公開日:2007年7月18日

ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造と軌跡

「コルビュジェは何よりもまず、芸術家である」

「コルビュジェは何よりもまず、芸術家である」(※1)。1920年代後半にある建築家がコルビュジェの建築物と彼の思想を勘案した上でこう評しているが、今日のル・コルビュジエ受容を考える上で正鵠を得ている。その芸術家の物語は彼が活躍する時代から語り継がれ、その影響力と作品の持つ魔力によって神格化されて久しい。ル・コルビュジエを「偶像と偶像崇拝化」しないためにも、様々な切り口と批評が必要だろう。今回、森美術館の企画はそのツールとなる方法の一端を紹介している。

企画展のタイトルは「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」。彼の長いキャリアで建築作品同様に絵画作品も数多く手がけ、同時並行でそれらの制作が行われたことを物語る展示形態が今回の企画展では採られている。ここ10年の大きなル・コルビュジエ企画展は、1997年のセゾン博物館、広島市現代美術館、神奈川県立近代美術館で巡回された《ル・コルビュジエ:モダニズムの精神(エスプリ)__光と空間の20世紀》、2001年ギャラリー間で開催された《住宅のル・コビュジエ−全プロジェクト模型と家具》、2003年ギャルリー・タイセイの《ミース・ファン・デル・ローエ VS ル・コルビュジエ》と何年かに一度必ずお目にかかる。常設としてル・コルビュジエの絵画、彫刻、タペストリーを鑑賞できるのはギャルリー・タイセイであり、そうした作品を鑑賞する機会は珍しくない。しかし、今回の企画展の展示構成は10のセクションから成り、それらのテーマにあわせて絵画作品が選定され彫刻や建築プラン、インダストリアルデザインへの影響関係が各テーマごとに示されている。先に述べた大型企画展の一つとして、今後語り継がれるだろう。建築に限らない造形における懐の広さを理解でき、さらには3つの実寸大模型が美術館内に設置されているため、彼のスケール感を肌で把握する絶好の機会である。

《アトリエ 再現模型》、「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」 展示風景
《アトリエ 再現模型》、「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」 展示風景
撮影: 渡邉 修、写真提供: 森美術館

その3つの実物大模型とは彼のアトリエ《ル・コルビュジェの自邸(ナンジェセール・エ・コリ通りの集合住宅)》、モデュロールに沿って設計された住宅《マルセイユのユニテ・ダビタシオン》、そして妻のために建てた小屋《小さな休暇小屋(カップ・マルタン)》である。現地に赴きプロポーションもさることながら壁の染みや光の入り具合まで記録して、そのまま再現したというアトリエは圧巻の一言に尽きる。文面上でしか知ることのできなかったル・コルビュジエのインスピレーションの源泉を追体験でき、「絵を描くことを決してやめなかった」という絵画と建築のつながりを再認識させてくれる。この点は「午前(絵画)と午後(建築)の遊動」(※2)を再考するという命題を汲み取った結果だろう。一方でこのことを悪く捉えれば、絵画と建築が未分化であることを逆照射させる。

「コルビュジェが建てた建造物でランダムに写真を撮ってみた〜出来上がった写真を見てみるとそこに現れたのは単なる抽象絵画にすぎないことに気づいた」(※3)

《マルセイユのユニテ・ダビタシオン 再現模型》、「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」、展示風景
《マルセイユのユニテ・ダビタシオン 再現模型》、「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」、展示風景
撮影: 渡邉 修、写真提供: 森美術館
彼が絵画で成し遂げたピュリスムはそのまま空間造形においても当てはめられている。遠近法と異なり、対象物を上から見た視点と側面から見た視点が併存するキュビズムとピュリスムは似ており、対象の輪郭を明確にするため装飾を省いた手法が採られている。消失点が存在しないため、対象物の遠近感が色彩によって決定付けられる。色彩が濃ければ距離の浮き沈みは激しくなり、逆に薄ければ浅くなる。アトリエの次に登場するモデュロールによって築かれた住居は、確かにモデュロールという建築の黄金比(1:1.618)と人体の寸法に基づいた空間の応用であるかもしれないが、外観の雄大さとは異なり内部の狭小感を払拭できない。天井が普通の住居に比べやや低く、動線も最小限に抑えられており無駄のない空間ではあるが、アトリエで体感できる光がほとんど差し込まない。

しかし、この光がほとんど差し込まない点、つまり光量の調節によって空間の奥行きを感じられるのも事実である。壁や天井はほとんど白で統一されているため、光の照射具合(明るければ前方に広がり、暗ければ後方に沈む)がピュリスムの色彩感と非常によく似ている。上記の発言は、絵画におけるコンポジションと三次元空間での造形を混同している点をそれとなく指摘している。
翻ってみると、それは機能や合理性を追求したとするル・コルビュジエ像と異なり、光という要素から空間を捉えようとするル・コルビュジエの手業を開示する。それは飽くまで触知的であり、このモデルの次に続く手をモチーフとした絵画からなるブースを予告するかのようだ。

「ぬくもり!貝殻なる海は絶えず、砂浜に、ぬくもりの、のどかに調和する、漂着物を、我々のために、乗り上げさせてきた。手はこねる、手はなでる、手は滑る。手と貝は愛しあう。」(※4)

《小さな休暇小屋(カップ・マルタン)、1952/2006、再制作、(Cassina S.p.A., Italy)
《小さな休暇小屋(カップ・マルタン)、1952/2006、再制作、(Cassina S.p.A., Italy)
Courtesy: Cassina S.p.A., Cassina IXC. Ltd.
最後の実寸大模型《小さな休暇小屋(カップ・マルタン)》においてもモデュロールを用い狭小な空間ではあるが、用途が小屋でありせいぜい二人ほどの住まいであるため、丁度よい落ち着きと密着感を与えてくれる。小屋に設置された照明器具は間接照明を生み、外部からの採光を少なくすることで、光量のプロポーションを造り出している。このプロポーションは間接照明と採光の少なさもそうであるが、無駄のない壁面構成によっても補われている。それによって、まさしく必要最小限な生活空間を体現すると共に、後年絵画モチーフに登場する手から生じるぬくもりを確かめられそうな距離を保つ空間を実現させた。ここで示される手とは創造の源泉であり、空間上の距離を「探知し、捕まえ、ぶちぬき、なめるための装置」(※5)として提示されている。
この点からすると、機能的ないしは形式的と従来で語られているのと異なるル・コルビュジエ像が見えてくる。飽くまで原寸大模型の体験のみから導かれることだが、光と手という凡そ機能という側面では括りにくいシンボリックかつ触覚的な側面を採り入れるル・コルビュジエ像だ。それは詩画集『直角の詩』で登場する様々なモチーフを、手で捉えようとする行為の記述にも表れている気がした。

建築というと、どうしてもその作品が制作された時代とその作品が受容された状況から作品を判断してしまうが、絵画や詩集を並列させることでそれ自体完結することがなく、作者の美学や理念の断片を拾い集めることで、鑑賞者に多様な解釈を許容する造形作品となりうる。今回の企画展は莫大な絵画の量とテーマ設定から、そうしたル・コルビュジエの詩学を自由に構築し勘案できる機会が整っている。そのため、ル・コルビュジエはクライアントとの関係だけで作品を提示する単なる設計者に堕することのない芸術家であったと確信を深められるのではなかろうか。

※1-El Lissitzky, ”Idole und Idolverehrer”, Bauindustrie, Nr11-12, 1928.
※2-山名善之、『ピュリスム絵画と四つの白い住宅』、同展カタログ、2007、p274.
※3-Lissitzky, 1928.
※4-与謝野文子訳、『直角の詩』、(オリジナルはLe Corbusier, ”Poéme de l’angle droit” , 1955)『ユリイカ-総特集ル・コルビュジェ』、1988、p96.
※5-上掲書、p94.

Yuya Suzuki

Yuya Suzuki

博士後期課程在籍 1980年生まれ。ロシア・ソ連芸術史、全体主義下(第三帝国、スターリニズム)における紙上の建築と展覧会デザイン、エル・リシツキイの研究に従事。<a>MOT</a>で企画を担当。またMOTの<a href="http://mot06.exblog.jp/3398208/">CAMP</a>というイベントの企画・運営に携わる。現在、ロシア人文大学に留学中。