「音の風景、こころの風景」展

アートセンター・オンゴーイング

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このイベントは終了しました。

私たち人間は「視覚」が優先される動物である。お互いの顔や体、映画や広告、公園の景色を見たり、電車からのさえない眺めにがっかりする。人間は目の前にあるものを見るとき、特定のものだけを認識し、残りは視野にありながらも無視する。これが「世界」と「世界を見ること」の違いである。そのように見て「選ぶ」さらに蓄積した感動から創る専門家が芸術家である。芸術家が描く風景画、機械の撮る風景写真。その違いは、風景画には芸術的なセンスと「心の風景」が含まれていることにある。
ところが人間は視覚的であるがゆえ「音」の知覚が同様なものであることを忘れてしまう。

目を閉じると、まるで音による風景があるかのように「音」は隠されていた多くの事象を明らかにする。
たとえば閉じられた部屋の向こう側で誰かが話しているとする。聞き耳を立てると普段は気にも止めなかったエアコンがうなっている音に気付いてしまう。さらにはその見えていない部屋がはたして静かであるのか騒がしいのか、快適なのか緊張しているのかも音で判定できる。この例からも「音」は「世界を見ること」と同じようなとらえ方をしていると見なせる。ある音にはマルセル・プルーストにおけるマドレーヌのごとく過去(失われた時間)を呼び覚ます力がある。わたしは二十年も前の踏切の錆びた鉄門の音を思い出す。そのような時に「心の風景」に近づいているのではないだろうか?
コンピューターに代表される機械は、「音」を無視することは出来ない。人間と違って、興味や美に左右されずすべてに注意を向け記録写真のごとく記録していくからだ。それに比べ私たちの音声知覚はむしろ芸術家の描く「絵画」のようなものと言ってよい。そうすると私たちは音声知覚では芸術家(サウンドアーティスト)なのかもしれない。わたしたちが主観的に選びとって感じているサウンドスケープは、その主観的感覚を裏付ける「心の風景」を明らかにしてゆくのだろう。

この展覧会と関連するワークショップでは「音」が記憶を呼び覚ます力を探求してゆく。過去や現在、周囲の状況音がどのように内的世界につながるのか?わたしたちは芸術的なプロセスを用いて愛情か憎悪を選び、さらに記憶するに値するものを決めているのか?さらにクールに考えれば、ヒアリング機械とヒアリング人間の違いは何か? 私たちは自己を取り巻くものの音を聴いているが、その取り巻くもの達は私たちから何を聴いているのか?日常に存在するモノ達が聴くことの出来るもの、聴いているもの、好きなもの、思い出しているものははたして何であろうか? 

これらの課題を通して、知覚を捉え直し創造を発展させることを目指している。

トークイベントの詳細はHPご覧下さい。

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スケジュール

2008年11月26日 ~ 2008年12月07日
開催時間 12:00-21:00

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