慮した上では、当然のことなのかもしれません。アートを自分の中にどう位置付けるかということは、鑑賞者に委ねられています。

今回の取材を通じて、それぞれが独自の物語を持ち、独自の文脈を持って《ママン》と関わっていることが分かりました。蜘蛛が好きな男の子、アートに関心がありアートを教えている人、かつて住んでいた日本に母親を連れて来た人、日課の一部としてそこに来る人、あるいは、何の関心も持たずにただ通り過ぎて行く人々。それぞれがそれぞれの想いを持って、そこに居るということ。それは紛れもない事実です。

SNSを覗いてみると、その様子をさらに広い視点で見ることができます。

#roppongispider

アートのもつ「公共性」とは、作品が個人にとってどんなもので、どう感じて、どう接するか「自由」であるということなのではないでしょうか。それは、パブリックであるにも関わらず最も個人的な振る舞いを許してくれる存在でもあるということです。私は、その点に最もアートとしての価値を感じます。
その寛容性は、アートが様々な捉え方や物語が交差する「交差点」であること、その中心にルイーズ・ブルジョワのような作者個人の想いがあることで生み出されるものではないでしょうか。

六本木ヒルズの森美術館では現在「カタストロフと美術のちから展」を開催中です。是非、自分なりの自由な見方で、アートと関わる機会にしてみてはいかがでしょうか。

[TABインターン] 山川敦史: 東京出身の美大生。人と違うことを追い求めて美大に流れ着いた結果、学内に様々なベクトルで変な人が多すぎて逆に何が個性かわからなくなりつつある。メディア・アートや現代アート作品を作りたいと思っている。好きな動物群は魚類。
写真: 根岸茜里、龍田哲郎

TABインターン

TABインターン. 学生からキャリアのある人まで、TABの理念に触発されて多くの人達が参加しています。3名からなるチームを4ヶ月毎に結成、TABの中核といえる膨大なアート情報を相手に日々奮闘中! 業務の傍ら、「課外活動」として各々のプロジェクトにも取り組んでいます。そのほんの一部を、TABlogでも発信していきます。 ≫ 他の記事

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