さて、この展覧会では、主に小中学生を中心としたワークシートが配布されていたのはご存知だろうか?
90年代に入って、日本の美・博物館でも教育普及の必要性が問われるようになると、最初に整備されていったのが鑑賞教育である。美術館の教育普及と言われて先ず指摘できるのは以下の3つの活動だ。1.ギャラリートーク、2.ワークショップ、3.ボランティア制度の導入。けれども、多くの場合、1と2に対して3は連動して整備されていったはずであり(世田谷美術館や水戸芸術館は良いケーススタディになるだろう)、「美術館でのギャラリートーク(学芸課の学芸員によるもの除く)≒鑑賞教育の一端」の比重は比較的高いものだ。
横浜美術館は、教育普及活動を従来「子供のアトリエ」に分離していたため、あまり本体館内での教育普及活動には熱心とは言えなかったが、この2,3年少しずつアプローチを変えているようだ。その中での、今回のワークシートの導入である。実は、この試みは既に年初のデュシャン展でも実施されていて、これはかなり良かった。ワークシートにおける解答の幅にかなりの遊びがあり、見方を強制されるような感覚が無かったからだ。しかも、内容的にはむしろ大人が楽しめるような構成だった。恐らく、前回と今回にワークシートが導入されたのは、いかに「現代美術」を楽しんでもらうかを考えた結果だと思う。
今回のワークシートは前回に比べると練れていないというのが正直な印象だが、これは構成したエデュケーター側の配慮の欠如というよりは、むしろ淡白すぎる李禹煥の作品に起因するものだろう。ワークシートを終えると、出口で刷毛スタンプを自由に白い紙に押し、自分でも余白の芸術に参加することができる。
こちらのサイトで、アート情報を得ているみなさんは、恐らく展覧会のプロの来場者に近かろうと感じているのだが、たまには素人の頃を思い出して、ギャラリーツアーや他愛無いワークシートを楽しんでみてはどうだろう。ひょっとしたら、美術館に通いだしたころに感じた、素朴な感情を思い出せるのではないだろうか。そして、むしろ私自身が参加したり、企画しているなかで感じている「教育普及的」なプログラムの良さは、感受性に他者からの媒介項が追加されることに尽きる。素朴に見ていようが、どれほど知識や経験を積んでみようが、自身の作品との対峙は所詮自身の対峙でしかない。その神秘主義的な経験を他者へと開くのは、斬新な作品コンセプトや新しい展示空間だけではないだろう。それは、私たちの鑑賞経験そのもののあり方にも依存しているはずだ。