ICCにとって原点であるテーマ「コミュニケーション」を人と人の間にだけでなく、私たちが日常的に使い分けている情報端末やシステムなど機械やモノとの間にも読み取り、それらが生み出す多様な事象が連結(コネクティング)されている現代社会の可能性/危険性に迫るという内容である。少々正確な理解を得にくいコンセプトかとは思うが、「コネクト」という親しみやすくシンプルなキーワードによる切り口は、似たり寄ったりの落としどころに帰結してしまいがちなメディアアート系の展覧会としては目を引くし、問題意識についても、いわゆるWEB2.0的なシステムが次々と誕生しているこのタイミングにおいて、非常にリアリティのある内容ではないだろうか。
圧巻なのは、毎回テクノロジーの本質を独特の形で作品に落とし込み我々を驚かせるエキソニモの作品《OBJECT B》。
キューブ状に設置された壁4面にはシューティングゲームのような画像が投影されており、うち3面の前には、電動ドリルを改造した駆動部とテンキーを組み合わせるなどしてつくられたインターフェース「らしき」オブジェなどがそれぞれ置かれている。これらが派手な音を立てながら投影画面と連動して駆動する様は、否応にも我々の身体に直接的に呼びかける、バーチャルな世界から一歩踏み出した作品世界を構築している。
ちなみに観客が操作することのできるインターフェースもひとつ用意されており、自動的に動くオブジェが操作するキャラクターと戦えるという設定らしいのだが、今ひとつ派手なアクションは起こせずもどかしい気分にさせられるというギャップがまた効いている。
他にも様々なインスタレーションや最新のオンライン作品などが出品されているが、一方では、身の回りのものがドミノ倒しのように動いていく過程で、浮力、風力、火力など様々なかたちで連鎖していく光景を撮ったフッシュリ&ヴァイスによる87年の作品《事の次第》や、70年代にオッペンハイムが家族と一緒に試みた身体を使った伝言ゲーム的作品《トランスファー・ドローイング》など、高い芸術性を持ってテーマの本質に迫る映像作品も見ることができる。
この展覧会にもうひとつキーワードがあるとしたら、それは「トランスレーション」かも知れない。観客やパフォーマー、あるいは作品が自ら生み出すアクションが思いがけない結果につながり展開していく様子は、作品のフォーマットや制作年代を問わず楽しく見ることができる。
ひとつ残念だったのは、ギャラリーAのみで展開される企画展とうことで、手狭になった会場ではどうしても作品の干渉が激しかった点である。趣きあるオッペンハイムの作品を見ている時に突如として派手な音と光を発しながら稼動するエキソニモ作品や、電子株式取引の様子をデータ変換するMaSS Dev.のプロジェクト作品は、やはりノイズとなり気になってしまう。
しかし裏を取れば、コミュニケーションというものには思い通りに行かない不快な部分もあるわけで、全てが0と1に置き換えられつつある情報化社会の中で、世の中そんなに単純じゃないよという生々しい後味も程よく残る会場構成だったと捉えることもできるのかもしれない。
Makoto Hashimoto
Makoto Hashimoto