CAMP MONDAYS 「Thinking Over-Time」

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機械仕掛けの時計の開発は文明において重要な革新の一つです。そしてその文明とは私たちの富と権力のための知識を使うという事において即座に新たな創造性と変化を促すものを意味します。資本主義は一つには労働時間の増加による成果の増加の上に成り立っていると言えます。個人の自由の表現としての働く権利−産業革命によって広まった−は労働者の過剰生産を生み出し、ごく少数の暇な富裕層を作り出しました。なぜ労働者は余暇時間をあきらめなければ鳴らないのでしょうか。給料や、雇用機会に対するより大きなプレッシャーと、消費者の(そしてレジャーの)製品がより手に入るようになったことで、資本主義はより多くの労働時間を強いるようになりました。購買とは近代資本主義の教理でした。購買はまた、私たちの政治的主観性を計画的に消し去り、生活を経済的な困難のみが問題であるようにしむけられてしまいました。そしてそれらは、知的で精神的な楽しみといった真に必要な自己開発から私たちを遠ざけているのです。 日本のような発展した資本主義の国では、勤労は尊敬すべき文化として見なされています。しかし、勤労と長時間労働には違いがあるように思われます。一般的な社会的圧力とバブル経済の崩壊後の仕事への不安感は多くの日本人を無償の労働へと追いやっていきました。日本人の労働環境はストレスと自殺件数の増加をもたらしました。 このディスカッションでは、毛利嘉孝さんがバブル経済の崩壊の批判的な反応と日本の古い労働環境で働く事の拒否として1990年代初期において増えた「日本のフリーター世代」の最近の彼のリサーチの展開を共有してくれるでしょう。彼は労働時間と余暇時間の間の関係性について詳しく話し、日本の多くのアーティストが労働者や必要不可欠な労働力、またしばしばフリーターとしてみなされる社会におけるアーティストの(非)特権的なポジションについて批判的に評価してくれるでしょう。 余暇時間を保有する事が出来ない事で、有意義な人間の交流の可能性を減らし、直接的にせよ、間接的にせよ、人口統計が急激な高齢化社会と少子化に伴い逆ピラミッド型になってしまいました。この人口統計の変化と十分な単純な労働を行うために教育を受けた日本人の若者を拒む事で、日本の経済は外国の非熟練労働者(主に東南アジアやラテンアメリカから)の必要性が高まっています。ブリギータ・イザベラは日本におけるインドネシアの移民労働者の生活についての見識を共有し、また香港における移民労働者の労働環境と比較して話してくれるでしょう。国際的な移民の状態と共に日本における労働の問題共有出来る問題として考えられます。 Para Site ギャラリー香港とともにKUNCIカルチュラルスタディーセンターによる最近のプロジェクトのバックグラウンドから、彼女は文化的な見方から、労働問題について議論してくれるでしょう。また同時にジャック・ランシエールの『プロレタリアの夜』を少し参照しながら、労働者の余暇の時間を取り戻すことの必要性についてアイデアを提案します。ディスカッションでは、マニラと東京を拠点にしているメディアアーティストで、自身を外国人移住労働者と考えているジョン・パイレズも参加します。パイレズは自身のリサーチと制作活動のみならず、最近の#Atworkresearch というプロジェクトの展開について議論していきます。このプロジェクトは無形労働の概念について、そして仕事を拒否するひとつの形式としての、仕事と余暇との相関関係についての探究を目的としています。

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スケジュール

2015年11月23日 18:00~21:00

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