公開日:2008年10月28日

西尾康之 「健康優良児」

正義への幻滅か、それとも・・・

ギャラリーに足を踏み入れてまず目に飛び込んでくるのは、壁全面を彩る巨大化された女たち。完璧なプロポーションで描かれた豊満な体で、プレイボーイマガジンのモデルさながら見る者を挑発する。アメコミのヒーロー/ヒロイン物でよく見かけるような露出度の高いレザー製(もしくはビニール製)スーツを纏っている者、スクール水着を身に付けている者、そして全裸の者。身体をしならせ、これでもかと言うぐらいセクシュアルなポーズを取る巨大女たち。こちらを真っ直ぐ見据えている者もいれば、物思いに耽るかのように視線を逸らしている者もいる。元々小振りなキャンバスに描かれた油彩画が、ディジタル処理後かなりの比率で拡大されている。女たちの巨大さを強調するかのように。

巨大女たちは一貫して、都会のど真ん中に現れる。そこに自然は全く存在しない。女たちは、所狭しと建ち並ぶビルを次々と崩壊しては土煙を巻き起こす。抑え目の色調で描かれた建物と灰色の煙の中に佇む彼女たち。その黒光りするスーツや原色の水着、なまめかしく輝く肌の色が、効果的な対照を放ってグレーやベージュの中に浮かび上がる。ビルの中の人々は、窓の外で繰り広げられる突然の巨人襲来・都市崩壊をただただ見守っている様子だ。

ここでおもしろいのが、女たちに囲まれてただ一つ、ウルトラマンセブンを描いた作品が展示されているという点。ここで「あー、なるほど」と納得。ウルトラマンセブンが怪獣から人々を守るため巨大化された姿で地球に舞い降りるように、彼女らも巨大バージョンの”ジャイアンティス”として都会に出現した、という比較が成り立つからだ。それでは、彼女たちのミッションとは何なのか?人々を何者かから救いに来たのだろうか?質問の答えは案外簡単に出てしまう。まず、闘うべき相手(敵)の姿がどの作品にも見られない。次に、闘う体勢とはとても思えないスタンス。裸で戯れていたり、悩ましげな表情でこちらを見ては身体をしならせていたり。彼女たちの全神経は「如何にして見る者を誘惑するか」に注がれている。正義のために悪と闘うウルトラマンセブンとの決定的な違いがここにある。では、女たちを敢えて、地球を救うヒーローに似せて描く真の根拠とは何なのか?

今回の展覧会と同時に発売された作品集『健康優良児』の中で、西尾は自身の幼少時代、ウルトラマンセブンをテレビで見て育った時代について、そして”正義”について少しだけ語っている。ウルトラマンセブンが怪獣と闘い街を崩壊していく過程で、多くの人々が実は巻き添えになって死んでいっているのだと気付いたとき、最初はその恐ろしさに拒絶反応を示した西尾だったが、それがいつしか妙な快感へと変わっていく。この心理的変化がどのように起こったのか、そして具体的に何に快感を覚えたのかについて、西尾は説明していない。派手なファイティング・シーン、それに伴う派手な崩壊シーン。そんな、自身では実現することの出来ない、現実離れした世界に対する快感だったのだろうか・・・。そこで西尾の頭に浮かんでくるのが、正義という名の下であれば、破壊的な行為でさえ法的に許されてしまうことへの疑問。真の正義とは果たして存在するのか、という疑問。これらの、幼い頃から育まれてきた疑問が、今回の「健康優良児 -Physically Perfect Child」シリーズの根底にあるのかもしれない。本シリーズの一部の作品には、「Fight in the Cause of Justice (正義のための闘い)」というタイトルも付けられている。このことからも、作者の正義に対する疑問や幻滅が、これらの作品に皮肉を込めて反映されている可能性が伺える。巨大化された女たちが、これでもかと派手なポーズを決める度に、皮肉さは増していく。正義に対する幻滅、現実とはこんなものかという諦めにも似た認識が、破壊的力に対する当初の拒絶・恐怖感をある種の快感に変えたとも言える。
それにしても、何故ここまでセクシュアルでなければならないのか。女である私にとっては、目のやり場に困ってしまうほどのセクシュアル・アピールだ。作者が男性であることを考えると、これは単に彼のファンタジー(夢想)なのではないか、という可能性も否定出来ない。都会に舞い降りた女たちの真のミッション、それは他でもなく「男たちを虜にする」ことなのかもしれない。女性と男性、全く違う反応が期待出来るこの展覧会、カップルで足を運んでみるのもいいかもしれない。

Motoko Shima

Motoko Shima

東京都出身。2003年アメリカ・シアトル留学。ワシントン大学美術史学部卒業後、2006年帰国。現在TABにて翻訳/編集業務に従事。