“Art in You”―宮島達男氏インタビュー

「あなた」の中のアートがひらく

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「宮島達男|Art in You」展

関東:その他エリアにある
水戸芸術館現代美術センターにて
このイベントは終了しました。 - (2008-02-16 - 2008-05-11)

In Main Article 2 インタビュー by Hana Ikehata 2008-04-02

茨城県の水戸芸術館にて、首都圏では8年ぶりとなる個展「宮島達男|Art in You」を開催している宮島達男さんに展示作品について焦点を当ててお話を伺ってきました。ご自身の信念をエナジェティックに、また、若い人間に伝えていきたいという熱意をもって話されていたのが印象的でした。

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1つ目の質問は新作の《HOTO》についてです。仏教の教えの「宝塔」からあの作品ができているとのことですが、仏典では生命の尊大さ・偉大さを示すために宝に彩られた塔が地中から現れてきて…というくだりがあり、その大きさは地球の半分にもなるという表現がされています。そういった、一番難しく、表しても表しきれないものを、あえて仏典の中に出てきた「宝塔」に似せた形で、高さ5.5メートル・直径2.2メートルという形に「まとめてしまった」ということは、これはご自身の生命観の「矮小化」とも捉えられると思います。この点について、今回の作品はどのような意味を持っているとお考えですか?

宮島氏(以下、宮島):あの作品は自分の中では宝塔の「モデル」だと思っています。モデルというのはマケットですよね。宝塔っていうのはとても表現しきれないものである、それは明らかなんですよ。500由旬(注:「ゆじゅん」古代インドの距離の単位。1由旬を約7マイルまたは9マイルとする。)ですからね。地球の半分くらいになっちゃう。あるとすれば地球上に展示することってまず不可能なわけですよ。だけどそれを想像させることは出来る、リアリティーをもって。リアリティーをもって想像させるには、マケットすらも巨大でなくては「想像を絶すること」にならない。だから、手がかりとしての5.5メートルの塔であって、それが全てを表現しきっているとは全然思っていません。あくまでも手がかりとして、想像していく為のとっかかりとしてのマケット。そういう意味合いで今回作ったのです。

モデル、マケットという位置づけで作品を作られたということですが…

宮島:ほんとはね、マケットでも、もうあと2倍ぐらいないといけなかったかなーって(笑)。とにかく巨大であること。それをリアルに、手で触れるような感触として見せておきたかったんですよね。でないと、あまりにも巨大であるからといって、何も手を出さないで、何も作らないとしたら、誰にも何も伝わりませんから。それはいやなんですよね。伝えたいわけですから。つまり宝塔という命の尊厳を。「あなたの命」というのは奇跡なんですよ、ということを伝えたいわけです。そのためのとっかかりなんですね。

アート作品そのものの価値ということはどうお考えですか。例えば、自然の花があり、その絵を描くというアート表現があると思うのですが、アートの表現としての作品は花の持つ価値を越えられないものなのでしょうか。アート作品が「あるもののモデル」でしかないのであれば、アート作品というのはいつまでも模倣であって、それ自体の価値はいつも本物より一段下がるものとお考えでしょうか。

宮島:「Art in You」ということを言っていますよね。「Art in You」というのは、主体者はあくまでも「あなた」なんですよ。「あなた」の心の中のアート的なものが開くか開かないか。例えば、実物の花であっても、花を模した絵であっても「あなた」のアート的なるものが輝いて、「あなた」が幸せになればそれでいいんです。だから、そこには本物であるか人が作ったものであるかといって比べていく意味が全然ないんです。差異はないんです。例えば、夕焼けを見て感激して、人のために働いていこうって思えるんだったら夕焼けは素晴らしいわけですよ、そのきっかけを与えたわけだから。夕焼けの絵を描いて、それを見て、人のために生きていこうって思えたら、それも価値があるんですよね、その夕焼けの絵もね。その一番の主体者はあくまでもこちらの側、人間なんですよ。人間が本当に幸せになっていけるか、勇気をもらえるかもらえないか、希望を持てるかもてないか、そういう話です。だから全然それ自体に価値はないって言ってるんですから、私は(笑)「Art in You」ということで。アート自体の表面ヅラには、それ自体には価値はない。それを見た人がどう反応するか。そこに大きな価値がある。だから僕自身も作品を作っていたりしますが、僕自身が開いて感激しているからこそ重要であって、作品それ自体が問題なのではない。そういうことです。

2つ目に、アートキャラバンでの写真《Counter Skin》について伺います。宮島さんのこれまでの作品の中のカウンターというのは実際にカウントしているものだったと思うのですが、肌の上に表現された数字というのは動かないものです。確かに7セグのデジタル数字は使われていますが、カウンターの数字は動いてこそ宮島さんの表現されたいものが表されるものだと思います。動かない数字を塗ることの意味とはどのようなものでしょうか。

宮島:ドローイングであの7セグのフィギュアを使うことはよくあるんですね。《Counter Skin》だけじゃなく。お札の上にドローイングしたりとか。壁にペイントしたりすることもあります。そのときは数字はまったく止まっているわけですよね。その時に考えていることは、「今この数字は止まっていても、次に動き出す可能性のある『今、止まっている』」ていう表現の仕方をしているんですね。つまり、ぴっちり塗るんじゃなくて、動いていくニュアンスを残した塗り方をしているんですね、わざと。それは今表示されているのは「1」だけど、この何分後か、または1年後かわからないけれど、カウントしていく可能性を秘めているんだ、その「ある一瞬」を切り取っているんだっていう意識なんですよ。そのことで何を表現したいかというと「関係性」を表現したいわけです。つまり、数字っていう窓、つまりそれは時間の窓っていう風にとらえているのですが、時間の窓っていうのをフィルターにして、何と関係を結ぶか、何を見ようとしているのか、そこがドローイング作品での一番のポイントですね。お札の上に描いていくときには、お札と時間というものをどう捉えていくのか。例えば、皮膚と数字だったら、その皮膚の主体者である人間、それは他者でもあるんだけど、「他者」と「私」の時間、それがどう関係を結んでいくのか、それが1つ大きなポイントになるんですね。だから単に「止まっている」という捉え方ではなくて、「動いている一瞬を切り取って静止させている」という、そういうイメージかな。

皮膚や顔にフォーカスした写真だったので、拝見していて「デジタル的な表象」と「塗られている人」の一体化、血が通っている様というのを感じました。

宮島:数字自体を見せようという意図はあまりないのですよ。数字をフィルターにして見せたいのは、他者の皮膚であり、存在なんですね。面白いことに単に皮膚をアップにしても人はあまり見ないんですよ。数字という、わけのわかんないフィルターを通して見ることによってはじめて浮き上がってくるんです。それを人は見ようとするんですよ。例えば、こう漠然とした風景(窓の外を指して)を人はあまり注意深く見ようとしない。でも窓できゅっと区切られたとき、フレームで区切られたとき、その風景をフレームの中の空間として見ようとする。これはね、「ランダムの計算式」っていうのがあるんですよ。ランダムというのは漠然としすぎて数式化できないんですよ。でもフレームをあたえることによって意識化できる。視覚化できる。だからこのフレームというのは、時間を一瞬きりとったようなフレームなんです。

3つ目に、ドローイング作品とテクストの関係というものをお伺いします。今回の「Art in You」でのドローイング作品の中には言葉が書きこまれていました。人がアート作品に触れる時、自分の中で意味などを思考しますが、人の思考というのは本質的に言語・テクストによって形作られるところが大きいと思います。言葉がドローイング作品の中に入ることによってその作品が持つ意味がかなり限定されてしまい、見る者の思考停止を誘ってしまうリスクもあると思います。そのあたりについてはどうお考えになって「言葉」を作品の中で使われたのですか?

宮島:そうねえ…そう深い思考停止をしていくようなこととしての言葉を使っているわけではないんですけどね。例えば中世の絵画を見てみてもわかるように、ほとんど宗教画ですが、キリストの絵が描いてあって、そこに文字が書いてある。例えば聖人の名前であったり、その人がどうこうしたといったことであったり、説明だったりします。でもその空間世界というのは、例えば、言葉がわからない私達、つまりラテン語が読めない私達にとっても、ある「強さ」を持っている。それは「言葉すらも空間になっている」んですよ。言葉すらも、です。言葉がペイントされて、つくられて、レタリングされていったときに、それは空間化されるんです。意味を持っている空間なんです。それが、意味を剥ぎ取られてもなお残る空間なんです。言葉自体が絵画空間になりえるということなんです。これは、あなた、もっともっと勉強しなくちゃだめだと思いますね。クネリスていう作家がいるでしょう、そして最近近代絵画でもカンディンスキーという作家がいるでしょう、バーバラ・クルーガーという非常に現代的なアーティストもいるでしょう。とにかく、現代美術になればなるほど言葉っていうのは空間化して使うんですね。意味を剥ぎ取られても空間になり得るような強度を持った空間として提出してくるんです。それは意味を持っているんだけれど、空間ともいえる、そういう世界の話なんです。だからあなたが心配されるような言葉によって規定されるような世界観・空間観ではないんです。むしろ、言葉によって触発されていくような空間観なんです。言葉があることによって空間がぶわっと広がっていく空間観。そういう空間が現代において多様に使われているってことをまず認識すべきだと思います。そしてそういう世界を味わっていくことが重要だと思いますね。そうしていくと今言ったようなことがだんだん感じられてきます。そうするともっともっと表現の世界とか、味わい方の幅というのが広がりを持って、楽しくなってくると思いますよ。

Hana Ikehata

Hana Ikehata. 物心ついて一番最初に経験した「美術に触れて息が止まるほど感動した瞬間」は、中学生の時、パリのルーブルでサモトラケのニケを見た時。若かりし頃、失恋の奈落の底で見た雪舟の天橋立図は周りの誰の慰め言葉よりも心に清々しい風を吹かせてくれた。東京大学卒業後、数年ほど、しがないサラリーマンをする。美術は趣味と割り切って生きるつもりだったが、自分の持てる時間は有限であるということに気付き、限りある人生をめいいっぱい使って大好きなことで奮闘したいと思い、突如「美術ライター」を志す。「美術と人をつなぐ仕事」なら何でも挑戦してみたい。「いわゆる日本画」「日本美術」「ちょっと古いもの」とカテゴライズされる作品群に好きなものが多いと感じている。 ブログのんびり更新中 ≫ 他の記事

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