公開日:2010年1月27日

「BEUYS IN JAPAN−ボイスがいた8日間」関連イベント「愛と平和と未来のために」

未来美術家・遠藤一郎の「ほふく前進」

遠藤一郎は今回、水戸芸術館にて「愛と平和と未来のために」という企画を「BEUYS IN JAPAN−ボイスがいた8日間」にあわせて行っている。高橋瑞木学芸員による構想である。その理由は、ボイス展をみればわかる。展示会場にカッティングで記されているボイスの言葉「資本とはお金ではなく創造力である」「人はみんな芸術家である」、その言葉は、今まで『全員展』の企画や「未来へ号」に乗って届けて来たメッセージを思い起こせば、遠藤一郎が言っていてもおかしくないものだからである。彼の場合は「みんなやればできる」というシンプルなものに変わるであろうが。

写真撮影:菊池良助
写真撮影:菊池良助

ともあれ、彼が高橋学芸員より「ボイスにあなたはどう挑戦する?」という依頼を受けたとき、ボイスの仕事、高橋学芸員の、「84年のボイスから25年たった今をみせたい」という思い、自分の仕事、そして社会の状況や流れ、そういったものを総合的に考え、解を出したというのは本当の所だろうと思う。そう、今は、マドンナが50歳になり、宮崎駿が「崖の上のポニョ」をつくり、そしてマイケルジャクソンが死んだ時代なのである。(ボイスの展覧会は、84年—宮崎駿が『風の谷のナウシカ』を発表し、マイケルジャクソンが史上初の同一アルバム5曲連続全米チャート1位を記録し、マドンナが『Like a virgin』で注目された年の記述から始まります)
そして彼が出した解は、「46日間、一日8時間ほふく前進をし続ける」ということであった。

写真撮影:菊池良助
写真撮影:菊池良助
これまで彼は、幕や立体、ライブパフォーマンスやグループワーク、インスタレーションなど様々な形態の発表を続けて来たが、彼にいわせればそれは、「メッセージを伝える」ための活動である。「未来へ」「生きる」「家族」といった本当に「ふつうのこと」をわかりやすく伝える。それは、この時代に必要だと彼が思うから、これから100年後、200年後の未来にむけてもう一度思い出しておかなくてはならないと彼が思うからである。

ただその中でも今回のほふく前進は、いろんな反応といろんな空気をなげかける作品である。それはもう、極端すぎて結論が予想出来ないしろものである。彼にとっては、身体的あるいは精神的な疲労や消耗がはげしいプロジェクトであるが、同時に蓄積を感じているという。

案外自分の中に目的が生まれたりもするという。4本足から2足歩行になることで、様々な発見もあるようだが、目線の位置がかわることでみるものがふえたという。すでに、4足歩行で毎日歩いている、そういう生き物が存在する事で、美術館には新たなネットワークが生まれているそうだ。毎日の清掃のおじさんとの会話、毎日差し入れをしてくださる近くのお弁当屋さん、散歩のルートにしている方、通学の帰りに寄る学生、あそびに来た親子連れ、そういった方々と、2足歩行のときにはない、新たな輪がそこには生まれているという。

なぜいま彼は「ほふく前進」という方法を選んだのだろうか?
それには彼の現状認識が重要な役割を果たしている。ものが溢れている今の世の中において、いつのまにかふつうにある感覚、できるはずのことが失われている。例えば、スターバックス等でわたされる熱いカップを手で持つ時使うボール紙でできた保護材。あれがあたりまえのようにわたされているところにも危機感を感じているようだ。熱いカップを持つことなら、蓋や柄の部分をもったり、触れる面積を押さえたり工夫してできてきたはずである。新たに資源をつかって、手にやさしい、便利のためだけのものを作る必要はあるだろうか?

何が資本として、あるいは何が価値として人の中になくてはならないか?
人と人が対話を、あるいは人と土とが感触を通じて、そうしたコミュニケーションを通してつながっていること。そこに絆があること。そのことこそ重要なことではないか。

普段は目に見えづらい絆を、彼は実際に目にみえる形にしているのである。それも、生活の中にふつうに。

彼はそして、「未来へ号」を走らせながら伝えてきたように「GO FOR FUTURE」というあたりまえのメッセージを伝えていく。ほふく前進をしながら彼は、改めて「一歩目ふみださないと二歩目はない。勇気をだして勝負していくべき」そう認識したという。

彼は、宗教間や民族間の争いやずれは、時間がかみあってないからだと考える。時間の流れがここ50、60年特に早すぎると認識している。46日間もほふく前進をしつづけるのは、早すぎた現在からゆっくりの時間に慣れるためだという。

46日間つづけるために、彼は抵抗しない。休んだりしながらも、また進む、少しずつ進む。もちろん経験しない筋肉は痛むであろうし、皮もむけたりするであろうが…そしてどんな反応も受け入れる。

どうして彼はそこまで受け入れられる、許せるのであろうか? 彼は「未来へ号」に乗っている感覚も、「脈の中を流れていく赤血球」と表現する。道の中の流れにのっているのみ。目的は、人に出会いにいったり、用があったり。でも、それらは全部栄養であり、彼は栄養をこそ運んでいると考えている。「ほふく前進」も、その前に行った六本木ヒルズに「いくぞー!」と叫びながら体当たりする活動でも、自分の身体は仮の姿、「化身」であると認識している。自分は一つの赤血球で、一つの駒である。それぞれの資質により役割が違うであろうが、それぞれの役割を精一杯はたせばいい。そう考えているのである。

全員が一つの創造たるものの一役を担っていると、だから言えるのである。そして、そうした動きこそが全部栄養であり、それがないと地球も動かない、進んでいかないと考えるのである。そして、ほふく前進を彼は、地球を担う駒の一つとして淡々と行い、栄養を与えているのだ。
さればこそ、かけがえのない、この行為を私たちは目撃し、感じ考え、伝えていく必要がある。この、彼が興した一種の革命を、ぜひ自分の目で、確認してほしい。         

写真撮影:菊池良助
写真撮影:菊池良助

以下、遠藤一郎によるテキスト(館内で配布されているものです)

写真撮影:菊池良助
写真撮影:菊池良助
遠藤一郎です。ほふく前進をしています。
決して軍隊ではなく、修行しているわけでもありません。
水戸芸術館でのヨーゼフ・ボイス展『BEUYS IN JAPAN』の関連パフォーマンスとして、1日8時間(10時〜18時)46日間毎日、芸術館の敷地内でほふく前進を行っています。
なぜほふく前進なのかというと、人が進む速度で一番遅いからです。
地面を這っていると時間もとてもゆっくり動いています。
紅葉した枯れ葉が枝から離れ、地面に落ちるまでがはっきりと見てとれます。
石のタイルの隙間に育った苔のみずみずしい小さな緑の美しさに生きる強さを感じます。
疲れてあお向けになれば雲が流れ大空がどこまでも続いています。
そしてその空に向かって人の造った水戸タワーが伸びています。
ほふく前進の遅い速度で動いていると本来のありのままの形が見えてくるようです。
それは現代の速い波にのまれて忘れられてしまった人と自然が調和したとても自由な流れだと思います。
人と人の絆の尊さは日々感じていますが、今は人と自然の離れがたく結ばれた深い絆を痛感しています。
このほふく前進パフォーマンスは、年末年始をまたいで1月24日まで続きます。もちろん僕もはじめての経験なので今後どうなるのかはっきりとはわかりません。
身体が鍛えられて筋肉マンのようになってしまうかもしれないし、出家侍のようになってしまうかもしれません。
とにかく健康には一番に気をつけます。
急に地面を這っている姿を見たら驚かれると思いますが、どうぞ気軽に話しかけてみて下さい。毎週土日には芸術館内で、対話集会(無料)も行います。無事に1月24日を迎えられたら、 17時から広場で最後の帰還式を行うのでぜひ足を運んで下さい。
偶然にもこの物珍しいパフォーマンスと出会った人たちに何かを伝える事ができたら嬉しいです。
まだまだ長く遅いですが、それでも日々少しづつ、一歩一歩、前に進んでいこうと思います。
よろしくお願い致します。

Haruka Ito

Haruka Ito

1979 年生まれ。magical, ARTROOMディレクターを経て、<a href="http://www.islandjapan.com">island</a>を2010年1月よりスタート。 展覧会の企画開催、アートフェアへの出展、MAGなどの本やCDの編集出版や『magical, TV』などのイベント企画、作家のマネジメントなど時に応じてやってきました。『ART AWARD TOKYO』や『THE ECHO』『BEAMING ARTS』の運営、『101 TOKYO』にもクリエイティブディレクターとして携わりました。