公開日:2015年10月9日

SIDE CORE 「TOKYO WALKMAN」インタビュー

日本のストリートアートと現代美術の境目をいく展覧会

TOKYO WALKMAN 展示風景
TOKYO WALKMAN 展示風景

hiromiyoshii roppongiでは、「ストリートのカルチャーに深く感化され、その影響を独自に消化した日本の新しい美術表現」を行う集団、SIDE COREによる、『東京ウォークマン』展が開催された。「ウォークマン」はソニーが開発した、ポータブル音楽プレイヤーの商品名で和製英語だ。通常屋外での活動の多いグラフィティライターや、ストリートカルチャーにベースを置くコンテンポラリーアティストたちが、今回はホワイトキューブに作品を投下した。東京のウォークマンまたは東京をウォークした男たちは、六本木でどんな展示を行ったのか。
本展で始めて作品をみせるアーティスト「エブリディ・ホリディ・スクワット」は、ANAGRAを主催する細野(以下:細)とグラフィティライター(以下:N)と、映像作家の三人による結成されたばかりのユニット。本日は細野とNに話を伺った。

ehs
ehs

-細野さんの普段の活動内容を教えてもらってもいいですか?
細:半蔵門でANAGRAという場所をやっています。基本的に僕一人で企画して作家さんと展示を作っていってるって感じですね。実は僕はANAGRAがある半蔵門で、二年間限定の立ち飲み屋さんをやってたんです。半蔵門は、おじさんとかOLやサラリーマンの人たちばっかりで、毎日そういう人たちと話す半分、半分ミュージシャンやアーティストたちと話す機会が多くて。両方の事を知れるのは良くて。ちょっとサンフランシスコに居て、戻ってきてANAGRAを始めたって感じなんですけど。

-細野さんのベースになっている美術ではなくて音楽と聞きました。
細:(ベースになっているのは)単純明確で、ハードコア。早いハードコアをやってました。中学の頃にビースティボーイズが好きになって、彼らのルーツを辿っていったら、そういう音楽が好きになっていって。それからビートミュージックというかヒップホップを聞くようになったというか。それからグラフィティとかストリートアートが好きになって。

細:もともと(活動は)ライブハウスでやっていたんですけれども、自由度が低くて。レンタルフィーがかかったり。そういうのがすごく嫌だった。ノルマを課して収益を得るんじゃなくて、一緒にパーティーっていうか展示を作ってリスクや負担もアーティストと共有する。失敗したらそれはアーティストのせいでもあり、僕のせいでもあるのだけれども。

-DIY(Do It Yourself)ですね。
細:そうですね。でもそれって普通のことですよね。特に「DIY!DIY!」って言うんじゃなくて。みんなやってることだし。コンビニの店員さんだって考えて仕事やってるし。周りを見る事とか手に入れることとか、それを普通にしたいんですよね。だからANAGRAでは、作家さんを育てるっていうのもそうですけれども、若いコレクターを育てたくて。

ehs
ehs

-Nさんは普段はどんな活動をしているのですか?
N:僕はグラフィティとストリートアートが好きで、作品を作っていて。普通にイリーガルなグラフィティもやるし、公共的なところで許可を得て壁画を描いたりもする。ただイリーガルなグラフィティっていうのは、すごい好き。僕はアメリカの影響が大きくて、人が行かないような場所に行ったりとか。高いところとか。すごい小っちゃいタグったり。そういう「変わった場所」って言ってしまえば簡単ですけど、そういう作品を街で作っています。

-ストリートアートに興味を持ったキッカケを教えてください。
N:ヒップホップの文化をテレビで見て。何に影響を受けたかは正直覚えてないんですけれども、気になったことをインターネットとかですぐに調べて、ユーチューブや写真を見たりとか、そういうのから始めたのかな。そこにはいろんなヒップホップのジャケットとかも映ってて。それとストリートロゴスって本でストリートアーティストを見て。当時はどちらかというとイリーガルな感じじゃなく、それこそわかりやすいので言えばOBEYとか(が掲載されているような内容)。日本語訳があったんで、そういう本や映像に影響を受けましたね。

-細さんとNさんが知り合ったきっかけは?
N:2013年の春、4月か5月頃かな。ANAGRAでDemskeyとPantoneの展示をやっていて。その当時一緒にやってたフォトグラファーと一緒に見に行って出会いました。(それがきっかけで細野さんとも)よく一緒に遊んだりしてたんで、作品を見せたりしてて。「こういう所に行ってる」とか、その中で一緒に作品を作ろうって。

細:僕も(ANAGRAを)始めたばっかりで、まさかお客さんがくるなんて考えてもなくて。ANAGRAで 1人で座ってたら2人が来てくれて、すごく嬉しくて。彼らが作った作品を見せてもらった時に僕が全然みたことないような作品ばっかりで。一緒に展示ができたらいいなって話をして。でもそこから(Nに他の)制作があるから空いて、その半年後の年末に(ANAGRAでNの)展示をしました。

N:(出会った当時)僕は海外から帰ってきたばっかりで、巨大な壁画が描きたくて場所を探しまくってて。東京リーガールウォールがないかなって探してて。その時に暗渠や廃墟に行ったりとか。プロジェクトにも参加してて壁画を描く予定があったから、半年間待っててくれって。

-Nさんは海外に行っていたのですね。
N:2012年に行きました。
細:じゃあ戻ってきてすぐANAGRAにきたんだ。
N:その時、展示の場所探してたんで。

-グラフィティをしに海外に行っていたのですか?
N:グラフィティに何があるかわかんなくなってて。今考えると全然グラフィティについて調べても無かったのだけど。でもなんだかんだグラフィティをやってて。やっぱお金にならないから、デザインとかイラストの方にも進んでいったけど、それでも行き詰まって。(海外に行こうと思った)キッカケはそんなには無かったんです。たまたま友だちがヨーロッパにいたので。ヨーロッパに三ヶ月、マドリッドに三ヶ月くらいいて。その時にグラフィティライターとかストリートアーティストが沢山いて。

-旅行ではどんな風に過ごしましたか?
N:グラフィティ特有の「描いてるだけですぐ仲良くなる」みたいな、そういう風に色々なアーティストと交流して。ヨーロッパで感じたことは、「街で描く」んじゃなくて、「街を使って描く」だね。スプレーで描くとかペンで描くっていうのは普通ってことで。そういうんじゃなくて、街に何にも持っていかなくても作品を作れるっていうか。街のものを使って作品を描くっていうか。街におちてる塗料を使って描くとか。そういうユーモアがあったり、発想が面白かったりとか。

-主にどういうところで描いてるんですか?
N:あんまり(特定の場所を)言って良いのかわからないんですけれど。東京で。その時は神奈川とか遠いから、とにかく東京で探してて。

ehs
ehs

-語り尽くされた議論で申し訳ないですが、日本にはストリートがないとも言われます。
N:それはストリートアートがないということですか?
-いえ、文化としてのストリートが成り立ちづらいという意味です。
N:それは公園は公共ぽいけど、実際は公共として機能していないってことですか?
-はい。
N:それは本当にそうなんですけれども、日本はきっちりしているけど、隙もいっぱいあるから。それこそ今使ってる所(暗渠)も隙なんで。そういう隙はあるし、絶対数は少ないけど、やってる人も少ないけど。逆にこれがいい環境なんだと思うようになって。ストリートがないって言ってくれてたほうが僕らにとってはラッキーですよね。やる人もいないし、鍛えられるんで。考えないと見つからないし。人より長く街にいたりしないといけない。

-誰のものでもないから、誰のものにもなる場所として現していく。坂口恭平さんの手法にも通じますね。
細:けっこうあるみたいですよね。探し出すと。銀座の一等地とか。これって日本ならではだなって。恵まれた環境にいる(公共という概念が一般化されている)人たちがそういう活動の仕方をするのかなと。だから(公共という感覚が)ある人にはあるし、ない人にはないし。Nを見ていると感覚があるなって思いますね。
N:(たくさんあったら)探す必要ないっすからね。

-公共物と私的なものの境界線を超えることと、コンテンポラリーアートとストリートアートの境界線とは関係ないですからね。
細:サイドコアでも常にそういうことと接していますよね。

エブリディ・ホリディ・スクワット 映像部分
エブリディ・ホリディ・スクワット 映像部分

-話を戻してエブリディ・ホリディ・スクワットを三人でやるようになった経緯を教えてください。
細:セリって企画を僕がやってて。お客さんが自分で値段をつけて購入するっていう、いわゆるサイレントオークションを年1回ANAGRAで企画してて。確かあれがキッカケ。3回目の時、Nが出品してて。会場は原宿のターミナルで、4〜50人ぐらい近いアーティストに参加してもらって、90センチかける90センチのスペースに作品展示をしてもらって。その時にNが下水道の作品を出してて。

N:その作品は自分で写真を撮って。僕は自分で写真を撮りたくなかったんですけれども、撮る人がいないから、自分で写真を撮ったやつを展示して。その作品が良かったからANAGRAでやろうということになって。映像撮ったりとか1人じゃできないから、映像やってる子と3人で一緒にやりましょうって、やることになりました。

-セリの写真作品は今も見れますか?
細:売れました。知らない人に。セリっていうのは、作家の名前も目録も出さないんですよ。「誰が描いたから」「知ってる人のだから」とか、余計な価値みたいなのを一切排除して、「自分が良いと思ったものに自分がいくら払うのか」というのを考えて欲しいって気持ちでやっているので、アーティストも主催者側も、誰が買っていくのかもわからなくて。ふらっと入ってきたおばちゃんが買って行ったりとかも、もちろんしていて。それがすごく面白くて。

細:アーティストとお客さんをつなぐ価値観がシンクロした瞬間に、モノにやっと価値が生まれるっていうかたちでやってて。いろんな物事って考えることが必要だなって僕は思ってて。それは絵について「その価値はいくらか」って考えることから始まって、食べるモノだったり住む場所だったり、着るものに対してもう少し思考して欲しい。

-価値基準、つまり信頼の拠り所を自分に置こうということですね。
細:そうですね。「なぜか」ということに答えられないものには価値がないというか。意図がないものには余命がないとうか。

-セリをきっかけにエブリディ・ホリディ・スクワットが結成されたのですね。
細:いや。それからまだ時間がかかってて。セリが1月だったんで、夏ぐらいにはやろうって進めていて。話してすぐってわけじゃなくて、「映像撮るならこの人かな」って感じでメンツは決まってたけど、ちょこちょこと打ち合わせしながら。
N:今年の4月か5月くらいかな。3人で暗渠に入ったのは。今回の作品を作り始めたのは今年になってから。

細:地下に潜ることって、もともとNが一人でやってたことなんですよ。東京でできる場所って少ないから、秘密のギャラリーってことでその場所に連れて行って絵を描いってって。実は今そこはすごいことになってる。でもそこじゃなくて、あくまでもその空間のドキュメントをすることに意識をおいて、僕たちはもっと奥に行って作った。それはいわゆる3人になり始めてから。

N:描くことに100パーセント主体を置いているわけじゃないし、描くことはあるし。こんどやる、描いている映像とかも、あんまりグラフィティをおしてるというより探検する途中に遊びながら描いたりとか。描いたら面白いんじゃないかとかでやってる。

N:海外では手法が出尽くしてるから、いろいろな事が起こっているかもしれないですが、日本はアートどうこうって考えではなくて切実に場所がなくて暗渠に入ったりとかしていて。本当に描く場所が無いから行っただけ。そこから発展して、いろんな人の影響も受けて 、こういう(今回展示している)作品になっていって。

-エブリディ・ホリディ・スクワットになってから描くことは少なくなった?
細:前回のANAGRAの展示も絵とかグラフィティって行為はほとんど出してないんですよ。作品が「なんなのかようわからん」という状況になって。その説明として地下のインスタレーションがあったっていうか。たぶん最初からグラフィティライターの展示っていう感覚ではNは見せたくなくて。

N:グラフィティって面白いんですけれども、面白くないっていうか。なんか難しいところがあって。(屋外で描かれた)グラフィティをそのまま屋内に持ってきても面白くなくて。

細:結果が見えるんですよね。結果とか空気がわかってしまうから。グラフィティライターの展示だったらこういう風になるだろうっていう。それをずーっと反芻して繰り返していくっていうのは何も変わらない。いわゆるオールドスクール。

-「グラフィティ」という様式に回収されてしまう。
細:それに外にあったほうが絶対いいんですよ、そもそも。どれだけでかい壁が美術館にあったとしても街にあったほうがいいんですよ。やっと意味がでるというか。それ(室内にある状態)は看板にしかならないんですよね。それは(美術館では)越えられなくて。それをやってもって思って。Nの作品を見た時にニュースクールな感じがしたんですよ。「おもしろい!」って。

-暗渠という地下空間に室内と屋外をつなぐ、「接続」としての機能をみたのですね。
N:っていうか、ANAGRAでやっているときに、グラフィティを外から中に持ってくるのは面白くないなって。どうやって伝えていいのかわからなかったけど、グラフィティをやっている時に身体を使っている動作とか、感覚的なものを中に持ち込めば、それはグラフィティの展示といえば展示だなって。そういうものをもってこれる展示ができたらいいなって。作品をもってくるんじゃなくて「感じ」をもってくる。動作だったり。うまく展示できれば、それは(グラフィティと)一緒だと。

細:例えば外に描きに行った時に、普段感じない身体の動きだとか。次の日朝起きた時に今まで全然使ったことない所とかが筋肉痛になってたりしてて。そうすると思い出すんですよね。「なんでここが痛いんだ!」って、「あの時にこうしかたらか痛いんだ」って。そういうことが展示を見に来てくれた人にも感じてもられたら。もって帰った後に感じる残像感。「まだ響いてる感じ」というか。

N:だからこの(今回の作品を見るための覗き)穴も高い所と低い所にあったり。極端にした感じがある。こっちもちょっと登って背伸びしないと見れないとか。そういう見にくくて嫌な体勢にさせるというか。

エブリディ・ホリディ・スクワット 映像部分
エブリディ・ホリディ・スクワット 映像部分

-私もボルダリングで普段使わない筋肉つかうと「こんな所を使っているのか」と驚きます(笑)。
細:スプレーとか僕も普段使わないんで、ここ(指)をこんなに使うんだと。(やり続けると)握力がだんだん無くなっていくを感じますね。そういうことを知ると、余計に見方が変わったりするし。見方だったり、感じ方が変わるといいなと。街の地下に「実はこんな場所があるんだ」と思いながら歩くと少し感覚が変わるというか。「もしかしてこの下にも(作品が)あるんじゃないか」とか想像してみたり。

-「こういう風に作品を見てください」という言葉ではなく、身体で理解を促すのですね。
N:その日は忘れても次の日にいやでも思い出させるっていう(笑)。
細:服の汚れとかもそうだよね。「なんでここ汚れてるんだ!」って。
N:残響感だよね。意図せぬタグ。

N:(前回の)ANAGRAの展示は環境が良すぎて、100パーセント作品展示に適した環境だったんですけど。今回の展示は場所をうまく使って展示しないといけないってことで。それで感覚的なもので同じような展示をしようってことで。極端に高い位置や低い位置で展示をしたり。前は降っていったんですけれども、ここは登ってみたり。

N:下水道の奥にある水が溜まる渦になっている地獄みたいな所があって、そこは本当に怖くて。行き止まりみたいなんですよ。細いハシゴをわたって、落ちたら巻き込まれていくような所があって。そこの映像をひたすら見る。ただ渦を覗くっていう(笑)。
細:視線と見えてるものと行動が全部、シンクロしている。しゃがんで低い視線から見たものにはそれに準じた映像があって。(作品を指差して)ここも上も。

N:最近知ったんですが、そこの場所は30分ぐらいしたら水がいっぱいになって流されちゃうような場所だったんです。最初は知らないから軽い気持ちであそびに行ってたけど、最近は行くたびに怖いです(笑)。口に出すと目の前にあるから「怖い」って口にはださないけど、みんな怖いって思ってるだろうと。その渦は中間地点でもっと長く続く勢いの強い川につながっていくみたいで。
細:その渦までは(歩いて)一時間くらいかな。

-今後の展望を教えてください。
細:いろんな所でやりたいよね。
N:場所もいろんな所でやりたいし。ここ(暗渠)は一箇所しか行ってないんで。
細:いろんな所に行きたい。
N:僕は最近これをやるようなって、こういう壁のちょっとした隙間とかも気になるようになって。例えばギャラリーとかでやるんだったらそういう所に全部映像を投影して。どこかしらでも細い隙間に映像があったら、見る人がみたら、もう街の見え方が変わると思うんですよ。ちょっとでも隙間があったら「なんかあるんじゃないか」って思うようになると思うんですよ。そういう展示ができたらいいなと。そういうことをやるにはそういう場所も探さないといけないし。あとは暗渠以外の所にも。新たな場所というか。でも僕は題材は街を使ってやりたい。街っていうか、外。

-「外」が重要なんですね。
N:外で描くというのは家で描いている時より記憶に残ってて 。グラフィティを僕がやってるのは、タグを一個しか描かなくても街を歩いているのは好きで、けっこう鮮明に残ってて。家で描いている時は、一人で、今日と昨日がそんなに変わらなかったりするけど。外で、例えば渋谷で描いてたら、訳がわかない奴に会ったりとか。変なことが訳わからず起きたりするのが好きです。だから外でやってます。あとは単純にストリートアートとグラフィティが好きだから。

-最後に、このインタビューを読んでくれた人たちに伝えたいことはありますか?
N・細:家にいてもわかんないこともあるんで、ここ(ギャラリー)に来ることだけじゃないんで。広いんで(世界は)。

-ありがとうございました!

yumisong

ふにゃこふにゃお。現代芸術家、ディレクター、ライター。 自分が育った地域へ影響を返すパフォーマンス《うまれっぱなし!》から活動を開始し、2004年頃からは表現形式をインスタレーションへと変えていく。 インスタレーションとしては、誰にでもどこにでも起こる抽象的な物語として父と自身の記憶を交差させたインスタレーション《It Can’t Happen Here》(2013,ユミソン展,中京大学アートギャラリーC・スクエア,愛知県)や、人々の記憶のズレを追った街中を使ったバスツアー《哲学者の部屋》(2011,中之条ビエンナーレ,群馬県)、思い出をきっかけに物質から立ち現れる「存在」を扱ったお茶会《かみさまをつくる》(2012,信楽アクト,滋賀県)などがある。 企画としては、英国領北アイルランドにて《When The Wind Blows 風が吹くとき》展の共同キュレータ、福島県福島市にて《土湯アラフドアートアニュアル2013》《アラフドアートアニュアル2014》の総合ディレクタ、東海道の宿場町を中心とした《富士の山ビエンナーレ2014》キュレータ、宮城県栗駒市に位置する《風の沢ミュージアム》のディレクタ等を務める。 → <a href="http://yumisong.net">http://yumisong.net</a>