SCAI THE BATHHOUSE(スカイザバスハウス)アーティスト
嵯峨篤、小池一馬、ディディエ・クールボ
評論家やキュレーターではない一般の鑑賞者の意見として、アートピースは見たままが全てだという声と、その背後に感じられる作家独自のコンセプトを感じ取るべきだという発言のいずれもよく耳にします。ここにいる3人の比較的若手の作家、嵯峨篤、小池一馬、ディディエ・クールボの作品を目の前にした時、作品はそれぞれの質感を持って鑑賞者にアプローチしてきますが、手法、あるいはその作品の外観としてはそれぞれ全く違う方向性をもった作品として捉えられることでしょう。しかし、その作品の背後にあるそれぞれの作家の声に耳を傾けたとき、不思議なことにバラバラに見えていたそれぞれの作品が、ある種の共通した成り立ち方をして出来上がってきたことを感じます。
嵯峨篤が工業製品かと見まがうまでの完璧なフィニッシュで仕上げたペインティングの表面は、あまりに完璧な光沢を放つために鑑賞者の姿までを映し出してしまいます。鑑賞者の意識は一瞬作品内部にはいっていくことを拒絶されますがゆっくり時間をかけて対峙するうちに、その城塞のような表面の奥へといつのまにか招き入れられ、そこに眠る物語を見ることになるでしょう。幼少期を南米、スペインなどラテン世界で過ごしてきた小池一馬のアプローチはもっと直接的に物語世界につながっていきます。神話にも似た世界観を持ち得た平面作品と彫刻は、古代文字のような神話性をたたえており、暗い階段を下りて地下世界へ遺跡を発見しにいくような興奮を呼び覚まします。ディディエ・クールボの作品は嵯峨の作品とは反対に、鑑賞者がその世界観を共有するように招き入れるところからスタートします。写真という直接的なメディアを多用する作家ではありますが、心を傾けて作品に入っていこうとしないと彼の作品は成立しません。
この3人はそれぞれバックグラウンドも年齢もバラバラでありながら、ある種の「少年感」を残したまま大人になり、アーティストになったのではないかと感じられます。
【画像:Didier Courbot 「Rain Collector」 2007年、50x40cm】
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