まずは、どのようにスタートしたのかきっかけを聞かせてください。中落合ギャラリーがどのようにして生まれたのでしょうか。
J: ゆみとわたしはeyesawというグループを作りました。活躍し始めたアーティストのためのインターナショナルなプラットフォーム的役割を果たすためにです。1999年に東京でそのグループを結成して、2003年まで続けていました。基本的にそこでやっていたことは言葉のバリアを取り除いて、日本や外国からアーティストを連れてきて、作品を紹介すること。東京でお願いした選考委員会の人たちに企画を諮って、東京中のカフェ、バー、ギャラリーなど、わたしたちが借りた建物で展示会を開いていました。また作品を持ち込んでもらうためのお金も用意して、アーティストには最小限の負担で済ませられるように調整し、費用をカバーしてきたのです。4年間で13のグループ展と約50の個展を開催することができましたが、2003年にeyesawをおしまいにして、2004年の11月に中落合ギャラリーをオープンさせました。
皆さんはどのようにして知り合ったのですか?
J: 共通の友だちがいたのです。eyesawでは25人のアーティストとミュージシャンをサンフランシスコから東京へ招待してグループ展を開いたことがありました。そのつながりから、わたしはサンフランシスコの大きなシーンに出会い、クリントと知り合いになりました。
C: わたしたちが知り合ったときに、ジュリアはすでにeyesawの活動を休止していて、移行期間に入っていました。わたしはというと、Triple Baseと名付けられたサンフランシスコのスペースを運営していました。ちょうどそのような時期にと話し合って、東京とサンフランシスコの2つのアートスペース間の対話を始めようと計画したのです。それが弾みとなり、中落合ギャラリーが誕生しました。
J: わたしたちが住んでいた場所にギャラリースペースをつくろうということで、壁に色を塗り、ライトを取り付けて、はい、できあがりといったふうに、とてもシンプルにはじまりました。確か2001年のはじめから、ギャラリーのベータ版としてeyesawを支えていたのでした。
それぞれのメンバーのみなさんは、ギャラリーの中で特定の役割を果たしているのですか?
J: ゆみが日本語でのPR、翻訳、校正を担当しています。クリントがすべてのレベルでの取り付けやセッティングを行うとともにわたしと共同キュレータを務めています。わたしはギャラリー全体を監督する立場かしら。お互いのことを長い間よく知っていて、しかもこのフィールドでずっと仕事をしているので、うまい具合に機能していると思います。
中落合ギャラリーでの最初の展示会はどのようなものだったのでしょう。
J: クリントのSEE YOUが1番目。Triple Baseを訪れた人たちを撮影したダイアモンド・オーラの写真を展示するときに彼のサンフランシスコ仲間を紹介してくれたのです。中落合ギャラリーのビジターも誘って同じように撮影し、クリントは展示会の終わりにみんなの写真をそれぞれ並べていました。これは彼がこれまでに手がけた国際的なコミュニティ・プロジェクトシリーズのひとつです。その後がインスタント・ドローイング・マシーンでした。
そのプロジェクトはどんなふうでしたか。
C: インスタント・ドローイング・マシーン(IDM)はサンフランシスコでオリバー・ローゼンバーグとわたしのコラボレーション(そしてCrust and Dirtと共同作業をしたことでも知られています)、東京では彼とジュリアのコラボレーションとして始まりました。ワイアレス接続ポイントを探しながらジュリアはラップトップコンピューターを持って東京の街へと出掛けていきました。通信接続が完了した後ウェブカメラをセットすることによって、サンフランシスコにいるオリバーとわたしは瞬時に東京のストリートに立っているかのようでした。わたしたちは歩行者を巻き込み彼らの願いや夢をたずね、その内容をその場で絵にしていきました。IDMは世界7都市で開催し、この前の夏ニューヨークのDrawing Centerですべての絵を紹介しました。
東京のアート中心地域から比較的離れた住宅地でギャラリーをやっていくことにしたのはどのような理由でしょうか。長所短所あるように思いますが。
J: わたしたちの元々の意図として、地元の地域にポジティブな影響を与えられるようにと考えていました。そしてそのことに関しては、とてもうまくいっているんじゃないかと思います。地主さんからこの地域の昔話を聞いてみました。一度死んでしまったこのスペースが甦ってきたということは、この地域に良い影響をもたらしたのだと言えるでしょう。近所の人たちとも仲良くしています。60年前にこの場所でカキ氷を食べていた人達は、今ではギャラリーお茶をすすりながら現代美術を眺めています。一方でもっと努力をすべきこと、例えばもっとたくさんの人に来てもらう必要があります。このギャラリーがいつ開いているのか、展示をしている期間なのか、そういったことを知ってもらって近隣の方たちに気軽に来てもらいたいと思っています。この地域での短所に関して、それほど大きなものは感じませんね。
C: 今くらいが、中落合ギャラリーと地域とのちょうど良い交流のレベルではないかと思っています。もし商業地にいればもっとずっと多くの人々とのインタラクションを取ることはできるでしょうけれども、それがこのスペースとわたしたちが目指すことかというと、そうではないだろうと。現在の穏やかな感じで、うまい具合の関わり方がちょうどいいのではないでしょうか。
2005年11月、ベッキー・イーのBack to the Streets「商店街里帰り」展では人と人との関わりをテーマにしました。原宿にいる若者と東京の昔ながらの商店街にいるお年寄りとが出会うシーンを撮影していました。彼女についてもう少し聞かせてください。
J: ベッキーは中国系アメリカ人で日本にはおよそ9年間住んでいます。コマーシャルフォトグラファーとして雑誌RelaxやBrutusでも活躍し、世界中のあらゆる興味深いプロジェクトに参加しています。彼女の最初のアートプロジェクトは私とeyesawでオーガナイズしました。1万円札に埋もれた三人の売春婦を写真に収めたのをはじめ、裸の彼女達が口にハンドバックをくわえているもの、逆に普段働くときの服を着ているシリーズのものもありました。ベッキーは日本の深層をえぐり出し、調べていこうとしていました。
「商店街里帰り」展ではお客さんたちはどんな反応を見せましたか。この静かで落ち着いた場所にあるギャラリーでは場違いなのではないかと感じましたか?
J: ええ、本当にたくさんの方が来て、笑っていました。でも……(笑い)
C: この展覧会は2つの世代を斬新な方法で引き寄せ、成功しました。オープニングのイベントでは巣鴨からやってきた老人の横には若い人たちが一緒にいて……
J: あのオープニングはすばらしかった。原宿の子どもたちはクレージーなコスチュームで着飾り、一方では黒塗りの車がエントランスに乗り付け、ほとんど歩けない相当な年のおじいさんがやってきましたし…… あの時は、ほとんど馬鹿騒ぎでした。写真そのままの雰囲気で、まるで役者が来たかのように、でも彼らは実際に普通の人なのだとわかるかと思います!
C: それが展覧会の核でした。とても実験的で、今までにないやり方で人々を集めました。共有した経験の記憶や記録こそが写真なのです。
いつもどのようにアーティストとは出会うんですか?
C: わたしたちは多くの場を通じて知り合っています、ネット、展覧会、友だちや自分たちのネットワークなど。
特にサンフランシスコなど、海外からのアーティストをたくさん紹介してきましたね。外国人アーティストを優先することがギャラリーのミッションステイトメントの一部なのでしょうか。
J: そういうわけではありません。出身地がどこかは必ずしも関係なくアートが重要なのです。わたしたちはサンフランシスコやベイエリアにあるようなコミュニティの感覚を、是非東京へ持ってきたいのです。サンフランシスコに活気があふれているのは全てが凝縮されているからです。その感じというのは何もかもがバラバラに広がる東京には欠けているものです。来月のクリス・ダンカンの展示会では彼とサンフランシスコの仲間たちが制作した12か月分の作品が集まってくるでしょう。
ミッションステイトメントについて、まとめてもらえますか。
J: 先ほども話したように、このギャラリーを設立した理由のひとつは中落合のコミュニティに何かをもたらそうということです。この界隈では実は、わたしたちのギャラリーとご近所の数軒しか伝統的な木造住宅を保っていません。このような場所でアートを紹介することでこそ、失われつつある世代からの経験を私達が共有することができると考えています。
もうひとつの理由は日本での現代美術コレクションのスピリットを再活性化させたいのです。日本経済の崩壊とともに、1989年にアートクラッシュがおこりました。アートクラッシュ以降、人々は芸術作品を集めることに自信を完全に失いました。わたしはあらゆるレベルで人々の中のこの信念をよみがえらせたいと思っています。そうすることで、彼らのサポートがアーティストを支えているということをコレクターたちに理解してもらえるようにやっていきたいです。
それは興味深いですね、TABlogとの最近のインタビューで、村上隆氏がバーゼルアートフェアのような場所ではアートマーケットが爆発といえるくらい急成長していて、その影響はおそらく東京にも来年か再来年にやってくるだろうと話しています。わたしにはそれにはどうもはっきりした実感はありません。もちろん良いことだとは思うのですが……
J: 確かにいいことだ思いますよ、昔のようにまた作品を貨幣のように扱いさえしなければ(笑)。あれは本当にあり得なかったからね。でも日本のアート市場に関しては、楽観視しています。約2世代前にアートクラッシュが起きて、今では人は変化していると信じています。今度9月28日にスーパーデラックスのぺちゃくちゃナイトでアート市場について、その現状やどうして回復するのに時間がかかるのかなどをもちろんバイアス抜きに話しますね。
これからのプロジェクトにはどのようなものがありますか?
J: 物理的なギャラリースペースとヴァーチャルなオンライン上の存在とをいかに結びつけるかを理解しようとしています。ギャラリーの空間を越えて物を動かしていき、わたしたちが日本であれ、どの場所にいてもアーティストとプロジェクトを進めていけるように目標を立てています。
C: 展示会としてはクリス・ダンカンをオークランドから連れてくるのが楽しみです。彼のプレイング・フィールド展では表側の部屋でインスタレーションを設置するので、通りがかったご近所の人は一瞬見過ごしかけたとしても、驚いて見に来てくれるくらいインパクトがあると思いますよ。
本日はありがとうございました、次回の展覧会を楽しみにしています。
Ashley Rawlings
Ashley Rawlings