紺泉 「ある庭師 - 多分のひととき」

原美術館(東京)

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原美術館ではこのたび、紺泉(こん いずみ)と庭師によるプロジェクトを行ないます。この企画は、作庭(中庭にて)、絵画を中心としたインスタレーション(1 階廊下展示スペースにて)、庭師のスウィーツメニュー(紺が手がけた香蘭社の「お皿の休日」シリーズに合わせたスウィーツ2 種/カフェ ダールにて)という、三つの要素によるユニークな構成となります。

紺泉は、1977 年東京生まれ。「目の前を流れていく物・デザイン・風景・装飾・・・の表層を雑誌から切り取り、描く」という手法で、靴、化粧品、ジュエリー、椅子、お寿司、スウィーツや野菜などのモチーフをみずみずしい感性でとらえた絵画を制作してきました。紺は、日常にあふれるイメージから、心惹かれる物たちを感覚的に選びとり、綿布を張った厚みのあるパネルに、アクリルや水彩絵具、墨などを用いてひとつひとつ丁寧に描いていきます。独特な「間」と色彩、緻密なディテイルと繊細な肌合いを与えられて、画面に収められた物たち。もとの機能や構造、役割から解き放たれることで、その物が本来持っていた「装飾性」だけが際立ちます。同時に、パネルの厚みはモノとしての厚みを得て新たな存在感を放ち、見る人の感覚を二次元と三次元、虚構と現実のはざまに揺さぶるのです。たとえば、家具と描いた家具を共存させたインスタレーションや、リボンをかけることで開かないプレゼントとなった絵画。紺は、空間と作品との関係を独自の視点でとらえ、異なる要素の間に横たわる境界を軽やかに飛びこえてみせます。

紺はこれまで、「乞はんにしたがふ」という言葉に影響を受けて制作をしてきたと言います。この言葉は、平安時代に橘俊綱(たちばなのとしつな)が編んだといわれる、日本初の造園書『作庭記』にあります。「その石のこはんにしたがひて」「その石のこはんをかぎりとすべし」など、作庭するには、人為よりも自然の地形を手本にすること、またその「こはん」を感じる作り手は、磨かれた教養やセンスの持ち主であることを前提としているのだそうです。そして、経験や知識に頼ることなくとらわれのない心で、自然の流れを体で感じて庭に向かう。その無我無心な創作の中に自ずと、作り手の固有な表現や創造性が反映される。そうしたありかたを理想とする紺は、できる限り自分の意図を消すことで、微かに動く自分の感覚を確かめながら、もの自体の放つ魅力をとらえようと試み、制作しています。紺の作品は、ともすれば意図的なものが重視されがちな現代美術の中にあって、きらりと光るすがすがしい魅力を放っています。

今回、紺は理想の人物である庭師とともに、『作庭記』の「乞はんにしたがふ」という言葉に寄り添いつつ、従来の概念にとらわれない独自の「作庭」を試みます。そして、この庭師とは。紺いわく、庭師は「無我無心に庭造りに打ち込む。細身の長身。寡黙。携帯やパソコンは持たない。スウィーツが好き。乗り物にはほとんど乗らず、長距離でも歩く(散歩による面白い発見も楽しんでいるらしい)。キメ過ぎない洒落たシャツを着ている・・・」という人物なのだそうです。真夏の原美術館の庭は、紺と庭師に何を「乞はん」としてくることでしょうか。「多分のひととき」の「多分」とは、紺が「絶対ではない、答えが一つではない、残されている余りの空間で遊べること…」と、曖昧でありながらそこには出来るだけ「多く」の可能性が幾重にも横たわっている言葉として捉え、この度の「ひととき」につけ加えました。紺と庭師の織りなす時空が記憶の一片に繋がれば幸いです。

メディア

スケジュール

2007年08月10日 ~ 2007年08月31日

アーティスト

紺泉

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