公開日:2007年6月18日

リチャード・ウィルソン「Break Neck Speed」in 横浜トリエンナーレ2005

横浜港の倉庫に大きな白いトラックが乗り付けられ、その荷台の扉が勝手に開いていく。次の瞬間、そこから一筋の炎(ロケット花火の一種だろうか)が外に飛び出る。

ヒューンヒューン/シューッシューッと甲高い音を鳴らしながら、それは地面に落ちることなく中空を高速で駆け抜け、倉庫の入口から中に入っていくつかの部屋を通り過ぎ、やがてふたたびトラックの荷台に帰還する。そこには、中華街で売られているような数々の中国風花火が並べられていて、炎の筋によって、そして隣の花火からの移り火によって、次々と点火していく。その多くは、点火した瞬間にそれまで折り畳まれて潰れていた部分がボンッと上に突き出し、五重塔や寺院のような立体構造になり、回転しながら火を噴き出す。炎と光と煙と音が爆発と回転という運動のなかで有機的に繰り広げる幻想的なショー。それはやがて終演を迎え、荷台の扉がまたもや勝手に閉まる。トラックは発車し、去っていく。あとに見えるのは美しい横浜港の夜景。

このような映像が、映像の中でトラックが停車していたのと同じ場所(山下ふ頭3号上屋Bの外)に置かれた、映像の中に登場したのと同じトラックの荷台で、プロジェクション上映されている。つまり僕たちは、映し出された花火たちが狂ったように暴れていた現場に立ち、この映像を見るのである。

本作品には、「映像」というメディアがもつふたつの性質が如実に表れている。

(1)映像とはフレーム/スクリーンにおいて閉じられた世界であり、そこではすべてが「真実」となる。開放系ではなく閉鎖系であるこの宇宙の内部におけるあらゆる物理現象が、「真実」以外のなにものでもないように。

(2)とはいえ映像は、自らの内に映し出された事物の実物と同空間に置かれたときにだけ、外部世界との相互作用を見せる。その事物がまるでワームホールのように、映像内部と外部世界とをつなぐのだ。

(1)について。本作品において、先述したように、一筋の炎は「地面に落ちることなく中空を駆け抜け」続ける。だが、炎の筋が画面の真ん中を通過するカットの連続によってそれが表現されていることからも明らかだが、おそらく実際の撮影においては、炎の筋は何度も地面に落ちている。単にそれがカメラに捉えられていない/カットされただけのことだ。つまり映像は、あまりに当たり前のことではあるのだが、カットとカットを自在につなげることで、固有の関係性を創出する。そしてひとつのフレームに閉じ込められている限り、それが破綻することはない。たとえばジョンが画面に向かって振り返るカットの次に、アップで映されたナンシーの顔のカットがつながったとき、「ジョンがナンシーのほうに振り返った」という関係性が生まれる。それはその映像(映画)においては、どうしようもなく「真実」なのである。

また、本作品に映し出された状況の「真実」としての提示は、そこに人間や動物がまったく登場しないということにも裏打ちされている。そこは、人間でも動物でもなく一筋の炎が、花火が、トラックが、自由意志を持って運動する(=生きる)世界なのだ。

(2)について。先述したように、この映像は、その中に登場したのと同じトラックの荷台において上映されている。そのことによって、フレームの中だけで閉じているのではなく外部世界と接続され、本作品は「映像作品」ではなくむしろ「映像インスタレーション作品」となる。その効果は、この映像が普通のホワイトキューブで上映される事態を思い浮かべてみれば明らかだ。そこでは映像と展示空間は完全に分離されている(そのとき僕たちはある意味安心してそれを眺めることができるのだが)。翻ってトラックの荷台においては、映像と展示空間は互いを浸食し、結合してひとつの構造を成し、僕たちを飲み込む。その意味で、本作品を構成するあらゆる要素は不可分なく結びつき、ひとつの強固な構造を構築していると言える。そこではすべてが「必然」である。物語的必然ではなく、いわば形式的必然。なぜトラックから炎の筋が発射されるのか? なぜそれが会場を通り抜けて帰還し、数々の花火が点火されなければならないのか? そこに物語的な理由などないし、必要ないのだ。重要なのは、この映像の上映場所はトラックの荷台でなければならないということだ。トラックはもちろん、港の風景、倉庫、そして横浜の街までもが、本作品の構成要素なのである。本作品をカテゴライズしようとするとき、「サイト・スペシフィック」という語は重要な意味を持つことになるだろう。

…などという御託はさておき、単純に誰もが楽しめる作品なので(そうしたキャッチーなエンターテイメント性には、上述の「形式的必然」性が一役買っているように思うのだが)、なにはともあれぜひ鑑賞することをお勧めする。気づかないで帰ってしまう人もいるみたいなので。

Yuki Okumura

Yuki Okumura

アーティスト。 1978年生まれ。美術作家として国内外で活動する傍ら、「BT」誌にて展覧会レビュー欄を一年間担当、Hiromi Yoshii Fiveにて「The World is Mine」展を企画するなど、美術に対して多角的なアプローチを展開。ACCの助成により、2006年3月から半年間NYのLocation Oneに滞在予定。 <a href="http://plaza.rakuten.co.jp/okumokum/">Personal Page</a>