落下した空を写真に

畠山直哉氏に、自身の作品に対する考えと現代写真の状況を語っていただきます

poster for Naoya Hatakeyama  Exhibition

畠山直哉 展

六本木、乃木坂エリアにある
タカ・イシイギャラリー 東京にて
このイベントは終了しました。 - (2008-04-30 - 2008-05-23)

In Main Article 2 インタビュー by Ashley Rawlings 2008-07-23

1959年生まれの畠山直哉は、日本を代表的する現代写真家の一人です。今年5月に、タカ・イシイギャラリーで『Ciel Tombé』の新作を紹介した個展を開催し、ニューヨークの国際写真センターで開催されている『Heavy Light: Recent Photography and Video from Japan』展で9月7日まで作品が展示されています。

写真を撮り始めたきっかけはなんですか?

これはとても単純なことです。僕はもともと大学でデザインを勉強していたのですが、そこで大辻清司(おおつじきよじ)という方に出会い、写真のおもしろさに気づかされました。それから勉強を始めたわけですが、実際に勉強していてもやはりすごくおもしろくて、それからずっと続けてきたという感じです。

Naoya Hatakeyama, 'Lime Hills (Quarry Series)' (1986-91) C-print, 30 x 38 cm

『Blast』、『Lime Hills』、『Underground』、そして今回の『Ciel Tombé’』 を見ると、土や地下空間に強い関心を持っているようですね。どこからこういった関心が生まれたのでしょう?

ひとつは嗜好です。柔らかいものよりも硬いものが好きとか、そういった本当に体質的なことです。つまりコンセプトとかではなくて、どちらかと言えば自分の中にある好みや性質、特徴みたいなもの。例えば僕の場合、岩とかが好きなんです。やっぱり硬くてチクチクしたものとか、金属や石、そういったものが好きですね。それから、石灰石や鉱山の仕事は非常に素朴な気持ちで始めたわけですが、実は僕自身の歴史とも関係があるんです。この仕事は生まれた場所で始めて、そのうちそれがだんだん大きなものになっていった。そうして、たまたま僕が取り上げた石灰岩というのが実は日本の中でもかなり独特な性格を持っていて、長く扱い続ける価値のあるテーマだということにだんだん気づきました。面白いことに、こういう写真を撮っていると、東京で暮らしている自分の目も変化してくるんです。例えば遠くの山から帰ってきたりすると、東京の風景がちょっと違って見えたりする。そういうことを繰り返していました。

Naoya Hatakeyama, 'Blast' (1995) C-print, mounted on aluminum, 100 x 150cm

シリーズではどれも中心となるテーマが変わりませんが、表現方法はすべて違います。『Blast』が明白で壮大なのに対し、『Lime Hills』は人間が身勝手にゆっくりと地球を崩していく様を描くと同時に、不思議と柔らかい雰囲気を醸し出しています。『Ciel Tombé』は人間による掘削のありさまと、重力の威力を見せつけています。こういったシリーズごとの違いは作品作りの最中に意識しているのでしょうか?

最終的な目標はまだはっきりとは分かりませんが、少なくとも今は自分が行っている仕事に関しての「言葉による説明」を増やしたいという気持ちでいます。僕はあと10年くらいで自分の人生のまとめに入る時期だと思っているので、それまでにそういった視覚的な「言葉」をできる限り増やした後、全体にそれを組み替えたらどんなものになるのかを楽しみにしつつ、今仕事に取り組んでいます。

Naoya Hatakeyama, 'Underground/River (Tunnel series)' (1999) C-print; 49 x 49cm; Edition of 7

では視覚的な言語と、口語や書き言葉の関係性についてはどう考えていますか?

視覚的なものと言葉は密接に繋がっています。写真を見て、どんな言葉を連想したり、どんな物語や意味を作り出したりするかは人それぞれだと思っています。しかしそのための素材を提供する側としては、やはりとてもフレッシュで、できれば見たことも無いようなものをなるべく揃えておきたいわけです。

僕はまず言葉がすべての基本にあると思うんです。ちょっと話はそれますが、1980年前後の日本の写真の状況は、文学を嫌う傾向にありました。例えば「あなたの写真は文学的だ」と言われると、最悪、最低という意味合いだったんです。僕が写真を学び始めたころ、僕より10歳ほど年上の方たちは「文学的」という言葉を「最悪」という意味で使っていました。今では信じられませんけど、80年代はそういう時代だったんですよ。これの名残が今でも残っている気がします。例えば、あまり物事をよく考えていないのに「私は言葉を使うのが下手だから写真を撮っています」などと言う人が結構いますよね。僕はそういった考えの背景にあるものを知りたい。たぶんそれ言語的なものなんですよ。言語的な構造が、その言葉を否定する態度を生み出している。そういった構造に興味があります。

Naoya Hatakeyama, 'Ciel Tombé' (2007) Lambda Print; 490 x 1000mm 
(paper size: 710 x 1220mm)

では新作の『Ciel Tombé』についてですが、なぜパリを選んだか、そしてどのようにしてあの地下空間を見つけたのかを教えてください。

まず最初に『Lime Works』を撮っていた1980年代から90年代初頭に、既にパリの地下において昔の採石場があることを知っていました。それをいつか作品として扱ってみたいなと思っていたんですよ。それで実際にパリへ行ったときにカタコンブ(地下墓地)を訪れました。話によると18世紀にパリ市を都市開発する時すべての路地の骨を全部取り除いたらしいのですが、400万とか800万本もある骨を捨てるわけにはいかない。だから昔の採石場の空間に押し込んじゃったんです。それがカタコンブの由来ですね。

現在は観光地になっていてお金を払えば見に行けるので、そうやって僕は行きました。ちょうどその時期に友人からカタフィル(cataphile)という人々の存在について聞いていたのですが、彼らは塞がっている入り口に小さい穴を開けてカタコンブに忍び込み、中でパーティーをしたり、火を焚いたりするんです。僕も中に入って何かをしたかったけど、忍び込んで写真を撮る気持ちにあまりなれなかった。それで東京に帰ってきて、アンダーグラウンドの仕事を始めたんですよ。

実はパリにいる時に、この写真を思い出したんです(渋谷川のシリーズの写真)。当時これを撮っていながら、奥まで入っていったことがなかったんです。1994年くらいだと思うんだけど。それで、この写真の奥にあるトンネルにまだ行ったことがないなってことをパリのカタコンブで思い出した。そして帰国した次の日にすぐに行って、こういうシリーズが出来上がったというわけです。でもその前からパリの地下という発想は既にありました。

Naoya Hatakeyama, 'River Series' (1993-1994) C-print mounted on aluminum; 100 x 49cmNaoya Hatakeyama, 'River Series' (1993-1994) C-print mounted on aluminum; 100 x 49cm

『Ciel Tombé』と『Underground』は扱っている被写体も少し違いますが、今回は特に重力がテーマになっています。2006年にパリから東京にミシェル・パンソンという社会学者が訪れてきて、飯田橋の日仏学院でパリの歴史や社会に関する講演会をされたのですが、そこで彼に挨拶をした時「実はパリの地下についてちょっと興味があるんです」と言うと、「私はパリ市の地下採石場の人を知っているから紹介してあげるよ」と言われたんです。

まず最初にモンパルナス・ダンフェールの下を見せられました。もう少し大きな空間を探していると告げると、他の場所へ連れて行ってくれました。でもそこは天井が落ちていて。「これは何ですか?」と聞いて、初めてそれが「シエル・トンベ」というものだと知ったんです。なんて不思議な言葉なんだと僕は思い、もっと見たいと彼に頼むと、ボワ・ド・ヴァンセンヌに10個くらいあると言われました。他には無いのかと聞いたところ、残りはすべて補修してあるとのこと。それでここを撮影に使うことにしたんです。つまりこの写真の性質は「シエル・トンベ」という言葉を聞いた瞬間に決めたと言ってもいいでしょうね。

Naoya Hatakeyama, 'Ciel Tombé' (2007) Lambda Print; 490 x 1000mm 
(paper size: 710 x 1220mm)

照明はどうやってセットしたのですか?

ARRIという、パカッと開くレンズ付きの映画撮影用のランプがあるのですが、それをパリのレンタルショップで借りました。それからパリでアシスタントを雇い、その人にケーブルを伸ばしてもらって、僕が遠くから見ながら「もうちょっとあっち」などという様に指示を出しました。今回とりわけ撮りたかったのが落盤の岩のフォルムだったので、照明の調整がとても難しかったんですね。いろいろ試したところ、やわらかい光をバウンドさせて撮ったら一番きれいに見えるということが分かったんです。天井に直接当てて、そこから光がやわらかく落ちるようにライティングしました。照明器具そのものは大体の場合、見えないように隠しました。なのでどこからどういう光が当たっているかがよくわからない写真になってますよね。

カットによっては天井に穴が開いているようにも見えますね。

そう、天井の穴から空の光が入っているように見える写真がいくつかあります。でも実際に穴は開いてなくて、ただ光が当たって白く飛んで見えるだけです。例えば、菊の花にみたいに広がっていて、真ん中がボコンと真っ白くなっている写真がありますよね。あれはこうやって広がった一番下の部分に照明を隠して、真上に光を当てているんです。

Naoya Hatakeyama, 'Ciel Tombé' (2007) Lambda Print; 490 x 1000mm 
(paper size: 710 x 1220mm)

他の作品もそうであるように、『Ciel Tombé』は地上にある街を建設したり、供給するために人間が掘削してきた場所を撮影しているわけですが、実際に人が暮らす都市環境を撮る場合でも人が写真に写っていることはほとんどありませんね。つまり畠山さんは都市を居住環境としてではなく、構造として見ている印象を受けるのですが。

写ってないわけでもないんだけど、確かにほとんど写ってませんね。まず第一に僕はたまたま人のいないところで写真を撮っているからだと思います。例えば渋谷の川とか。あそこは人がいません。それから展望台から下を眺める形で撮ることもあるのですが、あそこも人はほとんど見えません。

二つ目の理由としては、人間の写真を撮るためには、人を撮るんだという意識を持たなければ撮れない。僕みたいなタイプの場合は特にそう。普段から人を被写体として扱おうとはあまり思いませんから。

だからと言って、僕は都市というものを物理的な構造として捉えていません。都市の本質というのはむしろ人間の活動にあると思うので。だから人間の活動を写真で扱うということは、僕にとってはまだ馴染めない感覚なんです。どちらかと言うと、例えば駅の階段を降りて、電車のドアが開く瞬間とか、ちょっと前までの、コンビニエンスストアで『ぴあ』を広げた時とか、ああいうときに都市を感じるんですよ。それって思い描こうとしてもなかなか難しい「何か」なんですよ。たとえば都市や人をテーマとした普通の写真家は、新宿駅とか池袋駅に行って、ものすごい人ゴミを撮るかもしれない。でもあれが写真になっても僕の場合は特に何も感じないんです。どうしたらいいんだろうね。なかなか大きな課題だと思いますよ。ただ僕は1989年から高い場所から写真を撮っていますが、それを20年もやり続けると、東京の様子が少しずつ変化してるのがわかる。そういう意味では人の行動とか移住環境としての都市とかをちょっと感じます。

Naoya Hatakeyama, 'Untitled / Moon' (1999) C-print, 89 x 180 cm

高いビルから都市を撮影してきた20年間で、東京は変わったと思いますか?

まず建物の作られ方が変わってきたので、今、写真が撮りにくい。つまりこの撮影自体が続けにくくなっています。東京がバブルのころに計画された高層ビルが、今になってどんどん実現してるんですよ。まだまだ建ちます。そうすると非常に細いビルがたくさん街中に建つことになるでしょうね。そうやって、眺めそのものも変わってきたというのがあります。更に、一部の建築家を除いては、そういう高い塔は非常に管理主義的な匂いを漂わせているようにも見えます。また、世の中が「不安」というものを前提に物事を考えるようになってきた気がします。それは時代的な雰囲気として感じますね。

この不安感はどこからくると思いますか? 例えば大地震に突然襲われてしまうかもしれないというような、都市の破壊に対する不安などでしょうか?

日本人にとって破壊はとても身近なものです。それなのに、東京の人は明日大きい地震がくるとは全然思ってない。楽天的というか、あまり考えない人が、僕も含めて多いんです。例えば自分が乗った飛行機が落ちたとしても、自分だけは助かるだろうと思っている人が多いんじゃないですか? だから地震・天災に対しての不安はそれほど感じません。もちろんヨーロッパから来た人が日本に着いたその翌日に地震にあったらものすごくショックでしょう。でも僕らは毎日毎日味わっているから、自然に対しての心理的な不安はそれほど強くない。むしろ不安要素は人間たちですね。他人が与えてくる不安に対してものすごく敏感になっています。それはここ10年間、本当に強く感じますね。

関東大震災とか火炎瓶攻撃とかについて知っている若者がどれくらいいると思います?

それはちょっとわかりません。でも確かに2001年の9・11は、ここ60年間ほど自分の領土で戦争行為の行われていない先進工業国の人々に、都市が決して不変かつ強靱ではないということを実感させた出来事でした。本当の悲劇はもちろん人の死ですが、世界貿易センターが破壊されたことによって、建築環境がいかにもろいかという、非常に深刻かつ衝撃的なメッセージも伝わったのではないかと思います。畠山さんの作品はそういった弱さを表現しているのではないかと感じたのですが。

僕自身もよくその質問を突きつけられます。僕は自分の撮りたいものを撮っているわけですが、そこで扱うテーマがたまたまものすごく大げさだったり、悲劇的に見られたりします。でも実際にそれらは恐らくそれほど重要ではないんです。たとえば『Blast』のシリーズは爆発の瞬間を捉えていますが、あれは日々行われている一種の労働から生まれたんです。そこへ僕が行って、側から撮ったからあんなに大げさな写真にはなっているけれど。でも10年間くらいこのシリーズを続けていますが、2001年の9・11以降、あの写真の見え方が変わったんです。それまではあんなにマイナスな見え方はしなかったのが、同じ画面なのに突然解釈の仕方が全然変わっちゃったんです。僕はそれがショックでしたね。

Naoya Hatakeyama, 'Blast' (1995) C-print, mounted on aluminum, 100 x 150cm

そういった解釈の変化は自分自身の作品作りに影響を与えましたか?

あの出来事は政治的にも文化的にも本当に深く大きな問題だったと思っています。でも写真家としてそれに尽くそうとは思いません。むしろ一般の人間として考えていきたい。僕はたまたま爆発したり建物が崩れたりと、都市の死を予感させる写真を撮っていたかもしれませんが、それはたぶんあの出来事がなくてもやっていたことです。あの出来事のあとで、僕が自分の仕事に対する考え方を変えたことは無かったと思います。でもだからと言って、無視するわけでもありません。ただ、幾人かのアーティストがあの出来事に非常に刺激され、それ以降物事の考え方を変えたというような事を時々読みますが、僕にはそういうことは無いですね。

ここ数十年で写真は様々な変化を遂げていますが、それについてはどう思いますか?

まずは観客の質が変わってきたと思います。それが一番大きいでしょうね。だから観客に合わせて作品作りを進めるということが全くできなくなりました。大勢の観客と何とかうまくやっていこうと思っていた頃も昔はありましたが、もうそれは諦めました。今では、自分が今まで自分の中で形作ってきたものと、今自分が尊敬する「何か」とだけでやっています。ちょっと孤独な感じはします。

特にここ10年は、世の中に写真がとても浸透しました。プロあるいはアマチュア写真の境界線が曖昧になり、更に海外旅行が急増すると共に、世界の至るものが写真に収められるという現象が起きています。探検家として、はたまた開拓者としての写真家の時代は終わりを遂げました。そんな中、『Ciel Tombé』のシリーズは、ひょっとしてまだ撮影されていない隠れた「最後の辺境」を見せたいという思いもあって取り組んだ作品なのではないかと思ったのですが。特に写真の現状において、畠山さんがアート・フォトグラフィーをどう位置づけるかについてお聞かせください。

そうですね、確かにあなたがおっしゃるとおり、情報としての意味合いでの写真の現状はそうだと思います。被写体を情報的なレベルで捉える写真という意味合いで言うと、もちろんほとんどのものがもう既に撮られています。でも写真は他にもレベルがあるんです。たとえば「グラフィック」というレベル、「感情」というレベル、それから「親密性」というレベル。この辺はすべて撮られたとは言えません。しかし、本来写真家というのはこの4つのレベルに深く関わってきたにも関わらず、最近はこのレベルにおいてでさえ写真家の存在意義はなくなってきているかもしれません。

それから今の東京の観客もこういったレベルにあまり夢中にならないかもしれませんね。グラフィックとして魅力的な写真に対して「別に‥」みたいな態度をとるし、感情のレベルで訴えてくる写真に関しても、もはやそれが普通になってしまっているためあまり意識しなくなっている。でも実際に人は、こういった基準に基づいてでしか写真を評価できないのでしょう。いずれにしろ、この辺に関してはすべてが行われてしまったと僕は思いません。だから、まだまだ写真は撮られていくと思います。ただ、社会の中での写真の使われ方は全く変わってしまいましたが。

以前、面白い反応をもらったことがあるんですよ。この本(『A Bird』)を作った時に、ある人が「まだ世の中に撮られていない写真があるんだなって思った」と言ってくれたんです。僕自身もこういう写真が一ヶ月に一枚だって撮れるとは到底思っていません。一年に一枚、あるいは5年に一枚でも撮れればいいと思っています。でも僕もこの写真が撮れた時、「ああ、20年間写真を撮り続けてきて良かった」と思ったんです。この写真は内面の問題でもなんでも無くて、だからこそ「写真的な幸せ」みたいなものがここには存在するわけですよ。だからこういう写真が新たに撮れると本当にうれしいんだけど、これを仕事に再利用できるわけでは無いので、そこが辛いんですよね。ただ、僕はあらゆる写真がすべて撮られてしまったとは思っていません。このレベルでさえも、まだまだ撮られていないものがあるような気がします。

それでも人々の多くが、世の中のあらゆるものが撮られてしまったんだと信じてやまない。僕はそのことに対してちょっと釈然としない部分があります。なぜみんな、そう思うのでしょう。確かに一見そういう風には見えるけど、ひょっとしたらそうじゃないんじゃないかなと僕は思うんです。実際はどうなんですかね。19世紀と比べたら、確かに全然撮られてしまったとは思いますけどね。

あと写真家が探検家かどうかという点ですが、実は僕は内面のために写真を撮る人があんまり好きじゃないんです。「内面」というのはつまり自己概念なわけで。日本語で「内面」と言うと、心の内側とか、なんとなくぼんやりした美の感じ。でも「自己概念」と言うと、自分が自身に与えている何かで、それはその人だけで完結しているものですよね。それをテーマに据えることは、写真家として面白いことだと思いません。僕は、むしろ内面を形作る上で自分の外の世界の方が大事だと思うんです。だから僕はできるだけ外の世界を撮りたい。つまり、まだ見ていないものだったり、まだ僕たちが知らないもの、そういうのを扱っていきたいんです。

コメント

Instagram

人気記事

TABlogのそれぞれの記事は著者個人の文責によるものであり、その雇用主、Tokyo Art Beat、NPO法人GADAGOの見解、意向を示すものではありません。

All content on this site is © their respective owner(s).
Tokyo Art Beat (2004 - 2017) - About - Contact - Privacy - Terms of Use