東京都写真美術館にて行われている<写真展 岡本太郎の視線>は、そういった彼自身の手により撮影された写真やそれに伴うテキスト、書籍・映像資料などにより、彼と「写真」との関わりに迫る内容である。
展示はPart1~2の3部構成であり、Part1でまず紹介されるのは、パリ留学時代に太郎が交流した写真家であるマン・レイ、ブラッサイ、ロバート・キャパらの作品と、彼の随筆「フランスで知った写真家たち」である。つまりは彼と写真・写真家との出会いのセクションである。
展示されているほとんどの作品は写真美術館所蔵のものであろうか。著名な作品の数々は、ともすると単純に“手駒”を使うためのセクションという印象を受けかねないが、小さなキャプションではなく、大きな切り文字(展示壁に直接行うレタリング)で紹介される太郎のテキストが展示の意味を深めている。実際に彼が肌で感じたパリの写真家の活躍の描写、時代的背景の鋭い分析、彼がカメラを手に取り、作品を撮るに到った経緯などが凝縮されたテキストなのだ。各作家の生い立ちなども紹介されており、1930年代パリの写真界の雰囲気を感じることができる。
またブラッサイの、土器のようなものを撮影した作品《グラフティ 太陽王》などは、後に太郎が日本で撮ることになる縄文土器を想像させて興味深い。
Part2は、1952年に太郎が雑誌『みづゑ』に発表を行い、縄文が芸術として見直されるセンセーショナルな運動につながった「縄文土器論」に関連する資料や、その後に『芸術新潮』の連載において発表した日本列島各地方への紀行「藝術風土記」に関連する資料などを中心として、彼自身の手による写真が大きく紹介されている。
このセクションで明らかになるのは、彼自身が「縄文」「風土」など民族学の分野にも大きな興味と情熱を寄せていたという一面と、また写真家としての“技術”はさておき、物事と正面から対峙し、瞬時にそれを写真として切り取っていたという姿勢である。
「縄文発見」以前からあった、平面的で綺麗な標本写真ではなく、かといって土器をモチーフとした作品でもない。縄文土器の躍動に満ちた立体的な造形、複雑に絡み合った見事な紋様に迫った写真を撮り始めたのは太郎だと言われている。
当時彼が実際に出会い、撮影した、東京大学総合研究博物館所蔵の縄文土器も写真と共に展示されているから、ぜひ写真と同じ視野が得られる位置で鑑賞していただきたい。彼がいかにしてカメラを構えていたかを体感することが出来る。山下裕二(明治大学)、菅野経敏(カメラ研究家)らによる、太郎が使用していたカメラについての解説も、彼の撮影スタイルを見事に裏付ける内容となっており面白い。
「藝術風土記」の展示は、元が連載であるので、秋田・長崎・京都など各地方(連載)ごとに、該当する『藝術新潮』掲載号原本と撮影時のコンタクトプリント(フィルム1本をまとめて印画紙に焼き、一覧できるようにしたもの)、新たに900×600mmのサイズでプリントされた掲載写真により構成されている。
特に面白いのはコンタクトプリントが拡大展示されている点で、これを見ると、素人の私が見ても明らかに露出のオーバー/アンダーの激しい差が見て取れる。一眼レフの撮影における露出の調整は基本ではあるが、対象が運動していたり、現場が暗かったりするとなかなかやっかいなものである。しかし太郎は、状況なりふり構わずシャッターを押すことを優先したようだ。フィルム1本に、使えそうな写真が半分もあればよい方であろうか。彼が残した写真とテキスト、関連する資料により、彼の写真と人間性が明らかになるセクションである。
Part3は太郎の秘書であり養女であった岡本敏子へのインタビューや、藤阪新吾+高木哲による2人を回顧するインスタレーション、『岡本太郎の沖縄』(NHK出版/2000年)、『岡本太郎が撮った「日本」』(毎日新聞社/2001年)など近年に発表された資料を展示。現代的な視点で岡本太郎に迫る。
太郎自身も「写真」を「作品」とは位置づけておらず、また展示構成もそれに伴った内容となっている本展であるが、下手な岡本太郎展よりも、彼の人間性・世界観を存分に感じることができる。これらは、十分な研究と適切な資料の選択、工夫のある展示方法だからこそ実現されている。
どうしてもテキストが多く少々疲れるかもしれないが、どれも読みやすく、驚くほどに展示の理解を深めるものばかりであるので、ゆっくり時間を使って見ていただきたい展覧会である。
図版(上) 岡本太郎撮影「なまはげ(男鹿半島にて)」(『藝術新潮』1957年4月号より)
図版(下) 岡本太郎がなまはげを撮影時(1957年2月12日)のコンタクトプリントより
どちらも(c)財団法人岡本太郎記念現代芸術振興財団 川崎市岡本太郎美術館蔵
Makoto Hashimoto
Makoto Hashimoto