レンズの中の幻影

志賀理江子さんの写真は、脳裏に焼きつくような不気味な世界観を映し出しています。今回は、その志賀さんにコミュニケーション、時間、そして死について語っていただきました。

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「トレース・エレメンツ -日豪の写真メディアにおける精神と記憶」展

新宿エリアにある
東京オペラシティ アートギャラリーにて
このイベントは終了しました。 - (2008-07-19 - 2008-10-13)

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「オン・ユア・ボディ」展

恵比寿、代官山エリアにある
東京都写真美術館にて
このイベントは終了しました。 - (2008-10-18 - 2008-12-07)

In Main Article 3 インタビュー by Ashley Rawlings 2008-10-28

2004年にチェルシー美術大学を卒業後、志賀理江子さんは、ロンドンにいた5年間で「Jacques saw me tomorrow morning」(2003―04年)、「Damien Court」(2004―05年)、そして「Lilly」(2005年)の3作を発表。その後、2006年には日豪交流年の一貫としてブリズベンと仙台で各6ヶ月間のレジデンス制作を経験。この期間に制作された作品シリーズ「Canary」は国際交流基金が運営し、オーストラリアのギャラリーや美術館で開催された「Rapt! 20 Contemporary Artists from Japan」という展示会と、仙台メディアテークで開催された「Re: search, Art Collaboration between Australia and Japan」で展示されました。

今年、ロンドンで制作した上記の3作シリーズが「Lilly」、さらにブリズベンと仙台の作品シリーズは「Canary」という写真集として発表され、4月にはその両方が第33回木村伊兵衛写真賞を受賞。作品に関しては、先月まで東京オペラシティアートギャラリーで開催されていた「トレース・エレメンツ – 日豪の写真メディアにおける精神と記憶」展で展示され、現在は12月7日まで開催される東京都写真美術館の「オン・ユア・ボディ」展にて展示中です。

志賀理江子 「Jacques saw me tomorrow morning」(2003)

長い間ロンドンに住んでいましたね。日本を旅立ってイギリスへ移住するきっかけは何でしたか?

写真を始めた時期に視野を広げるためにと薦めてくれた人がいて、ヨーロッパへ一人旅をしました。その際に2日間だけロンドンに滞在して、美術館やギャラリーを見たりするうちに、写真だけでなくもっと総合的な芸術の中に写真というものがあり、その広い分野にわたって写真の表現が学べるアート大学の存在を知りました。一時期、日本の写真の学校にも通っていましたが、やはり写真の中だけの話になりがちで窮屈になったからやめたんです。その時に心残りになっていたロンドンで知った大学にいってみようと思ったのがきっかけです。

チェルシー美術大学に在籍していたにも関わらず、実際はほとんどの作品をサウスロンドン、それからイーストロンドンの自宅で制作したようですね。なぜ大学のスタジオよりも自分のアパートで制作活動をしたのでしょうか?

大学は大学で色々な人がいて、色々なことをやっていて、刺激を受ける場所でしたが、完全にプライベートなスタジオはなく、それが自分には合ってなかったんです。色々な人の作品を見ながら自分の作品を作るというのと、やはり自分のみと向き合って作品を作るというのでは大分違って、私には後者の方が向いていたのだと思います。とにかく家や外で作品を制作して、大学には作品を持ち込んでディスカッションして、と分けた方が断然良かったんです。

志賀理江子 「Irana's String」(2004)

ロンドンでの生活は作品作りをどのように影響しましたか?

それはやはり「Lilly」とか、それまでの作品に表れていますが、イギリスでの生活に関して、最初はやはり人とどのようにしてコミュニケーションをとったらよいかが問題でした。つまり、自分が一人になろうと思えば、いつでもそうすることができる。“今私は一人で、どこか分からない場所にいる”ということを思い知らされました。日本にいれば近くに家族や友達もいます。でもロンドンで大学一年生の時は英語もよくわからないし、本当に自分と向き合うしかなかった。例えばイギリス的な皮肉な冗談とかを理解できなくてストレートに受け取ってしまい混・垂オたり。そのせいもあってイギリスは未だに私にとって結構厳しい場所ではありますね。本当に溶け込むのに時間がかかる場所です。“私”と“あなた”というのがこんなにも離れていて、みんながすごく個人主義で。それはある意味すごく大人びているんですけど、そういうのが私にはできなかったですね、最初は。そういう経験もあって、本当に一人で暗く自分と向き合いました。そういう経験から、自分で撮った写真をもう一度再撮する手法、写した被写体を完全にフィクショナルな人物にするというような、被写体と自分との関係を探っていたのかもしれません。

被写体は誰ですか? どのように知り合いましたか?

身近にいる人を被写体にするしかないので、一緒に住んでいた人達、友人、あと道で会った人、とにかく自分の手の届く人です。道端で人を待ち続けて、声をかけ続けたり。少し乱暴なコミュニケーションの取り方でしたが。

志賀理江子 「Jacques」(2003)

ロンドンで初めて本格的に制作した作品集が「Jacques saw me tomorrow morning」ですが、ジャックとは誰なのでしょうか?

まあ、アシュレイはよく知ってると思いますけど(笑)、ジャックは一緒に住んでいたフラットメイトで、私とは国も違う、性別も違う、世代も違う、性格も全く違うという人でした。他人と同じ家に住むフラットシェアというシステム自体驚きで。彼はそれこそ本当にゴーストのような存在で。昼間何をやってるかもわからないし、そんな彼と同じ家に住んでいるということがとてつもなく不思議で、同時に怖かった。彼を被写体として写真を撮らせてもらい、少しづつ知っていったというか。

志賀理江子 「Piano 3」(1999)志賀理江子 「Piano 4」(1999)

志賀さんの作品は私が出会った頃から随分変化しています。「Piano」のシリーズではとても遊び心があり、陽気で幻想的な写真でしたが、「Jacques saw me tomorrow morning」以降の「Damien Court」と「Lilly」ではロンドン社会における不安感が現れている気がします。撮影当時、被写体の人との接し方も変わりつつあったようですが、志賀さん自身はこの頃の変化をどのように捉えていますか?

基本的には何も変わってはいません。ただ唯一変わったのは写真の撮り方。あと人との関わり方。最初は身の周りの人に声をかけていましたが、結局自分が直接選んでいるから好みが働いて想定内のものになる。なので、次第に、例えば“このアパートの人達全員”という風に枠を自分で決めて、そこで絶対自分は全員撮らなければいけないというノルマを課せば、そのことによって強制的にコミュニケーションを取らなければいけないし予測不可能の展開が期待できるんです。つまり強い規律が一つ加わったという意味では、作品の構成が変わりました。そういったコミュニケーションの在り方として、写真を撮るまでのプロセスにおいてもう一つ別のプロセスが加わったわけですが、そのことによって自分の知らない他人とももっと関わっていくようになりました。友達や一緒に住んでる人だけじゃなくて、例えば3階に住んでいる○○さんとか、あまり顔すら見たことが無い人の写真を絶対撮らなきゃいけない。それはもっと大きな恐怖なわけです。とても難しいし、怖いけれども、それをどんどんやってくことが大事でした。やはりジャックとは同居人であるから、どこか安心した気持ちがあったはず。だから最初の頃の作品はどこか柔らかいものだったと思います。それがだんだん「Damien Court」とか「Lilly」になってくると、強烈に他人に対する恐怖がそのまま出ていたり、被写体からの“あなたを知らない”という冷たさとか、突然声をかけられて写真を撮られる恐怖、緊張感が出ているんでしょうね。

志賀理江子 「Tomlinson Close」(2005)

ロンドンの後、仙台とブリズベンでレジデンシーを経験したわけですが、各地域の人々とどのような方法でコミュニケーションを取りましたか?

仙台は元々プロジェクトのために行きました。初めて自分が大学生として日常生活する場所から外に出て、作品作りのためだけにその目的の場所に行くことへのきっかけでしたね。例えば先立つ企画やコンセプトが、依頼される側にもうすでにあるから、それに参加するために現地へ行ってレジデンスをしてとなると、仕事のようになってしまうんです。だからこそなお、そういう自分の立場を利用してさらに意識的に深く色々なコミュニティーに入り込んで制作する必要がありました。

まず最初に土地を知る為に行ったのが、地域の住民へのアンケートでした。住民の人たちが個人的に抱える土地の記憶を探るのが目的で、「あなたにとって一番明るい場所、暗い場所はどこですか」という質問をしました。その回答に書かれた場所をすべて地図に記していって実際に巡ることで、作品制作のロケーションハンティングのような感じになりました。そこから人との繋がりなど様々なことが生まれて、作品が紡がれていったんです。ストレートに撮られた写真もありますが、核になるものは構成写真。その点においても全く「Lilly」と違うところですが、そういう方法論を通・オて写真行為がどんどんパブリックになって、周りも巻き込むようになったんです。それが結果記録として残ったものが作品となって、すごく良かったと思います。

志賀理江子 「King」(2005)

レジデンシーを経験する前の作品は黒い背景に人間が空間に浮かんでいるような写真が多いのですが、今では人ではなく「場所」に焦点を置いている写真が多い気がします。写っている場所はどれも不思議だったり、ミステリアスな雰囲気がありますが、これらはどのように見つけて、どんな思い入れがあるのでしょうか?

場所の表立った特性はとくに大事ではないですが、逆に、その場所へたどり着くまでの様々な過程を通じて、ある感覚を追体験します。そういう事がどこか深い所でその土地の歴史とか社会とつながっていると思います。

頭の中で思い描いているイメージと、現実の撮影との関係性について教えてください。

最初に構成が出来上がる段階で、ある程度のイメージがありますが、それはただのスタートポイントでしかありません。それは例えば、「誰がどうなって、こうなった」というような物語に近く、そこをゼロとして、次に“アクション”が加わります。その場所にいる人があらかじめ構成された撮影現場にどう反応するかという即興演奏のようなものです。被写体と私と時間のアクションが混ざっていき、予測不可能のことが起こるのを皆で待つという感じです。

志賀理江子 「花穴」(2006)

例えば「花穴」だと、ロケーションハンティングの際にアンケートで“明るい場所”として回答されていたお彼岸があって、その光景が強烈だったんです。また、その場所にあったお寺の人に直接話を聞いたりしました。彼岸で墓に添えられた大量の花はその後ゴミとして捨てられるとのことで、それを全て回収させてもらう事になったんです。結局山に穴を掘って埋めたのですが、その過程のどのタイミングで写真に収めるかということは特に決めませんでした。最終的に「花の墓」という構成が出来上がったのですが、作品になったのは結局穴だけ掘った時点で撮った写真です。この場合、この時点が予測不可能な瞬間なわけです。そういうことがあるから、作品の最初の構成は予測不可能なことをわざと起こらせようとする装置であると思うんです。それと現実の関係と聞かれると、どう答えていいのかよくわかりませんが。

志賀理江子 「ボンボン会館」(2006)志賀理江子 「千愛子」(2006)

志賀さんの写真にはすごく不思議な現象が描かれています。これはデジタル処理などを施しているのでしょうか? フォトショップは使いますか?

フォトショップは一カ所だけ使いました。「Canary」の「ボンボン会館」という作品で男の人が鉄の椅子のようなものに寄っかかっていたんですけど、それはフォトショップで消しました。それ以外はCG的なものは使っていません。この中でも60作品のうち10枚ほどは再撮で作り上げている作品もあります。“カナリア”ではデジタルカメラのボディーを初めて買って、今まで使っていたレンズを引き継いで使いました。撮った写真が小さなモニターですぐに見れるから被写体になる人も安心するし、おもしろがって逆に提案をしてくれたりという風に、コミュニケーションがとりやすくなりました。

志賀理江子 「リタ」(2006)

最近2冊の本を発売したそうですね。

はい、「Canary」が新しい作品で、「Lilly」が昔の作品です。「Lilly」の方は5年間の作品をまとめたものです。その頃の写真から100点選び、昔のネガを探してきて、もう一回撮り直したりもしました。つまり解体して、再構成しています。だからアシュレイも知らないような作品もたくさん入っています。「Canary」の方は全部一年間で撮影したものです。全てが一年の間に起こった事なので、ものすごく生々しいし、私も予想がつかなかったものばかりです。自分でもまだ解釈しきれていないものも多々あります。特にこれらの場合は私がコミュニケー・Vョンをとって作品にしていくうちに、自分自身も渦の中に飲み込まれているので、「Lilly」はわりと外から客観的に見ていたという感じで、「Canary」は私そのものが中にいるという感じです。だから二つのそういった違いが出て良かったと思っています。

志賀理江子 「毛皮を着た人」(2006)

ブリズベンで生まれた作品は特にこういった生と死、そして性のテーマが現れているような気がします。これはオーストラリアで制作活動をしていくうえで得た影響なのでしょうか?

オーストラリアはもう土地そのものが“生”と“死”なんです。太陽とか地面とか風とか、動物とか、人間より強いものがたくさんありました。人間は本当に大したことがない、小さな存在で、絶対勝てないというか、ものすごい生命に囲まれている感じなんです。例えば少し郊外に出れば動物の骨がゴロゴロ転がってたりとか。それはやはり都会では見られないんですよ。だからそういう経験があって生理的に「生と死」を強く意識したんじゃないかと思います。死が身近にあって、変に守られていない生活だったのが強烈でした。

志賀理江子 「私の夫」(2006)

「私の夫」の巨大な頭蓋骨が特にそれを表していますね。志賀さんは全て写真を手動で制作しているとのことですが、この頭蓋骨は一体どうやって作ったのでしょうか?

オーストラリアでは太陽が何もかもを白骨化させるような強さで、日焼けとかそういう次元じゃなく、すぐ骨にまで光が届いて真っ白になってしまうというような感じなんです。このためにはリサーチのために科学博物館に行って動物の頭蓋骨をたくさん見て、更にほぼ同じものが道端にもたくさん落ちていたのでそれを観察しました。写真に写っているものに関しては、オーストラリアに生息する(人間を含めた)ほ乳類の頭蓋骨の形を組み合わせて、架空の頭蓋骨を作りました。発泡スチロールで土台を作って石膏で形を作っています。

この写真を撮るために一時的にスカルプチャー(彫刻)の世界に足を踏み入れたわけですね

そういう事は意識してないですが、始めに発泡スチロールの塊をそれなりの形にする為にナイフで格闘した時は、やり方も知らないしすごく難しかったです。でもどんどん形ができて骨になっていって、その行為がまるで魂を注ぎ込んでいるようでなれてないから逆に不器用で稚拙な行為に思えて、そういうのがよかったですね。

つまり、前に述べたように、写真を撮影するまでに至るプロセスや構成がいわばパフォーマンス、または“アクション”で、シャッターを押した瞬間に現実を越えた“何か”を捉えているんです。

写真に対してアクションを起こすというのはこういうことだと思います。この撮影は特に、そういった面において新鮮に感じました。それでも全部自分で仕組んだことなので、そういう意味ではやらせだし、嘘が本当になるというか嘘じゃないけど、反転するというか、矛盾なんです。写真によって全て現実にされてしまう。“生”が蘇ってしまう。撃っている(shoot)のではなく逆に撃たれている。その撃たれた自分の時間が写真で蘇生するんです。だから写真は永遠に生きる生の時間だと思うし、殺された時間ではありません。だとしたら、自分がそれに固執する意味も分かる気がします。

志賀理江子 「ドミニク」(2006)

最近、政府奨学金でまた一年間イギリスにいましたね。むこうではどのような活動をしていましたか?

写真集「カナリア」に載せた写真一枚一枚を言葉で検証する、という作業を行いました。「カナリア」に載せた写真のイメージは、それぞれが全く異なる社会的背景と物語が複雑に絡み合ってできているため、その事実を読み解かないと私自身先に進めなかったんです。大英図書館に通ったり、日本から本を取り寄せたりしてリサーチを行う日々でした。

現在は帰国し、しばらくは日本にいるようですが、今後はどのようなプロジェクトを予定していますか?

作品制作の拠点を宮城県に移して、新しいプロジェクトを行うために準備をしています。内容としては、写真集「カナリア」で行った撮影から、さらに奥へ進んだイメージの実験で、歴史や社会的背景などをも含めて深く学んでいけたら良いと思っています。

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