公開日:2011年4月13日

「記憶の桜」展示作家 丹地保堯インタビュー

繰り返す季節に焼きつける記憶の写真展

「記憶」とは、いうなれば頭の中の映像(や、その他の五感)。桜がもっているであろう記憶を、私たちはどのように捉えていけるのか。厳密には共有することはできない桜に関する記憶を私たちは、どのように現していけるのか。光の反射を焼き付けた記憶を再度、日常の光の反射の中にどのように戻していくのか。また、取り出したそれを私たちの頭の中に、どうやって焼き付けていくのか。何度も繰り返す四季の中で、何度も繰り返し焼き付ける記憶を写真の中にどう落としこんでいけるのか——

リコーフォトギャラリー RING CUBE にて4月10日まで、写真展『記憶の桜』が開催されています。出展作家は、大和田良、五島健司、武井伸吾、丹地保堯、テラウチマサト、楢橋朝子、ハスイモトヒコ、三好耕三、森山大道(敬称略、五十音順)。
今回は、風景写真画家の丹地保堯さんにお話をうかがいました。『風景写真画家』とは絵を描くように写真を撮る丹地さんの造語。デジタル写真の黎明期の20年前から写真にデジタル技術を取り入れ、インクジェットプリントを版画の一手法に見立てたジグレー技法で、自然の姿を絵を描くように撮影しています。


丹地保堯
――98年から桜の木の展覧会をされていますね

小学館から『桜の木』という本を出すことになって、桜の木の展覧会を何度かしました。桜というのは咲いている時しか気にしませんが、紅葉もきれいです。私は一年を通して桜を撮影しています。また、私は街に咲く桜よりも、山桜の方が好きなのです。江戸時代に交配してできたソメイヨシノが、日本中に広がりましたが、それよりずっと以前からある、自然のままの山桜が好きなのです。山々の他の木々に混じって、ぽっと咲いている桜に柔らかさを感じます。群衆というのは、力を持ってしまいます。しかし、そうではない個としての桜を撮りたい。

桜には日本人の情緒や物語があります。それを撮りたい。もちろん物語には歴史的・政治的な意味も含まれてきます。しかし何か具体的な物語がわかるように撮るのではなく、ただありのままを撮ることでそれを感じさせたい。今回の作品で、木の幹に桜が咲いているものがありますが、シワの刻まれた皮膚のような木の幹に、小さな新しい葉と桜がある。おじいさんに抱かれた孫をイメージした写真です。私は明るいことや楽しいことが好きなので、そのような自然を写していきたいのです。


――自然の魅力とはなんでしょう?

自然は、そこから動けない。だから自分がそこに行かなくちゃいけない。私は旅が好きです。旅先で人と出会うのが好きなのです。旅する過程も含め、作品づくりは始まっています。私は花より木を撮っています。木は似たようで、1本1本違う。人間のようです。木の形は、動けないからこそ、その形になる。理にかなった形になるのです。

まず木のまわりをぐるっと回って、構図を決めます。構図はとても重要です。フレーミングをすることで、絵を描いているのです。私はもともと絵を描きたかった。写真を、絵を描くことに重ねて撮影しています。絵画や版画のように写真を撮っているので、『風景写真画家』と名乗っているのです。

作品について説明する丹地保堯氏

――自然をモチーフに制作を始めたきっかけを教えてください

もともと私はデザイナーで、注文された仕事をしていました。いわば素材の料理人のようなものです。しかし誰にも指示されずに、絵を描きたい、オリジナルの作品を作りたいとずっと考えていて、「自分の作品」を作りたいと考えたときに、自然をモチーフにすることで、それができるのではないかと思ったのです。

自分と自然が向き合う、そこには誰も入らない。照明も使いません。夜桜などライトアップされているものは、そのままの状態で撮影することがありますが、基本的に照明は使わず、自然光です。だから私の撮影はすごく早いのです。あっという間に終わってしまいます。太陽の光はあっという間に変化していきますから。

――異なる分野からの転向は簡単なことではなかったと思います。あなたはどのようにしてプロの写真家になられましたか?

プロとしてやっていくのは経済に乗ることでもあります。私は個展をしたときに、作品を売りたいと言って、値段をつけたのです。しかし昔は、写真は売るものではないという風潮がありました。見せるだけ。相場も何もわからず、相談する画商のような人もいなかったので、試行錯誤しましたが、結果的に売れました。

私の写真は入院されている方や、病院などが購入されることが多いです。写真に映っている風景だけでなく、フレームの外にある自然を感じてもらいたいので、病院などでは、それを感じて頂いているのではないかと思っています。また写真を美術に位置づけるため、版画のように扱っています。プリント枚数も、だいたい30枚までと決めてサインしています。紙も版画で使う和紙やファブリアーノ(水彩紙)にプリントしているので、同じ写真でも一枚一枚に少しずつ違った風味や表情が出てきます。

――水彩紙に出力すると、印画紙より彩度が落ちてしまいませんか?

水彩紙によって、温かみがでます。印画紙のような(彩度の)高い発色ではなく、紙の温かみで自然の光を表現できます。顔料を紙に落とすことで出せる温かみです。デジタルプリントには20年前から取り組んでいて、当時は(性能がそれほどよいものではなかったので)今のように使えるものではなく、こんなものもあるんだって、お遊びのような感じでした。しかし特にここ5年でプリント技術はすごく進み、顔料も飛躍的によくなった。顔料自体が酸化しないような仕組みになってきている。何年も発色が変わらない。

デジタルプリントをしている理由の一つには、全部自分でできるからというものあります。プリントを人に頼まずに自分でできる。写真は共同作業的なところがあるのですが、デジタルならプリントまで全部を自分でできる。モニターやソフトウェアとの相性で、同じプリンターでも仕上がりの色味は違ってきますが、慣れたものを使うことで、どんな色が出るのか分かってくる。自分で最初から最後まで手がけることで作品が作れるのです。
――丹地さん、ありがとうございました

作品について説明する丹地保堯氏

■インタビューを終えて
デジタル技術の進化により写真が印画紙から開放され、どのように光を表現するかの幅が広がったように感じます。(特に写真技術が生まれる前において)絵画は写実的にものごとを描くことを目指していました。写真が絵画を目指すことで両者のパラレルな関係が浮き彫りになり、作家は、光をどのように表現していくかという問題により深く関心を寄せるようになりました。

今回の写真展は、様々な角度から9名の作家が『桜の記憶』をテーマにアプローチを試みる内容となっています。東京では桜が咲きはじめました。現実の桜と、あなたの中にある記憶の桜と、『桜の記憶』を同時に観ることのできる写真展です。

yumisong

ふにゃこふにゃお。現代芸術家、ディレクター、ライター。 自分が育った地域へ影響を返すパフォーマンス《うまれっぱなし!》から活動を開始し、2004年頃からは表現形式をインスタレーションへと変えていく。 インスタレーションとしては、誰にでもどこにでも起こる抽象的な物語として父と自身の記憶を交差させたインスタレーション《It Can’t Happen Here》(2013,ユミソン展,中京大学アートギャラリーC・スクエア,愛知県)や、人々の記憶のズレを追った街中を使ったバスツアー《哲学者の部屋》(2011,中之条ビエンナーレ,群馬県)、思い出をきっかけに物質から立ち現れる「存在」を扱ったお茶会《かみさまをつくる》(2012,信楽アクト,滋賀県)などがある。 企画としては、英国領北アイルランドにて《When The Wind Blows 風が吹くとき》展の共同キュレータ、福島県福島市にて《土湯アラフドアートアニュアル2013》《アラフドアートアニュアル2014》の総合ディレクタ、東海道の宿場町を中心とした《富士の山ビエンナーレ2014》キュレータ、宮城県栗駒市に位置する《風の沢ミュージアム》のディレクタ等を務める。 → <a href="http://yumisong.net">http://yumisong.net</a>