公開日:2008年5月20日

BAUHAUS, experience, dessau展

今もなお多くの人を魅了する存在であり続けるバウハウスの魅力に迫る展覧会

バウハウス・デッサウ校舎
バウハウス・デッサウ校舎

「バウハウス」と打ってGoogle検索してみると、建築に関係ある業種からない業種まで、社名や店名などにけっこう使われていることが分かる。バウハウスが総合芸術を目指した学校だったと知っていても知らなくても、日本人にとってそれだけ浸透している名称ということだろう。

バウハウスが存在したのは、1919年から1933年までのわずか14年間だけだった。
それでありながら、美術、デザイン、建築の分野で生きる伝説として未だにその影響力を与え続けているのはなぜか?

その謎を解くには、バウハウスが生み出したデザインやプロダクトを見るだけでは足りない。
歴史の流れの中で必然として生まれ、また消えて行ったのも運命として、本展覧会では、バウハウスの誕生と消滅について、広い視点から俯瞰することを可能にする工夫が凝らされている。

展示としては、バウハウスの活動がもっとも活発だったと言われる1925年から1932年までのデッサウ期に焦点を当てているが、成果物が残らない故にあまり知られていない舞台工房の活動成果や、カンディンスキーやクレー、ヨーゼフ・アルバースといったマイスターの教え子たちの作品を通じて、バウハウスで行われていた基礎教育の様子を伺い見ることができるのも興味深い。
また、社会、音楽、文学、思想、美術、建築、化学そして日本における出来事をまとめた同時代年表は、時代のうねりの中でバウハウスという存在の全体像を捕えるのに役立つ。

子供椅子 ti 3a
子供椅子 ti 3a
デザイン=マルセル・ブロイヤー
産業革命後の急速な近代化の中で、職人と芸術家の分離が進むことに危機感を覚えた人々が、アーツ・アンド・クラフツ運動、ドイツ工作連盟といった運動を起こし、バウハウスもまたその流れの中で工業化社会で失われた「生活の美」を希求する動きとして必然的に生まれた。
そして、バウハウスは、ナチスの圧力によって、ヴァイマール体制が消滅したのと同じ1933年に廃校を余儀なくされる。
こうして外界との関わりの中で見ると、バウハウスとは、「学校」というシステムに則った、デザインと芸術の統合を模索する大きな実験の軌跡だったことがよく分かる。

バウハウスの目指した「諸芸術の統合」と「芸術と技術の統合」は、マルチメディア時代の今日にあっても生きているテーマだ。
時代とともに変容を繰り返しながらも、バウハウスの精神が未だ有効なのは、その試みが決して自己満足の美学を追求する試みではなく、あくまでも社会との関わりの中で模索、実験を繰り返したことによって普遍性を獲得したからだろう。
マイスターたちのあらゆる試みの結果生み出された美しいデザインは、そのことの象徴として時代を超えて、いつの時代でも同じテーマに取り組む後世に新鮮に語りかけることだろう。

Rei Kagami

Rei Kagami

Full time art lover. Regular gallery goer and art geek. On-demand guided art tour & art market report. アートラバー/アートオタク。オンデマンド・アートガイド&アートマーケットレポートもやっています。