「豊島区在住アトレウス家」

ギリシャ悲劇の一家を手がかりに〈まち〉をみる演劇

In 特集記事 by 東京文化発信プロジェクト 2012-03-31


墨田区から引っ越してきた「豊島区在住アトレウス家」

アトレウス一家より「墨田区から引っ越しします」という葉書をもらったのは2011年 4月のことだった。アトレウス家とはギリシャ悲劇に登場する一家で、それが向島にある古い民家に暮らしていたという突拍子もない設定で、前年からアートプロジェクトが行われていたのだった。その一家が、「見えない戦争」が始まって、公共施設に引っ越してきたという。あたらしい住居は、池袋の南、豊島区の雑司が谷駅に直結した区民施設、千登世橋教育文化センターだ。そこが演劇作品「豊島区在住アトレウス家」の舞台となった。2010年度の「墨田区在住アトレウス家」に続くシリーズとして昨2011年9月、文化センター内のとしまアートステーション「Z」を会場に行われた。


彼らの新しい家は、仮設宿泊施設のように設えられていて、受付にいくと一本の鍵を渡され迎え入れられた。漫画喫茶で見たことがあるような、ブース番号が場所ごとにふられた地図を確認して、自分の番号が書かれた部屋へ移動する。向かった先は、「工作室」とドアに札がかけられた部屋だった。机に、画板を立てかけて、うえから天蓋をかけたベッドが部屋の中に点在している。この部屋にある備え付けのものを有り合わせて設えたようだ。

部屋の種類はほかにもあるらしい。この公共施設の中で、工作室や会議室など区民が利用するために設けられている部屋が、日替わりでアトレウス一家のために割り当てられていて、アトレウス家に訪れた観客は、習い事や趣味を楽しむ地域の利用者と一緒に、この建物の中で同じ時間を過ごす。でも、その傍ら、観客にだけは、フィクションの時間軸の中で、月に一度(という設定で)映画鑑賞会が行われていたり、飲み物やカップヌードルを自由に食べることができるカフェスペースもあり、与えられた時間を自分の好きなように過ごすことができる。

「むかしむかし、あるところに、エレクトラという娘がいました。」
施設の中には、その書き出しではじまる小さなテキストブックが、床やベンチの上に置かれていて、さまざまなシーンが書かれている。部屋の中にはブランケットと枕、灯りが用意された寝床が並べられている。自分のブース番号を確認し、テキストブックを手に取って、シートに寝転んだりして読む。テキストブックは何十種類もあって、短い一節はどれも〈つづく〉で終わる。順番に手に取って読むのだけれど、そのつづきも、結末が書かれたブックも見当たらない。

エレクトラとはアトレウス家の娘の名前だ。原作の舞台は、3200年以上前にさかのぼる。一家の長である父アガメムノンはトロイア戦争へ行ってしまい家を不在にし、その間に母は、愛人を自分の家に連れ込んで家族と同居させて、アトレウス家はドロドロとした愛憎の家族関係にある。その一家の物語が、この公共施設にインストールされている。トロイア戦争も、テキストブックでは〈見えない戦争〉とだけ呼ばれている(この言葉は『社会の喪失』(市村弘正・杉田敦、中公新書)という本からとられていて、原発や薬害、年間3万件を超える自殺問題など、平時においてすでに戦争状態を生きている、という認識にもとづく。)

「夕方になると広場の階段をのぼって、ひらけたところに出ます。」と書かれたテキストブックの中の場面があるのだが、ブースを出て、外に開けた吹き抜けホールに佇む女性が、エレクトラのように見え、この建物全体が舞台になって空間、時間が動き出していることに気がつく。この建物の中に散りばめられた役者の存在は、台詞があるわけでもなくとてもさりげないものだ。訪問者たちは、ギリシャ悲劇に登場する家族のことを想像しながら公共施設の中で暮らすことをシミュレーションしていく。

 
ギリシャ悲劇の一家の物語を手がかりに、家やまちを再発見していく
「彼らが暮らしたまちと思ってみると想像が働くんじゃないか」

この演劇シリーズを中心となって手がけるのは、ドラマトゥルクの長島確だ。昨年度は「墨田区在住アトレウス家」として、向島で古い日本家屋を一棟まるごと舞台にして作品を制作した。〈まち〉や〈家〉をどのように普段みているのか/どうやってみていくかという問いに、プロの俳優と東京藝術大学、日本大学の学生ら10数名で構成されるメンバーで長期にわたり、4部作の公演を制作した。(実際には3部と4部をまとめたPart3×4は、2011年3月に開催される予定だったが直前に東日本大震災が起こり上演されなかった。)

「演劇とは、フィクションと現実が両方混ざるもの」と長島はいう。
「日本人なのにハムレットをやったって、ウソじゃんと突っ込みどころは満載だけど、フィクションと現実を二重写しにして同時にみられるのが演劇。ウソを承知で、(ギリシャ悲劇の一家が、東京に住んでいたという)フィクションを通して回り道をすることで見えてくるもの、想像するもの、感じられるものがある。」

建物というフィジカルな物体を通して、どのような暮らしがあって、悲劇が起こったのかギリシャ悲劇の家族を手がかりにして読み解いていくと、想像力が広がっていく。母とその愛人の住む家で、殺された父の復習を誓いながら閉じ込められて暮らす娘、エレクトラ。家の納屋をエレクトラが閉じ込められていた場所とすると、そこから想像力が広がっていく。例えば墨田区の旧アトレウス家の台所の柱に残った子どもたちが背比べした古い傷は、エレクトラ姉妹のものだろうか——など。

2011年3月に中止になった作品では、アトレウスの家を出て、まちを歩く作品を予定していたという。地震が起こったその日は向島で稽古をしていた。その夜、首都圏の交通網は麻痺し、帰宅の電車が動かない中、多くの帰宅難民が道路にあふれていた。歩いて帰る自宅までの長い家路の途中では、小学校や区民センターなど公共施設が開放されていて、避難所となって歩き疲れた人々に水や食べ物を提供し冷えきったからだをあたためた。その光景は5日後に本番公演を控えた長島の頭に強い印象を残し、つづく「豊島区在住アトレウス家」ではより「住まい」や「居場所」について、そして公共の場所について問いかけることとなった。アトレウス家を通して見つめた日常の時間と空間——震災以後、私たちの日常がある日一瞬でぐらつくことを経験したわけだが、会場をあとにして日常を確かめたときの幸福感は、場所の上に記憶されていてまた再生をはじめる。

 

豊島区在住アトレウス家 ウェブサイト
http://thoa.gr/

関連プログラム
移動型コミュニティラジオ「AtreusTune」
http://thoa.gr/projects/toshima-ku/atreustune

作品やプロジェクトの〈構造〉を考える人材育成プログラム「アトレウスの学校」
http://thoa.gr/projects/toshima-ku/seminar

 

TABlogライター:吉岡理恵 富山生まれ。アートプロデューサーのアシスタントを経て、フリーランサー。展覧会企画、ウェブを中心に、エディター、ライターとして活動。他の記事>>

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