このようなテーマを扱う展覧会において、作品/作家が様々な領域から選ばれるということには納得がいくが、それが美術館における展覧会という完全に制度化された枠組である以上、「アーティストではない表現者の作品」という色メガネを通して見られることからは決して逃れることはできない。そこをいかに乗り越えていけるかどうかがこの類の展覧会のポイントになる。もちろん、展覧会に並ぶ作品/作家は全て、そこに出品されることを一度引き受けている時点で同価値の「作品」であるはずである。しかし、いわゆる「現代アーティスト」のそれと、ハンディキャップを持った表現者のそれはかなり異質なものだ。
例えばライフ展の場合、「〇〇が好きだ」という思いをひとつの画面にぶつけ続けている齋藤裕一や佐々木卓也。彼らの作品の直接的な生々しさに勝る現代アート作品を私は見たことはない。ところがそういった生のパワーとでも言うべきものを別の形で表現していると言えるであろうHEARTBEAT DRAWING SASAKIの作品などは、一見するとその視覚的美しさに目を奪われるばかりであるが、その作品が持つ「仕掛け」はまた別の強度を持っており、私たちはこの意外性やその洗練された完成度にむしろ感動するのである。
この展覧会は、作品の形態や表現の違い/類似に加えて、そういった質の違い/類似といった文脈も生かしながら構成されている。第一室は強度のあるHEARTBEAT DRAWING SASAKIのインスタレーション、第二室は異質な表現でありながら「幼児性」という同様の特徴を感じ取ることができる齋藤裕一のドローイングと棚田康司の彫刻、第三室は棚田康司と日野之彦といった風だ。
異質なもの/同質なものを同じフィールドで構成するのは難しい。だが、そこに何らかの関係性や意味を見出せるとき、展覧会というものはぐっと奥が深くなる。
加えて、特筆すべきはやはりマンガ家岡崎京子の参加だろう。岡崎の展示室は中盤で登場。名作「リバーズエッジ」と短編「チョコレートマーブルちゃん」の印象的な見開きが大伸ばしで壁に貼られており、原画や初出の雑誌、単行本の該当ページなどが資料的に展示されている。
展示室の中央には大きめの机に数十冊の単行本が並べられており、自然とそれらを手にとり腰を落ち着けて読みたくなる雰囲気だ。私も未読の著作を3冊ほど読みながらその作品世界に没頭した。
読書という形式は非常にパーソナルな体験だ。もちろん、展覧会も最終的にはパーソナルな体験だが、「他人と同じものを見る」という体験には他人との身体的な共有感覚がつきまとっているような気がする。
そう考えると、この無機質なテーブルは意外にも、観客個人が展覧会のテーマを手がかりとして、自身の「ライフ」を見つめ直すための重要な足がかりとして機能しているのかもしれない。自身の「ライフ」へのヒントを探しながら楽しみたい展覧会である。
Makoto Hashimoto
Makoto Hashimoto