ギャラリストの小山登美夫が10の作品・人で振り返る:こうして私はアートの世界へ

ギャラリスト・小山登美夫の10daysアートチャレンジ。アート業界で働く前に影響を受けた、10の作品や展覧会を振り返る

In Main Article 2 特集記事 by Art Beat News 2020-06-12

コロナ禍のSNSでブームとなった、お気に入りの本の表紙を7日間にわたって紹介する「ブックカバーチャレンジ」をはじめとしたチャレンジリレー。多くの人々が様々なリレーに参加するなか、ギャラリストの小山登美夫は、アート愛好家・前川俊作のバトンを受け取り「10daysアートチャレンジ」に参加。アート業界に足を踏み入れる前の幼少期〜学生時代に影響を受けた作品や展覧会を自身のFacebookページで紹介した。

今回は、小山が美術業界の道へ進むまでの軌跡でもある「10daysアートチャレンジ」の投稿をTAB特別版として編集。ジャスパー・ジョーンズから浦上玉堂まで、受けた影響は多岐にわたる。

 

1日目:ジャスパー・ジョーンズ

10daysアートチャレンジの1日目に紹介するのは、ジャスパー・ジョーンズの版画です。この作品があったかどうかは定かではないのですが、1980年、佐谷画廊のジャスパー・ジョーンズ銅版画展を(京橋のどこかの2階の)佐谷画廊に見に行っていて、佐谷のおやじさん(と私たちは言うのですが)と話したことを思い出します。このビール缶の版画は、まずは彫刻をつくってからそれをモチーフにした版画。二重三重の引用が私にはすごく衝撃でした。ニューヨークに初めて行ったときに、初めて飲んだのもこのビール(エール?)。

 

2日目:奥村土牛《醍醐》

2日目は、奥村土牛《醍醐》(1972年)。じつは、私の中高の美術の先生が、奥村土牛さんの息子さんの奥村晃先生でその方にすごく影響され、進路の相談にも乗ってもらっていました。それとは別に、人形町の私の実家に一番近い美術館が、茅場町にあった山種美術館。そこに、この《醍醐》はあります。子どもごころにこの透明感、空気感、清潔感に惹かれたのだと思います。いまも、このあたりの日本画家は大好きで、かたよりありますが、前田青邨、小林古径とか小茂田青樹、小野竹喬、福田平八郎、徳岡神泉とか……大好きですね。このあいだ、平八郎の作品も買っちゃいました。

現代美術の世界にいると、絵ってもっと豊かなものなのにって、思っちゃいます。昔のも、いまのも、日本画も、洋画も、抽象も、ミニマルもつながっているのに……。いろんな作品を見るのは楽しいですよね。

 

3日目:寺山修司

3日目は、寺山修司。いま、家を片付けていたら、昔のチケットが……。こんなの大事にとっていたんですね。寺山さんに関する映画、美術展の資料もあったのですが、一番多かったのが天井桟敷。寺山さんの命日(5月4日)の昨日、榎本了壱さんのFacebookでお墓の写真を見て、そうだ、寺山さんの衝撃を書こうと思っていたら出てきました。5月4日は、3年前に死んだうちのお袋の命日でもあり大事な日です。

初めて天井桟敷の公演を見に行ったのは、晴海の見本市会場で開演された『レミング』。階段を登って入り口へ入ると広大な見本市会場の真ん中に舞台が2つあり、その周りにはスモークが焚かれ、ヘンテコな帽子をかぶった人がゆらゆらといて、そこでオートバイがグルグルと走行していました。第28回の公演は1979年だから、私が16歳のときで、ほんとやばかったです。そのあと、渋谷ジァン・ジァンで『観客席』や麻布の天井桟敷の小さな劇場でバタイユの『C神父』とか、最後の公演になってしまった紀伊国屋ホールでの『レミング』も見に行きました。いま調べたら、寺山さんは47歳で亡くなったのですね。本当に若かった。残念です。演劇はもう、そのときしか見れないので、思い出のチケット、封筒(この字、寺山さんっぽいです)の写真です。

 

4日目:相米慎二『ションべン・ライダー』

4日目は、相米慎二監督の映画『ションべン・ライダー』(1983年)。現代美術の関係者の人はほとんど知らないんじゃないかと……。振り幅大きすぎてすみません。本作は、デビューの頃から大好きだった相米慎二監督による『翔んだカップル』(1980年)「セーラー服と機関銃』(1981年)につづく3作目。

相米監督はかつて長谷川和彦、寺山修司の助監督だった人。監督作としては、私の芸大の先輩だった加藤祐司さんが脚本を書いた『台風クラブ』(1985年)のほうが有名かな?でも、『ションベン・ライダー』は大きなアクションとそれを追う長回しと話の構造の複雑さにおいて、ひとつの集大成のような感じだと思います。また、大きなスクリーンで見てみたい。『台風クラブ』ももちろん大好きです!

ちなみに、本作封切りの同時上映は、『うる星やつら オンリー・ユー』。私はアニメ作品をほんとに見ないので、劇場で見たのは、これとあと2本ぐらい。劇場では『うる星やつら』のときは満席で『ションベン・ライダー』が始まると、お客さんの人数は半分ぐらいになってました。

 

5日目:東京都美術館「今日のイギリス美術」展

5日目は、現代美術にもどります。多分、いままで自分が日本で見た展覧会の中で一番衝撃を受けた展覧会といっても過言ではない、1982年の東京都美術館での「今日のイギリス美術」。

東京都美術館は母校の藝大から近い美術館なのでよく行っていたのですが、この展覧会はちょっとアカデミックなものから、超最先端まで、美術に関する常識が覆された展覧会です。イギリスならではの具象絵画のルシアン・フロイト、フランク・アウアーバッハ、デイヴィッド・ホックニー(スタンリー・スペンサーはあったかな?)からの、バリー・フラナガン(「野うさぎ」シリーズを世に出す前)、ギルバート&ジョージ、ロジャー・アックリングなど。でもとにかくすごかったのは、拾い集めたゴミのかけらを壁面にくっつけていたトニー・クラッグ、美術館の壁に直接テープで電球とか定規とか日用品を描き出したマイケル・クレッグ=マーチン、あと、道路の表面をそのまま剥がしてとってきたようなマーク・ボイル(のちにボイル・ファミリー)。

当時、大学でも学生が盛んにインスタレーション制作を始めていたときですが、アーティストの選び方から展示の仕方まで、ほんとにかっこよかった展覧会でした。皆さんもこの展覧会の体験があったら教えてください。もっと思い出したいです。

 

6日目:イブ・クライン

6日目はイブ・クライン。青で有名なイブ・クライン。1979年、フジテレビギャラリーで「イブ・クライン展」を見ました。高校生の頃でしたが、講談社の美術書『現代の美術」が大好きだった私は、そこに出ている美術家(アーティストなんて言葉使わなかったな)の展覧会を雑誌『ぴあ』や『シティロード』で見つけると、どこでも見に行ってました。

当時、フジテレビギャラリーは河田町のフジテレビ本社の入り口あたりにあったすごく大きなスペースで、ピカソやクレーとか、フォンタナ、草間彌生、ショーン・スカリー、清水九兵衛、チャック・クロース、バリー・フラナガン、ザオ・ウーキーなんか時代に活躍するすごいアーティストの展覧会をしていた、マジメなすごいギャラリーだったんです!(いまも、お台場にフジテレビギャラリーあるみたいですが、それはどんなのか知りません……。)そのイブ・クラインを見たときに衝撃を受け、すごく感動しました。

美術をつくるときに派生する構図とか、色の使い方とかいろんな部分があるのですが、それが全部取っ払われ、それまで経験したことのないような感覚。クラインが火の絵画と呼ぶ作品をつくっていく過程の映像がそこにはあったのですが、それがたまらなくおかしかったです。真面目な顔をして火を画面(たぶん紙)に吹き付けているクラインの横で、消防士が火を消している……その痕跡。彼らの活動はヌーボー・レアリスムと言われてましたが、本当に新しいと思いました。

でも、このギャラリーで見る前に多分、グァルティエロ・ヤコペッティの映画『世界残酷物語』(原題は『Mondo Cane(犬の世界)」)で、女性に青のペイントをつけて人拓を音楽に合わせて制作しているクラインを見ていたはずなんです。でも、その試写会でクラインが怒りで初めての心臓発作を起こしたように、彼の意図はまったくスキャンダラスなものではなかったと思います。『非物質的絵画的感性領域の譲渡』(1959年)というパフォーマンスも、金箔や金塊を持って来た参加者にクラインは領収書を書き渡す。そして、クラインはその金塊をセーヌ川に投げ入れる、同時に参加者はもらった領収書を燃やす……そんなことやってました。

こんなクラインの大きな展覧会が西武美術館で開かれたのが1986年。そのときに多くの資料やクラインの言葉や批評が日本語になり、より一層の理解を深めさせてくれました。神秘的ではありますが、中心を持たない、かつ象徴性もない彼の作品の存在──彼自身の存在が、素晴らしいです。彼の前にも後にもこういうアーティストはいないんじゃないかと思います。作品よりなにより、彼の顔がいい。何と言ってもこの顔だ。

作品はぜひ、美術館で見てください。東京都現代美術館、いわき市美術館とかすごいのもってます。日本で柔道を習っていたとか、フランスで初めての柔道の本を出したとか、亡くなった1962年に、東京画廊で個展をやっていた、とかいろいろ日本と関わりがあることも面白いですね。

 

7日目:デイヴィッド・ホックニー

7日目。もう4点しか選べないと思うと、困るものですね。でも、この人は入れないとと思っているアーティスト。デイヴィッド・ホックニーです。いつだか忘れてしまったのですが、銀座2丁目にあったときの西村画廊にいくと、プールの連作が展示されていました。これはいままでの絵の考え方と違う感じ。色も光とかそういうテクニックはバッチリで、でも、頭を多く使ってる……感じ。プールという現代的で人工的なモチーフで、いろんな実験をしていました。実験……それがホックニーの好奇心にとって、たまらなくスリリングで飽きることのないことなのかも。その後、私は西村画廊で働かせて(遊んでいたようにも思いますが)もらって、写真のコラージュや、ホテルアカトランシリーズや、チャイナ・ダイアリーの写真の展示を見て来ました。テートでの回顧展、去年の北京でのテートのコレクションからの個展も見続けて、ほんとに見飽きない素晴らしい刺激をもらえるアーティストです。

このプールが一番初めに見た、実物の物体としての、ホックニーの作品。

 

8日目:ダニエル・ビュランのパフォーマンス

8日目は、ラフォーレ原宿で見た、ダニエル・ビュランのパフォーマンス。1982年に国際交流基金の主催で開かれた「行為と創造」という企画で、南條史生さんが担当したものだったみたいです!学生だった私はもちろんそんなことを知らず、本で見たことのあるビッグアーティストのヨーゼフ・ボイス、ダニエル・ビュラン、ダン・グレハム、ブルース・マクレーン、ジュリオ・パオリーニが日本に来る、パフォーマンスする、見たい!ということで駆けつけた次第です(ボイスは来なかったみたい)。ビュランを選んだのはなぜだかわからなかったのですが、あのストライブの紙を貼ったり、剥がしたり、黙々とパフォーマンスというか作業をしていく姿に、すごく強烈な印象を持ちました。ビュランがいまでもそんなに好きではないのですが、そんなことととは関係なく、この企画のリアルさや、この時代に、このアーティストでこれを見せる!という意志が見ることのできた素晴らしい体験でした。 

 

9日目:東京国立近代美術館「1960年代ー現代美術の転換期」展

このアートチャレンジは「仕事に入る前の体験」という縛りをかけたので、大変ですね。9日目は、「1960年代ー現代美術の転換期」(東京国立近代美術館、1981年12月)。日本の現代美術、前衛美術をたぶんまとめて見たのはこれが初めてなのかな?大学1年の頃。そのとき、大学では、榎倉康二さんや井川惺亮さんが教えていて、川俣正さんや田中睦治さん、保科豊巳さんたちが学内で展示してたり、奥の空き地で坪良一さんが穴を掘ってたり、デザインでは日比野克彦さんの大学会館での展示、油画科で有吉徹さんが博士になったとか、そんな状況の中で、同時代の美術にわからないながらに接してました。

この展覧会の60年から繋がって、そのときは80年代。前衛でいられた時代がちょっとずつなくなっていく時代だったと思います。ここでの強烈な印象は、中西夏之、高松次郎、工藤哲巳。あと、吉原治朗の《黒地に白》(1965年)は、東京国立近代美術館のリニューアルの前に加山又造があった階段前に展示してなかったかな?そこで、しばし立ち止まってしまったこともありました。

 

10日目:浦上玉堂

10days アートチャレンジの10日目。最後です……やっと。最後は大学の卒論(?)に選んだ浦上玉堂。卒論と言えるのかどうか、卒業できたけど……。私はもちろんいい学生ではなく、演劇の助手をやったり、映画の手伝いをしたり、夕刊イトイのバイトをしたり、銀座のクラブ(小池都知事の言うナイトクラブのほう)のバーテンをやったりして、じつは2年留年しちゃいました。最後の年は、西村画廊とバーテンを掛け持ち。いろいろやってました。

浦上玉堂は江戸時代の文人画の人で、川端康成が所有した国宝《東雲篩雪図》が有名。でも、備中鴨方藩の大目付までやった人なのに、50歳で息子2人を連れて脱藩。琴を携えて全国をまわったらしい。ブルーノ・タウトが彼を評価したことも有名。作品に近代性を思って卒論のテーマに選んだのですが、その興味は、彼の評価に。いまではまるっきり反対になってますが、明治の頃には、玉堂よりも息子の春琴のほうが大きな評価を得ていたらしい。ほんと!?ということで、調べたら、親父のほうは大正後期から昭和の初めに再評価ということらしい(前にも言ったようにダメな学生なので嘘かもしれません)。そんなことが面白く、評価というのは時代によって変わっていくんだなというのが、実感されました。

いまでも、辻惟雄さんの著書『奇想の系譜」などで皆さんが多くの画家を再発見されるように、つくる側の時代もあるのですが、見る側の時代もあるのだと。玉堂は、ふらふらと琴を奏でながらお酒を飲んでは絵を描くという、自由なスタイルなのかなと、プロの画家とは違うと思って一度は嫌になったこともあるのですが、その作品からは逃れられない。どうしたって、いいし好きなんです。アンリ・ミショーとか、アルトナン・アルトー、ウィリアム・S・バロウズとかもすごい作品を残してます。そうすると、描くというのはどういうことなんだろうと、考えさせられました。玉堂もじつは、真面目に制作に打ち込んでいたらしく、浅はかに一瞬でも疑った私が恥ずかしいです。岡山の総社のお墓参り、新潟に「煙霞帖」を見に行ったのが懐かしいです。あとは4年前、千葉市美術館での展覧会は玉堂、春琴、秋琴3人の展覧会「文人として生きる− 浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術」。良かったです。

 
小山登美夫
1963年東京生まれ、1987年東京芸術大学芸術学科卒業。西村画廊勤務、白石コンテンポラリーアートでの勤務を経て、1996年、小山登美夫ギャラリーを開廊(2016年ギャラリーは六本木に移動)。2018年まで明治大学国際日本学部特任准教授。著書に『現代アートビジネス』(アスキー新書)、『この絵、いくら?』(講談社)、『何もしないプロデュース術』(東洋経済新報社)、『見た,訊いた、買った古美術』(新潮社)など。日本現代美術商協会(CADAN)代表理事。

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