公開日:2009年11月19日

KOSHIKI ART PROJECT 2009

アートと島に、生きる。−文化とは、日々の暮らしである

遠藤一郎さんパフォーマンスの様子

この夏、鹿児島県西沖に浮かぶ甑島(こしきじま)に行ってきました。8/22-30に渡り開催されたKOSHIKI ART PROJECT 2009を体験するためです。このプロジェクトは、甑島出身のある青年、平嶺林太郎くんが、成人式で発表したマニフェストから端を発しているそうです。そのとき、平嶺君は、甑島をアートフェスティバルで盛り上げていくことを公約しました。私が彼になぜ甑島でこういうことをすることになったのか聞いたとき、彼は、「村長にもしなったとしたら、アートで島を盛り上げたい」と言っていたのが印象的でした。そういう個人的な思いと、アートプロジェクトが一緒になっているのが、とても面白いと思ったからです。また、大野智史や大田黒衣美、天野亨彦はじめ、私が今面白いと思うアーティストが、皆かつて甑島に行ったという。これは何かあるのでは、そう思って、時間をとって行ってきました。

甑島に着くなり、平嶺家の総会(大宴会)に呼ばれました。親戚一同、島の皆様が集まる宴会場で、アーティストの紹介がされる。島に向かいいれてもらう、家族の一員になる、そういうことからこのプロジェクトがはじまっているわけです。平嶺君からは、あらかじめ、「きちんと挨拶をすること、マナーをまもること」といった注意を必ずされます。東京から来た若者を代表して、お互いが気持ちよく暮らせるように心構えをする、社会の一員として認識する、そういった基本的なことを大切にしているのです。
アーティストはここに来て、まず島に慣れることから始めます。ホワイトキューブでの展示と違い、ここではあらかじめ強い自然や環境がある。その中でどんな表現をしたらよいのか、初めのプランから変わる場合も多く、自分を見つめるきっかけになるようです。
そして、プランが決まったら場所の交渉と材料の調達です。それらの進行にあたっては、林太郎くんのお姉さんの純子さんやご家族、甑島出身の茜さんはじめ、島のネットワークを駆使して、小学校に掛け合ったり、役所に行ったりと毎日本当に忙しくされていました。アーティストの要望にオーダーメイドで応えていくサービス精神には頭が下がりました。

アーティストにとっては、いつも用意されていたり、簡単に手に入ったりするものが手に入らないことを思い知らされます。甑島にはコンビニもないし(店は大抵7時までです)ネットも繋がりません(ISDNの電話回線のみです)。その中で、あるものでどう対応していくか、何が重要で必要なのかという選択を迫られるわけです。

私は甑島で、藤浩志さんとトークを行いました。それは、参加したアーティストに自己紹介をしていただきながら、制作の悩みを聞いたりする相談と交流の場にもなっていて、観光案内所の座敷で、「甑MOYAI塾」の一環として行われました。

青木真莉子さん展示の様子
青木真莉子さんは、トトロの森のような絶好のスポットにある倉庫を発見して、そこで制作を始め、ペンキを使うことになったりしたことで普段使用している絵の具のことを再認識したとそうです。出来上がった作品には、甑島の特別な日がたくさん盛り込まれ、今回また一つジャンプしていたように思いました。

森健太郎さん展示の様子
原田賢幸さん展示の様子


同様、森健太郎さんは、空き家を、甑島の暮らしでよく使われている網を用いてひたすら家屋を包んでいましたが、ロープをキロ買いしても手に入れづらい状況でも、最後までねばりづよく制作に取り組んでいました。

原田賢幸さんは、元々予定していた映像やセンサーを使うことをやめ、改めて土地のリサーチから始めました。最終的には漂流物を集めて船を作り、そこに独自の照明や音を付けて、展示を行いました。展示空間に庭を使って、毎日暑い中漂流物を分類し、それらを繋ぎ合わせていた様子が印象的でした。

新井李奈さんは、想定していたことができた幸運な一人です。道路に面した元々駐車場だったスペースで、通りがかる人とのコミュニケーションを日々楽しみながら、甑島を囲んでいる石垣に用いる玉石(たまいし)をモチーフにして制作していました。山口礼子さん、林紀子さん、聞谷洋子さんは元々ユニットで参加する予定が、甑島にきて、それぞれが制作したくなったということで、個々人で参加していました。当初はスタッフとして参加していた別府正一郎さんも、プロジェクトがスタートするとアーティストとして参加したいと申し出、アーティストとして作品を残していきました。このような柔軟さがこのプロジェクトのいいところです。

また、このプロジェクトには何度目かの参加になるアーティストもいました。鈴木知佳さんは、海に落ちているプラスティックのゴミを粉々にして色粉を作って、「玉石」を制作していました。

狩野仁美さんも、3回目の参加でした。イカ釣り漁船に乗ったり、浜から砂を集めて来たりと、あらかじめ何をここで行うかを考えてきていて、とてもいい制作活動をしていました。

1回目の参加では甑島の原生林を描いた大野智史さんは、今回は、自分の原生林を持ち込み、5年経った形を、甑島で見せるという作品に取り組んでいました。これは《GATE》という作品に結実していまし。この地で再び原生林の前に立ったときの厳かな気持ち、立ち入るのに覚悟が必要な雰囲気を、原点に戻って見せていました。甑島の砂を用いたインスタレーションもとてもよかったです。

パラモデルさん展示の様子
この様々なアーティストの中で、気合いの入った制作をしていたのは、今回初めての参加になるパラモデルの林泰彦さんと、遠藤一郎さんです。

パラモデルの林さんは、誰より早く甑島入りし、朝から夜中まで毎日何人かと倉庫で制作されていました。甑島では新たに平面作品に取り組んでいました。3×6の倍数を、”ユニット”として考える方法で平面を拡張して行くという試みでした。甑島の自然があふれるに風景に重機がたくさん入っている様子がとても面白いものを見いだしていました。展示スペースでも、クレーンを展示したりと、パラモデルならではの空間構成を見せてくれました。

遠藤一郎さんは、甑島の島民の皆さんに夢を書いてもらった凧を繋げて連凧にし、毎日空に飛ばしていました。これまで出会った人を「未来へ号」を通して繋いできたことを、凧に託して空に上げて、島民の方が思いを共有できるようにしている光景は、とてもよいものでした。最終日に開催された凧祭では、全長300mもの大きな凧が空に上げられ、その様子は圧巻でした。その連凧や写真は、島に入ってすぐの甑島館にも展示されました。

まだまだ全ての参加アーティストを網羅できないのですが2回目の「甑MOYAI塾」では、私がアーティストへのインタビューを行い、私の甑島滞在は、さらにとても充実したものになりました。このアートプロジェクトでは他にも、音楽祭や、「玉石」づくりを体験する「たまいしプロジェクト」など、島の文化をいかしたプログラムが組まれました。それらを通して、あるいは暮らしの中での交流を通して、自分が表現することの責任や意味をアーティストは考えることになるのです。

そして、アーティストだけではなく、島民の皆様にも気持ちの変化が訪れたそうです。これまで田んぼにさらしっぱなしだったカカシにバリエーションが生まれたり、ふきさらしになっていた神社の鳥居がきれいに手入れされたり、もう踊られなくなった盆踊りを復活させようという動きが生まれ、ものをつくる喜び、古いものを大切にする気持ちが戻ってきたといいます。これはアーティストたちの若いエネルギーにより、アートで地域を変えることができるとてもいい例ではないでしょうか。

海があり、山があり、人がいる、その関係の中で、どのような表現をしていくのか。どのように繋げていくことができるのか。このような基本的なことを考え直すとてもいい機会でした。私自身も、島に住み、島民の皆様やアーティストの皆とふれあう中で、アートとまた改めて真っ正面から向き合い、それをどう伝えて行くのか、表現者をどうサポートしていけるのか、考えるいい機会になりました。

アートは、アートのためにあるのではなく、人々の暮らしのためにあると思います。もう一度、アートがなぜ今の世の中で必要か、生きる事とどう関わっているか考えなおす必要を感じます。そして私にとってアートは光であり希望。人として生きるのに必要なものです。特に世の中の変化が起こっている今、表現が伝わる事が必要だと思っています。

ぜひ、来年の夏は、甑島を体験して下さい。そうして、思いもよらないいい連鎖が生まれることを期待して。
本当にありがとうございました!

遠藤一郎さん連凧の様子

Haruka Ito

Haruka Ito

1979 年生まれ。magical, ARTROOMディレクターを経て、<a href="http://www.islandjapan.com">island</a>を2010年1月よりスタート。 展覧会の企画開催、アートフェアへの出展、MAGなどの本やCDの編集出版や『magical, TV』などのイベント企画、作家のマネジメントなど時に応じてやってきました。『ART AWARD TOKYO』や『THE ECHO』『BEAMING ARTS』の運営、『101 TOKYO』にもクリエイティブディレクターとして携わりました。