流の作品は「横坐り」「昼寝」といったタイトルから推察できるように人の仕草などを描いたものであるが、その形は曖昧にぼやかされ、色は様々に置きかえられ随分と抽象化されている。仙谷の作品は糸などを編むことで形づくられた「抜け殻」のようなものである。かつてそこに納まっていたかもしれない生物/物体については想像をめぐらせるしかない。
色形あるものが自由に姿を変えてひとつの画面に描かれ、またそれが私たちの想像力をかりて画面の外までも広がっていくような流の作品と、本来何かをその内部に保有していたかのような仙谷の作品は大きくその質を異にするものであるが、ひとつの展示空間の中では共鳴しあっているようにも思えた。
作品そのものが多くを語らない「寡黙」なものであっても、こうして様々なことを考えさせられる展示は実に「饒舌」である。ではその逆の状態を示唆している「寡黙な饒舌」とは何であろうか。そんなことを考えながら作品を見るのもなかなか面白い。
Makoto Hashimoto
Makoto Hashimoto