“who you know? who knows you?” のベースとなったプログラム、video exchange program
は、国別の討議というかたちで、他者理解の困難さを探究しようという試みである。ただこの試みは、他者を都合のいい意味の下に組み伏せようとする「理解」を目指すものではない。むしろ、そうした地点からどれだけ遠ざかることができるのかということを試そうとするものである。エドゥアール・グリッサンが指摘するように、他者を不透明なままにしておくことこそが、世界の多様性を延命してくれる。いたずらなグローバリゼーションではなく、多様なるもののなかでこそ、共に生き、建設し、リスクを冒すことも可能になる。誤解を恐れずに言えば、きっと、他者のことは知らなくてもいい。知るべきではない?
いや、そうじゃない。知ったような気になるべきではないのだ。そしてその不透明性を深く呼吸する術を手にすること。video exchange program は、そこに向かっている。