作品ひとつひとつと丁寧に向き合って鑑賞していくという、本来スタンダードであるはずの展示形態に安心して身を委ねた。
ともすると市民展的な雰囲気に陥りそうなところではあるが、そこはシンプルな空間の中でも展示空間の切り分けや配置が絶妙であり、作品ひとつひとつがよく生かされていた。
ポスターに作品が使われていた雨宮庸介は、展示室の順路折り返し位置で、しっかりと空間を使い切ったインスタレーションを展開。
天板がリング型に円環している長机とその上に乗ったいくつものリンゴ、椅子、大きな壷(のようなもの)、クマのぬいぐるみ、壁にかかった鏡。
リンゴとクマのぬいぐるみは彫刻らしく、通常あるべき形をとどめていない。溶けかけの飴細工のように、「だらっ」とした形状を保っている。
壁の鏡にはそれらの光景が映りこんでいるが、それは実は映像であり、いないはずの人物が現れて椅子に座ったりしているのを見つけてちょっとどきりとしたりする。虚構の中に虚構が移りこんでいるのだ。
普段我々が見ている世界を疑う視点を持つことの重要さ、はたまた豊かな想像力を持ってそれに対峙することの意義について考えさせられる。
もちろん、以上は私の勝手な解釈であり体験なのだが、このような展覧会では作品ひとつひとつの技術的「巧さ」や空間の説得力が、そういった観客個々の感動に大きく影響する。雨宮の作品に、それを強く感じた。
近年、作品のコンセプトやそれが持つ仕掛けばかりが重要視されているシーンも度々目にするので、この企画のストレートな「よさ」は意外に重要なのではないだろうか。
Makoto Hashimoto
Makoto Hashimoto