今回の展示「クルテユラ」は15日までの第一部、17~22日までの第二部からなり、大久保には珍しく原画が展示されている。近年彼女は、著者が企画したReading Roomを含めてインスタレーション性の高い作品の発表が続いていた。その間にも、2冊目の単行本『奇的BOUYAGE』やテレビ番組のキャラクターデザインなどで仕事を見ることができたわけだが、今回、比較的ストレートに原画を見せてきたところに、スタイルの確立や自信を見てとることができる。第一部「予兆」で扱われているモチーフは、合唱隊、ジミヘン、メトロノーム、ピアノ、耳など「音」に関するもの。それぞれの作品の背景には同様のトーンが引かれ、配置もインスタレーション的ではあるが、1つの1つの作品に強度がある。マンガにはキャラクターの存在が欠かせないが、大久保の作品には人物が不在、もしくはその顔全体に「的」のような◎印が描き込まれ、そのキャラクター性を剥奪されている。人物にリアルな目を描き込まないことで、脱マンガ的な表現とすることが、大久保の選んだひとつの答えのようである。
(ちなみに『奇的』に登場している、自身をキャラクター化した人物「BOTSU」は箱をかぶっており、目が描き込まれていない。続編『奇的BOUYAGE』で顔に◎印が描き込まれたキャラクターが登場し、ストーリー性も希薄になっている点も興味深い。)
このような脱マンガ的スタイルをもって作品発表に臨んでいる大久保であるが、一方では展示をドラマツルギーだと発言しており、そこから完全に脱却しているわけでもない。ただし、個々の作品に関係性を見出し、作劇を行うのは我々観客である。彼女の作品は今、マンガだとかアートだとかいったレッテルを軽やかにくぐり抜けて、「culture」(≒カルチャー)という地点に着地している。
Makoto Hashimoto
Makoto Hashimoto