柴田敏雄 「ランドスケープ」

東京都写真美術館

poster for 柴田敏雄 「ランドスケープ」

このイベントは終了しました。

柴田敏雄は東京芸術大学・同大学院修士課程終了後、ベルギーの王立アカデミー写真学科入学。留学を機に写真を撮り始め、帰国後の1980年代後半に、ダムやコンクリートに覆われた造成地など人工的に変容された風景を独特の視点で捉えた写真で注目されました。

'92年、その年に写真界に一番影響を与えた新人に贈られる木村伊兵衛写真賞を受賞。大型の8×10カメラを使い、克明に表現された柴田の写真は、客観的に普遍的な風景を捉えているように思われます。しかしその中に日本ならではの風土や社会問題を想起させ、見るものに強い印象を与えてきました。静謐で抑制された写真から、まず自然の中に組込まれている人工物の美しさに目を奪われ、その後に自然に対する警鐘を感じ取ることができます。

'90年代後半からはアメリカ各地のダムも撮影しており、その対象は日本国内だけではなく拡がりを見せています。特に地名などがすぐに分かるようなものは一切写り込んでいないにもかかわらず、それぞれの国や地域の微細な差異が、あたかもそれぞれの土地の抱える問題として、凝視すればするほど浮き出てくるように感じられるでしょう。

国内だけではなく海外の多くの美術館にも作品が収蔵されているなど評価が高いにもかかわらず、これまで国内の美術館においてその軌跡を辿ることができる機会はありませんでした。今回は東京都写真美術館と作家が収蔵している作品を中心とし、近作のカラー作品の展示も併せて行い、現時点での柴田の活動を振り返ります。

[画像: 「Grand Coulee Dam, Douglas County, WA」(1996)]

メディア

スケジュール

2008年12月13日 ~ 2009年02月08日
12月29日(月)〜1月1日(木)は年末年始休館

アーティスト

柴田敏雄

Facebook

Reviews

sightsong: (2009-01-02)

大判フィルムによる精緻さは手段の力を超えている。誰の視線なのかを問うことができるスリリングな作品群。
http://pub.ne.jp/Sightsong/?entry_id=1876230

michi: (2009-01-07)

美術館にはよくある「友の会」というシステムがあって、今回1400人程度の会員から事前希望により100人に向けてイベントが開かれた。学芸員と柴田敏雄自らによる展示案内。公園で超望遠レンズを装備して野鳥を撮影してそうな老人から、友人たちをスナップしていそうな美術系の学生まで幅広い層が集まっていた。

安保闘争の頃、東京芸術大学の油絵学生だった柴田さんは、やがてベルギーの王立アカデミーで写真を始める。1992年・木村伊兵衛賞受賞、モノクロにこだわっていたが、5年前ほどからカラーを始めたという。大型8×10カメラを使い、精密なまでに細部を表現された写真は、ダムやコンクリートに覆われた造成地など人工的に変容された風景が多く、トリミングがとても絞られているせいで抽象的な絵画にも見え、日本的な風土を捉えているのにどこか普遍的でもあり、そんな作風が海外でも注目されているようだ(以下、メモは取っていないので本人の言葉は記憶に頼っています)。

油絵画家を目指していた点、アカデミーでの写真学、その後のモノクロへのこだわりなど、話を聞いたせいか、柴田さんの写真には一品作品としての重みが強く感じられた。例えば、モノクロに関しての言及。「モノクロは諧調の差異がとても重要で、この赤い橋のような写真はカラーを始めていなければ撮っていなかった」、「はじめに小さい印画紙へ焼き、次に大きくする段階で選定を行う、最終的に引き延ばす写真を選ぶにはあえて撮影から数か月、数年と、時間を置く」。一方カラーに関して、「カラーは焼き方へこだわらず、あくまでも見たままに表現されるようにしている」「色を重ねたりなどは一切行わない」。

どうやら、写真家にとって手作業で画を焼き付けていく過程とは、特別で不可欠な時間なんだと思った。「写真をはじめたきっかけは、誰でも何処でも出来る気軽さ」と言ってはいるが、一方で「デジタルに移行する気持ちはない」というあたりに、写真という作品に内蔵された、様々な時間・工程を愛しむ姿勢を感じた。直接現地へおもむくフィールドワーク、シャッターを押さないとはじまらない狩猟性、撮影から作品評価へとクールダウンさせるための時間、現像という編集プロセス。写真作品として、世の中へ出てくるまでに行われる過程を思い、再度作品を見て回った。

「海外で撮る写真は観光としての視点を避けられない」「文化の背景を知っている日本へ戻って先入観のない写真を撮りたかった」、「稲穂の連続した風景は、認識され過ぎている」「この写真は稲穂のリズミカルな点を見せたかった」これらの言葉からは、かつて自分の中で、写真を単なる広告や新聞のメッセージ媒体としか感じられなかった時期から、作品として自立していく認識の変化を思い出した。撮る側と同じような問題意識を持って写真を見ることはとても楽しい。

http://www13.atwiki.jp/kmpnote/

yourboringandpatheticart: (2009-01-27)

At long last, a show worthy of admission, Ok well the Tomei Shimatsu and the Eikoh Hosoei were fine too. This is a surprisingly nice selection of Shibata's oeuver, but man is it crammed in and with out his guidance I doubt the curator has any other intenntions other than to slap his works on the wall. Instead of slathering the walls with photos like a teenager's room. If she were to treat the work with some respect and moreover we viewers, less like funding sources and more adults who actually have a few thoughts about photo and curatorship, the place might be more successful. I am very happy to see Ssibata's work recognized but is it not worth 2 floors and one low price? A little more space to feel less begging for recognition and perhaps a more thoughtful curatorial angle? Slapping pictures on a wall is easy, bringing them alive and to relevancey is another. Horray for the Artist, boo for the "curator" wno as a public servant needs to serve the public better, after all it iw we who come seeking some greter knowledge or vision.

All content on this site is © their respective owner(s).
Tokyo Art Beat (2004 - 2017) - About - Contact - Privacy - Terms of Use