2月1日、国際芸術祭「あいち2025」記者会見が開催され、テーマ/コンセプトや参加アーティストが発表された。
「あいちトリエンナーレ(Aichi Triennale)」は2010年から3年ごとに開催されており、今回で6回目を迎える。前回からタイトルを改め、今回は国際芸術祭「あいち2025」となる。
会期は2025年9月13日〜11月30日。主な会場は愛知芸術文化センター、愛知県陶磁美術館、瀬戸市のまちなか。
会見では大林剛郎 組織委員会会長による挨拶に続き、芸術監督のフール・アル・カシミ(シャルジャ美術財団理事長兼ディレクター、国際ビエンナーレ協会会長)が登壇。冒頭は日本語で本展の企画意図やメッセージを語り、後半は通訳を挟んでコンセプトの詳細や参加作家について説明した。また、参加作家のなかからアドリアン・ビシャル・ロハスが参加した。
テーマ/コンセプトは「灰と薔薇のあいまに」。これはモダニズムの詩人アドニスによる詩から着想をえたもの。アドニスは、1967年の第3次中東戦争の後、アラブ世界を覆う灰の圧倒的な存在に疑問を投げかけ、自身を取り巻く環境破壊を嘆いた。この詩にはしかし、消滅のあとに訪れる花の開花という未来への希望も託されている。
枯れ木に花は咲くのか
灰と薔薇の間の時が来る
すべてが消え去り
すべてが再び始まるときに
愛知県をはじめ周辺地域に滞在し、その歴史や文化の理解に努めてきたというアル・カシミ。本展は、人間と環境の関係を見つめ、これまでとは別の方法で問いを投げかけるものになるようだ。
「瀬戸市の博物館を訪れた際、黒い煙をあげている古い工場の写真を見せてもらい、現在のスモッグに覆われた空や気候変動を連想しました。
私たちと環境との関係は、長い年月をかけてどのように変化してきたのでしょうか。かつての私たちは、自然と一体化していたのでしょうか。女性が部族の長を務める多くの先住民族の母系社会がそうであったように、自然と完全に調和しているというのは、童話の世界のものなのでしょうか。そしてこれからの未来はどうなるのでしょうか。私たちはすべての命を破壊して、別の未来を作ることによって、住みにくい世界を作っているのでしょうか。私たちは戦争や資源の採取、遺伝子組み換えなどによって、この世界を荒廃させてきました。私たちはアドニスの詩を読みながら、手塚治虫さんのマンガ『来るべき世界』にも注目しています。
愛知県のキュレーターやアーティストと一緒に、答えはないかもしれませんが、可能性を想像する場を作れるような展覧会を開催したいと考えています」
第一弾として発表された参加アーティストは、ダラ・ナセル、沖潤子、小川待子、アドリアン・ビシャル・ロハスの4名。
今回は発表されなかったが、全作家数は前回より少ない50組程度を想定しており、そのぶんパフォーマンスなどのプログラムを充実させる予定だという。
アル・カシミは日本の作家はもちろん、自身が属するアラブ地域のアーティストが本展に参加する意味についても考え伝えることを重視していると語る。
ダラ・ナセルは1990年レバノン・スール生まれ、同国ベイルート拠点。多様な素材を用いて、抽象概念とオルタナティブなイメージを表現する。絵画、パフォーマンス、映画などのジャンルを横断した作品を手がける。ナセルの作品は、資本主義と植民地主義的な搾取の結果として悪化していく環境、歴史、政治的な状況に、人間と人間以外のものがどのように関わり合っているかを探求する。その作品を通して、環境がゆっくりと侵され、侵略者が搾取を行い、インフラが崩壊する様子を、人間以外のものの視点から表現する。
会見では2023年の第15回シャルジャ・ビエンナーレでの展示の様子などが紹介された。
小川待子は1946年北海道生まれ、東京都拠点。東京芸術大学工芸科を卒業後、1970年からパリ国立高等工芸学校を経た後、人類学者の夫の調査助手として西アフリカ各地で3年半を過ごし、現地の土器づくりの技法を学んだ。パリ滞在中に鉱物博物館で、鉱物の美しさのなかに「かたちはすでに在る」という考え方を見出し、ゆがみ、ひびや欠け、釉薬の縮れなどの性質を活かし、作ることと壊れることの両義性を内包する「うつわ」として、始原的な力を宿す作品を制作している。
今回の会場に瀬戸市が含まれていることからも、大地と関わる陶芸の技法は大きなポイントになりそうだ。
沖潤子は1963年埼玉県生まれ、神奈川県拠点。生命の痕跡を刻み込む作業として布に針目を重ねた作品を制作。下絵を描かずに直接布に刺していく独自の文様は、シンプルな技法でありながら「刺繍」という認識を裏切り、見る者の根源的な感覚を目覚めさせる。古い布や道具が経てきた時間、またその物語の積み重なりに、彼女自身の時間の堆積をも刻み込み紡ぎ上げることで、新たな生と偶然性を孕んだ作品を生み出す。存在してきたすべてのもの、過ぎ去ったが確かにあった時間。いくつもの時間の層を重ねることで、違う風景を見つけることが制作の核にある。
アル・カシミは沖の作品について、刺繍という手仕事を通してつながる作家とその母との関係について言及。またこうした作品についてフェミニズムの視点から考えることができると語った。「女性に対し半ば強制的に課される仕事ととらえられてきた刺繍という手法だが、沖さんの作品は非常に自由なかたちでなされている。それは女性のアートとしての仕事である」(アル・カシミ)
アドリアン・ビシャル・ロハスは1980年アルゼンチン・ロサリオ生まれ、拠点。共同制作やコラボレーションによる長期的なプロジェクトを構想し、大規模でサイト・スペシフィックなインスタレーションを各地で展開してきた。彫刻、ドローイング、ビデオ、執筆、行為や事象の痕跡などを組み合わせながら、ポスト人新世時代における種間の境界線を探る。
アル・カシミは10年に及ぶ長いあいだ作品を見てきた作家としてアドリアン・ビシャル・ロハスを紹介。作家本人も登壇し、作品制作のプロセスなどについて説明した。《Mi familia muerta》は森のなかでクジラのかたちの造形物を作り、そのまま朽ち果てるまでを見るという、自然環境との関わりに言及するサイトスペシフィックな作品だ。
すでに発表されていた芸術監督フール・アル・カシミに加え、以下の企画体制も発表された。
学芸統括:飯田志保子(キュレーター)
キュレーター(現代美術):入澤聖明(愛知県陶磁美術館学芸員)
キュレーター(パフォーミングアーツ):中村茜(パフォーミングアーツ・プロデューサー)
キュレーター(ラーニング):辻琢磨(建築家)
キュレトリアルアドバイザー(現代美術):石倉敏明(人類学者/秋田公立美術大学アーツ&ルーツ専攻准教授)、趙純恵(福岡アジア美術館学芸員)
会場からの質問で、昨今のイスラエルとガザの問題が本展のテーマや作家選定に影響を与えたかと問われ、アル・カシミはこのように答えた。
「私が中東出身の女性であるということと本展は無縁ではありません。しかし中東は以前から紛争や戦争を経験しており、1948年から続いています。戦争というのは新しいトピックではありません。こうした戦争や環境の問題を私自身はずっとテーマとしてきました。ですから、現在の状況から直接テーマや作家を選んだということではありません」
戦争や紛争、そして地球規模の環境破壊。本展はこうした現代を生きるうえで目を逸らすことのできない喫緊の問題に対し、中東をベースとする芸術監督の視点を通して向き合う機会になりそうだ。続報に期待したい。
国際芸術祭「あいち2025」
Aichi Triennale 2025
会期:2025年9月13日〜11月30日
会場:愛知芸術文化センター、 愛知県陶磁美術館、瀬戸市のまちなか
主催:国際芸術祭「あいち」組織委員会(会長 大林剛郎[株式会社大林組取締役会長 兼 取締役会議長])
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)