公開日:2008年9月30日

横浜トリエンナーレ2008-パフォーマンスを中心に

作品にも会場の動線にも表れる強い身体性

ジョーン・ジョナス《ダンテをよむ》

3回目となる横浜トリエンナーレ。平面作品は少なく、映像やインスタレーション、パフォーマンス性の高い作品が多いのが特徴です。会期の前半、とくに最初の数日にパフォーマンスは集中しているので全体を網羅するのは物理的に不可能ですが、できるだけ多くの作品と対面しようと試みました。その中から数点、紹介したいと思います。

60年代後半から活躍する女性パフォーマー、ジョーン・ジョナスのインスタレーション《物の形、香りと手触り》を見た後に、パフォーマンス《ダンテをよむ》を体験できたのは有意義でした。録音された詩と映像と、目前の身体の動きがレイヤーになっていて、幻想的な気分に浸ったり、舞台じみていると感じました。このパフォーマンスを一番楽しんでいるのは、作家自身のように見えました。

インスタレーション作品は、神経衰弱だったドイツ美術史家、アビ・ヴァーブルグの旅に関する随筆に基づいており、《ダンテをよむ》はダンテの「神曲」に基づいています。ジョーン・ジョナスは、この2つは包括的な世界観を持っているという点でつながっていて、それは現在にも同じことが言えるのではないかと言っています。

そして世界的に有名な女性パフォーマーの1人、マリナ・アブラモヴィッチは体験型の作品《魂の手術台》です。観客は『服を脱いで手術台の上で一つの色を見ながら1時間寝る』というものです。しかし12日の内覧会では手術台に上がれたのに、13日の一般公開からは手術台に上がれなくなっていました。また上がれるようになっているといいですね。

笹本晃 with アルトゥーロ・ヴィディックのインスタレーション《Remembering modifying developing》では、モニターやカメラ、お玉がぶら下がっている中を、笹本晃がロープを引っ張ったりと大忙しに駆け回っていました。

マリナ・アブラモヴィッチ《魂の手術台》

笹本晃 with アルトゥーロ・ヴィディック《Remembering modifying developing》

展覧会全体のメインテーマは『タイムクレヴァス』なので、時間や空間を意識していています。総合ディレクターの水沢勉の言葉を借りると、時間の複雑な系が作る深淵を直視し、批判的な時間意識を覚醒させるような作品、作家がリストアップされています。

パフォーマンス性の高い作品群は、観客の空間や時間軸も影響します。勅使川原三郎の《時間の破片》は、割れたガラスの上で5時間も踊る、集中力や忍耐力の必要なパフォーマンスです。みる側にも緊張感が走ります。見ごたえのある作品です。しかし見る場所がとても狭く、観客は20名も入りません。ゆっくりと観る場所が用意されていません。

観客も緊張で応えたい素晴らしい作品なのに、初めて上野動物園に来たパンダを見せるように、スタッフの「移動してください」の声と共に身体を押されながらの数分間の鑑賞は、国際展にはふさわしくありません。私たちは作品を「確認」しに来たのではなく「観に」来たのです。それに観客の「気」をパフォーマーは感じます。パフォーマーのためにも、もう少し工夫してほしかったです。

田中泯の《場踊り》には、遭遇できませんでした。様々な「場」での踊りを観てきたので今回もゼヒと思いましたが、不定期に踊るその姿を目撃するこはできませんでした。身体の輪郭、筋肉のつきかた、肌の質感、それは踊り続けた人間のカタチをしています。10数年前から見続けていますが、これからも見続けたいダンサーの一人です。展示期間中はBankArt Studio NYKの横の小屋で資料が見れます。

勅使川原三郎《時間の破片》

キャメロン・ジェイミーの映像と灰野敬二のソロライブ

そして今までの横浜トリエンナーレと異なる、もう1つの点は会場が点在していることです。メイン会場は新港ピア・BankART Studio NYK・赤レンガ倉庫と、大きく3つに分かれています。その他に三溪園にも6つほど作品があり、横浜港大さん橋国際客船ターミナル・ランドマークプラザ・運河パークを合わせると全部で7ヶ所に作品が点在しています。

三溪園で行われているティノ・セガールの《Kiss》は日によってダンサーが変わりますが、美しいパフォーマンスです。男女2人のダンサーが、ゆっくりと抱き合いながら身体を移動させています。一部のスタッフから「三溪園にふさわしくない作品もある。」と聞きましたが、広い畳の間でゆっくりと抱き合うパフォーマンスは、美しい庭園に似合っています。

日常にあふれる、音の無いひっそりとした行為。しかし、その静けさは破られます。ダンサーが「ティノ・セガール、キス」と、抑揚無く叫びます。ダンサーの発する無表情な声に、平たい広告を見ていたようなハッとした気持ちにさせられました。

ティノ・セガールの作品は撮影禁止で、今までの作品もすべて記録に残していないそうです。目の前で起こったことだけが全て、の作品です。

赤レンガ倉庫で行われたキャメロン・ジェイミーと灰野敬二のパフォーマンスは、「いい音聞いた!」と興奮しました。キャメロン・ジェイミーは欧米文化をシニカルな視線で捉え続けた映像を流し、それにライブ音で灰野敬二が応えるというものでした。シニカルな映像は、はじめて見る私にも見慣れたものであるように思えました。この「見慣れた」感は、シニカルな視点で文化を捉えない作家の方が現在、少ないからかもしれませんし、映像が今の若い映像作家やVJの手法に沿っているために「すぐ理解」できてしまうからかもしれません。

一方で灰野敬二が出す音は、CDも持っているし、ライブにも何度か行ったことがあるにも関わらず、新鮮で感動的でした。慣れたノイズ音の進行、聞きなれた爆音のハウリングにも関わらず、その「場」に対して戦っていると言えばいいのか、存在を確認しているというのか、言い方はわかりませんが、とにかく「ここに在る」ような音を出していました。

キャメロン・ジェイミーは三溪園でも作品展示を行っていました。ひとりひとりがランプを持って観る、面白い展示方法でした。(事情により参加をとりやめています)

今回私は4日間、横浜トリエンナーレに訪れました。会場は1日ではまわりきれないような動線を作っていて、1つの作品を鑑賞するには多くの時間が必要だったからです。観客には作品と対話する能力よりも、効率的に移動できる高い身体性や時間・空間の処理能力、情報収集能力を求められているようでした。

yumisong

ふにゃこふにゃお。現代芸術家、ディレクター、ライター。 自分が育った地域へ影響を返すパフォーマンス《うまれっぱなし!》から活動を開始し、2004年頃からは表現形式をインスタレーションへと変えていく。 インスタレーションとしては、誰にでもどこにでも起こる抽象的な物語として父と自身の記憶を交差させたインスタレーション《It Can’t Happen Here》(2013,ユミソン展,中京大学アートギャラリーC・スクエア,愛知県)や、人々の記憶のズレを追った街中を使ったバスツアー《哲学者の部屋》(2011,中之条ビエンナーレ,群馬県)、思い出をきっかけに物質から立ち現れる「存在」を扱ったお茶会《かみさまをつくる》(2012,信楽アクト,滋賀県)などがある。 企画としては、英国領北アイルランドにて《When The Wind Blows 風が吹くとき》展の共同キュレータ、福島県福島市にて《土湯アラフドアートアニュアル2013》《アラフドアートアニュアル2014》の総合ディレクタ、東海道の宿場町を中心とした《富士の山ビエンナーレ2014》キュレータ、宮城県栗駒市に位置する《風の沢ミュージアム》のディレクタ等を務める。 → <a href="http://yumisong.net">http://yumisong.net</a>