公開日:2007年6月26日

アフリカ・リミックス:多様化するアフリカの現代美術

1年以上前、ロンドンのヘイワードギャラリーで開催されていた、アフリカ・リミックス展が、東京へ巡回してきた。昨年のロンドンでは、関連の音楽イベントも多数企画されて、ロンドン中がアフリカの年だった。

この展覧会は、デュッセルドルフに始まり、ロンドン、パリ、そして東京、このあとはストックホルムへと続く。巡回展でありながら、構成やキャプションからも、規模が増幅しているように感じる東京展では、共同企画として初期からキュレーションに関わっていた森美術館のアプローチも徹底している。今回は、各作家が特に自分の気に入っている作品を展示したので作家たちがハッピーだ、という噂も聞いた。

とにかく、初めてみた時から大好きな展覧会。東京でもそのパワーを失わないままにみることができて、すごくうれしい。というのが東京展への一番の感想だった。ただ、ドイツ、イギリス、フランスといった西欧諸国とアフリカの関係に比べて、日本とアフリカの関係は、比べ物にならないほど希薄なので、展覧会自体や作品の数々に込められたアイロニーやコンテクストは、ときどき抜け落ちてしまうかもしれないけれど。
アフリカ現代美術の根底にはつねに、ヨーロッパ先進諸国とアフリカの関係が色濃く反映されている。現代美術というヨーロッパのルールで、アフリカが語られているところに、この展覧会の真実がある。

アフリカには、政治の問題があり、環境の問題があり、戦争がある。
アフリカには、彼らの肌に負けない鮮やかな色があり、彼らの体を突き動かす音とリズムがあり、浮かれた世界を笑い飛ばす、乾いたユーモアがある。

アフリカという言葉は、多くの耳にロマンチシズムをもって届く。ヨーロッパや北米や日本といった先進諸国のルーツがきわめて淡白でつまらなく聞こえる今日この頃、アフリカの背後に構えているものが、よほど語るに値する、ドラマチックで強いルーツのように見えるからだ。ゾウやキリンやライオンもいますし!

異質なもの、エキゾチック、ロマンチックなものへの憧れとして、東洋はとっくの昔に、すでにブラジルに代表されるような南米の面白さまで消費し終わった感じもするヨーロッパで、次のターゲットとしてのアフリカである。
当然西洋中心で動いてきた現代美術の文脈に、エキゾチックな世界をもってくると、簡単に、伝統文化を紹介する、という構図に陥るものであるが、アフリカ大陸25カ国から84人のアーティストが出展するという展示の「量」と、ヨーロッパで教育を受けたアフリカ人アーティスト(中にはもちろん、白人との混血で、ヨーロッパで生まれ育ったというような二世も混じっている)と、アフリカの地を出たことのない純粋培養のアフリカ人アーティストをそろえて出展させ、アフリカとヨーロッパの距離やその比較や本質の探求を促す、という展示の「質」を保つことで、落としまえはつけている。
目に新鮮で、力強く、見応えのある、大変よい展覧会であるけれど、それでも、たとえば80年代に描かれた未来像をいま目にしても、けっしてこちらの予想を超えた驚きを感じることはないように、すべては、おおよそ予想が可能な「ヨーロッパにとってのアフリカの異質さとショックに満ちた」展開である。

さてけれど、この段階を過ぎた後、すべてのエキゾチズム、ロマンチシズムがテーブルの上に出そろった後に(ジャポニズム、チャイニズム、アラビアニズム、ブラジリズム、アフリカニズムと、あれこれすでに出そろったわけだけれど、その後に)、次のシーンを引っ張っていく強いルーツがどう表現されるのかは興味深い。今回二世の世代が登場していたように、次の表現は、異質なものどうしの共存への、さらに具体的な一歩になるはずで、張りつめた期待感が頭をよぎった。それは、ルーツが淡白な人間にとっても、ものを作るのに、一番おもしろい時代になるという予感でもある。
その淡い予感に背中を押され、この展覧会に、次の時代を導く新しいルールを探す。どうやら物事は、順番に起こっているようだし、今は、21世紀なのだし!

Megumi Matsubara

Megumi Matsubara

Founder of assistant Co., Ltd - international &amp; interdisciplinary design practice. ロンドンにてピーター・クックに学び、バートレット建築学校を修了。assistantでは、国内外のアーチストおよびクライアントと協力し、領域や国境から解放された、自由なクリエイションを展開している。 <a href="http://www.withassistant.net/">assistant Co., Ltd</a>