公開日:2009年3月20日

第3回シセイドウ アートエッグ 佐々木加奈子 展

箱舟の記憶

第3回 shiseido art egg 佐々木加奈子展会場風景 撮影:加藤健1950年代に沖縄からボリビアへと入植した人々がいた。過酷な自然状況や未知の病などの苦難につきあたりながらも、移民の人々は開墾を続け定住し、オキナワの名を冠する村ができた。

今回佐々木加奈子がモチーフに選んだのは、日本ではほとんど知られていないこのオキナワ村だ。オキナワ村のことをこの展覧会で初めて知った。「沖縄移民」という言葉は知っていた。そこから私が思い出したのは、せいぜい2008年の紅白歌合戦で、サンパウロに集まった日系移民2世3世の人々が、中継で結ばれたステージで「島唄」を歌う宮沢和史に情熱的な視線を送る様子などだ。

だから佐々木加奈子の作品を目にしたとき、そこで生活する日系の人々と、彼らが住むあまりにもエキゾチックな土地柄の様子にとても驚いた。

佐々木加奈子の作品は巨大な3面スクリーンの映像、大きな白いボートを用いたインスタレーション、いくつかの写真や映像などからなる。

壁を使った映像のインスタレーションでは、小学校の校舎とそこで戯れる子供たちの映像が流れる。シュロのような木、高原特有の透き通る青空。老朽化の進んだ校舎にはスペイン語と日本語の張り紙がしてある。パティオのような校庭から質素なつくりの教室にどこからともなく聞こえてくるのは三線の音、鍵盤ハモニカで奏でる日本の楽曲、日本語の話し声など。

会場中央の床に置かれたボートは、村上春樹が翻訳した絵本「西風号の冒険」に出てくるヨットみたいだ。すでにぼろぼろで、航海には耐えないだろう。船の中には小さな液晶が設置されていて、湖を漂う舟にたたずむ女性の映像が流れている。

奥のスペースには極めて静的な印象を受ける日系家族の様々なポートレイト。小さいこぎれいな額におさめられ、まるでコレクションのように壁にかけられている。互いに寄り添う日系の親子の静溢な表情と、ドアの外から室内へと流れ込んで来る熱帯の物憂げな空気の対比が、物語への想像力を掻き立て、初めて見たはずのイメージにどこか懐かしい胸騒ぎを生じさせている。

それから液晶の画面に、湖の沖を走っていく少女の映像。少女は多分、先ほどのボートの人物と同一人物。青黒い湖面と岩がちな背景にはためく少女の赤い服が印象的な作品だ。

興味深かったのはアーティストがジャーナリズムを学んでいたということだ。オキナワ村という存在をドキュメンタリーとして伝えるような視点のある展示だったように思う。大きな映像のインスタレーション作品を見て、遠く海を渡ってたどり着いた南米の、内陸のジャングルの中に、沖縄の文化がそのまま残っている事実に素直に驚いた。南米と沖縄。文化は交じり合い溶け合って、熱量のように安定してしまうということはない、ということだろうか。高原の国の中にぽつんと、奇跡のように存在している村、オキナワ。その小学校の音楽室で、無心に三線を練習する子供たちの背中を見ていると、沖縄の文化が今後も彼らによって受け継がれていくことが示唆されているようだ。

一方でドキュメンタリーに回収されきれないような写真と映像がある。日常的な空間にいながらも、タロットカードのようにシンボリックな所作で写る人々。舟を追いかけて(?)岸を駆けてくる少女と、水面をいつまでも漂うボートに乗った少女。子供たちの騒がしい声があふれる映像インスタレーションと異なる、静かなこれらのイメージは、これまでにあったであろうオキナワ村の開墾の苦難や、遠い故郷の人々との別れへの黙想を思わせるし、あるいは個別の事象、個別の人生の只中を生きながらも、人間全体のたどって来た道のりやその行き先を見届けようとする人々のまなざしを想起させもする。

遠い遠い、茫洋とした海の向こうの見知らぬ土地にいる、私たちの分身の存在に思いをはせる展覧会だった。
この展覧会と対を成す展示が、3月14日まで恵比寿 MA2Gallery でも行われている。そちらも是非見たいと思う。

萬 翔子

萬 翔子

1983年福井県生まれ。女子美術大学研究補助員。 愛知県立芸術大学と多摩美術大学大学院で芸術学を専攻し、シンディ・シャーマンやマリーナ・アブラモヴィッチの作品調査をもとに現代の表現と社会制度との関わりを研究する。