丸の内ビルのマルキューブで2月28日に開催されたメディアアート・フェスティバル「AMIT2016」。第3回目となる今回は、〈都市〉〈テクノロジー〉〈アート〉の可能性について考察するワンデイ・イベントとして、メディアアート作品の展示やワークショップ、メディアアート関係者によるトークセッション、ライブなどが行われた。
アートと都市、いずれも進化し続けていく未来にある姿は何か。筑波大学図書館情報メディア系助教、落合陽一研究室(デジタルネイチャー研究室)主宰、メディアアーティストの落合陽一が、「デジタルネイチャーが拓く未来の都市」と題してプレゼンテーションを行った。
ちなみに落合は自身の作品《コロイドディスプレイ》も展示。シャボン玉に超音波をあて膜を細かく振動させることで、蝶を映し出している。ここに映っているのは南米原産のモルフォ蝶。この光沢は人の手で再現させられたことがなく、実現したかったのだそう。
この作品を作るため、落合はどの角度から超音波をあてるかといった仕組みを数式で記していく。「この過程を見たら、アートとは思いがたいかもしれませんね」「でも、これからのアーティストは、こういう部分まで考えていかなければいけないんだと思うんですよ」
文化が成熟し、メディアアートが発達。もはやコミュニケーションは時代とともに大きく変わっている。昔は雲の上の存在だった女優も、いまはTwitterから直接悪口を言うことだってできるようになってしまった。必ずしも仕事場が必要ではなくなり、機械は機械で独立した思考を持ち始める。
仕事と生活が一体化した未来において、落合は二つの都市モデルを予言する。ひとつは「マカオ化」。いわゆるステレオタイプ的な、ベーシックインカムで生活をしていくスタイルだ。もうひとつは、フランク・ゲーリーの建物のようなクリエイティブ化した都市。それぞれが独立した方向性でクリエイティブな仕事を実現していく。
「どちらが幸福かは、定義の問題です。どちらが上でどちらが下かという話ではない。」落合は言う。電脳世界がファンタジーではなくなった現代において、機械のお守りをしていた人が必要ではなくなる。では、その人たちはどこにいくのか。それが分からないと、都市の構造が分からなくなってるのではないかと語った。人間には到底不可能だと思っていたことを機械がいともたやすく実現する世界において、今後どのような都市が構成されていくのだろうか。
AMITのエキシビジョンでは落合の作品以外にも2作品が展示されていた。
J. S. バッハによる「フーガの技法」をモチーフに作られた抽象アニメーション。石田尚志は、絵画に時間性をとりいれた映像作品を発表し、国内外で活躍している。今作品も、バロックの巨匠バッハの楽曲「フーガの技法」全18曲の中から3曲がアニメーションとして構成されている。紙にインクで手描きされた素材は1万以上に及び、石田の熱量が感じられる。画面で線や幾何学的形態が変化していく。曲が進むにつれて、動きは激しくなり、重音が体内に響くような不思議な感覚だ。
やんツーと石毛健太、両名のアーティストがそれぞれ実家から持参した電動玩具や家電製品によって、絵画が構成されていくエレクトリカル・オートマティック・ライブ・ドローイング・インスタレーション。会場には、扇風機の風に揺られてペンを振り回す兵隊のおもちゃや、絵の具の上でネジを巻かれバタバタと暴れまわる人形などが展示されていた。誰にも予想がつかない、機械によって実現される「抽象絵画」の誕生である。
落合は、文化が成熟した現代において、エジソンは”アーティスト”だと呼ぶことができると語った。彼が生み出した発明は、文化的にはメディアアートと考えることができるというのだ。会場には、今まで人間を楽しませてきた機械たちが、現代に連綿と続く文化と融合し、新たなアート作品を生み出していた。これからの未来、都市とアートがどのように発展していくのか、その兆しを垣間見たイベントであった。