『リアリティのダンス』プレミアム上映会

巨匠アレハンドロ・ホドロフスキー監督による23年ぶりの新作

In レビュー by yumisong 2014-05-08

Jodorowsky

アンダーグラウンドシネマの巨匠と言われるアレハンドロ・ホドロフスキー監督の23年ぶりの新作と聞けば、当時の血みどろで不条理でフリークスが総出演する場面を思い出す人もいるかも知れない。しかし『リアリティのダンス』の映像はそれらとは様相を異にしている。監督の幼少期を綴った自伝的映画。ロシア系ユダヤ人としてチリに移住した彼を待ち受けていたのは、イジメと虐待。そして夢想と思索の日々……。

ホドロフスキーに限らず、幼少期の世界を形作るのは家族や友人との生活。家族、つまり自分を支配する絶対的な大人からいかに愛を得ようとしたか…と書き進めると、幼少期のロマンチックな回想映画になってしまう。しかし『ホーリー・マウンテン』を制作したホドロフスキー監督は、この映画を映画の構造の中に閉じ込めることも家族の枠組みの中に閉じ込めることもしなかった。

この映画にはホドロフスキー監督の息子たちや妻がキャストや音楽、衣装として起用されており、ホドロフスキー一家は総出で制作にあたっている。アレハンドロの息子が父を演じ、子を殴る。そこでは映画というトリックを使うことで、ありえない反転現象がおこる。象徴としての父の皮をかぶった息子が、子どもの皮をかぶった父を殴る。父として子を殴りながら、子として父を殴ることが同時に起こるのだ。

その象徴を交換した二重性は、見ている者に新たな疑問を抱かせる。映画の中にしろ現実にしろ、どの時間軸を生きても、父であろうと子であろうと、役割としての性に縛られていることにこの映画は気づかせてくれるからだ。その炙りだされた役割の奥には何が残されているのか。

私たちは時間という鎖に自分を縛っても、役割としての性から開放されることは不可能なのか。それは父や子という単位だけではなく、国民という単位でも問題は変わらない。共産主義者の父は、国家を愛する国民としての大義を果たすために妻と子を残して家をでる。それは図らずも魂の旅となり、彼は父や国民という単位の奥の何かに苦しめられ、助けられ生きていく。

父の魂の旅は、彼の代表作『エル・トポ』の哲学を彷彿とさせる。映画監督としてのアレハンドロは、象徴としての父に魂の旅をさせる。父を演じる息子に魂の旅をさせる。その旅はアレハンドロの魂が投影されている。ホドロフスキー家の三世代に渡る人々が同時に旅をする。アレハンドロは映画を撮影することで父を知り、彼自身も旅ができる。私たちはそれを鑑賞する。

アレハンドロ・ホドロフスキーは2014年4月22日に行われたプレミアム上映の後の挨拶で、映画のことについては多くは話したくない、見ている人たちがそれぞれ感じてほしいからだと述べた。その一方で、個人と全体の役割りについてどのように考えるに至ったかを自身の回想から述べていた。彼は人生の目的と人類の目的が同じになれば、人生が変わると述べている。

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映画上映後に観客に語るホドロフスキー

“私は、ホーリー・マウンテン撮影後に暮らしていたメキシコを追われ、ニューヨークに移住しました。死の恐怖を味わい、移住しても寝付けず、中国の賢者を尋ねました。賢者は美しい老人で、武術や詩などいろいろなことを知っていました。その人は私の脈をとり、私を見て言いました。

「あなたの人生の目的はなんなのか。」
「私は哲学を教えて欲しいのではなくて、この恐ろしい状態を治してほしいのです。」
「人生の目的がなければあなたを癒やすことはできない。」

私は初めて考え始めました。人生の目的とはなにか。ホーリー・マウンテンが成功することなのか。金持ちになることなのか。理想の愛をみつけることなのか。何が目的なのかが私にはわかりませんでしたが、その答えが見つかった時に私の人生が変わったのです。答えを見つけたことは、全て私の思考の産物です。

私は個人で人生は私のものですが、人生が何かということはわからない。人生そのものの目的が何なのかという問いと、私の人生の目的が何なのかという問いは、同じ問いではありません。自分の人生の目的は何なのか問う時、良くも悪くも人はエゴイストになります。だったら、私ではなく私たちの人生の目的は何かを問う方がいいのではないか。なぜかといえば、私は集団でもあるからです。私は文化であり歴史であり、家族であるからです。

人類の目的は何なのか。それは私の人生の目的と同じなのか。私自身の人生の目的と、人類の目的を同じようにとらえた時、幸福とは何かを考えるられるようになりました。私とあなた、集団的というものを考えている間はまだ、その間に差があるわけです。

私は大きな好奇心がありますが、全てを知ることはできません。全てを認知することもできません。でも人類がいつか私の知りたかったことを知るし、それをみんなが知ることになるでしょう。私は死にますが、人類は不死です。

私の目的は何なのか。私の考えは正しいのか。全てが変わっている時に、変化している時にどうして私の思考が正しいと言えるのか。私の目的はなんなのか。それは私の意識を広げることです。”

今日の映画のあり方に多大な影響を与えたと言われるアレハンドロ・ホドロフスキー。詩的で残酷な映像と、意識の拡張を試みた『リアリティのダンス』は私たちに様々な問いを投げかける。

映画『リアリティのダンス』の上映情報などは公式サイトをチェック。
http://www.uplink.co.jp/dance/

yumisong

yumisong. ふにゃこふにゃお。現代芸術家、ディレクター、ライター。 自分が育った地域へ影響を返すパフォーマンス《うまれっぱなし!》から活動を開始し、2004年頃からは表現形式をインスタレーションへと変えていく。 インスタレーションとしては、誰にでもどこにでも起こる抽象的な物語として父と自身の記憶を交差させたインスタレーション《It Can’t Happen Here》(2013,ユミソン展,中京大学アートギャラリーC・スクエア,愛知県)や、人々の記憶のズレを追った街中を使ったバスツアー《哲学者の部屋》(2011,中之条ビエンナーレ,群馬県)、思い出をきっかけに物質から立ち現れる「存在」を扱ったお茶会《かみさまをつくる》(2012,信楽アクト,滋賀県)などがある。 企画としては、英国領北アイルランドにて《When The Wind Blows 風が吹くとき》展の共同キュレータ、福島県福島市にて《土湯アラフドアートアニュアル2013》《アラフドアートアニュアル2014》の総合ディレクタ、東海道の宿場町を中心とした《富士の山ビエンナーレ2014》キュレータ、宮城県栗駒市に位置する《風の沢ミュージアム》のディレクタ等を務める。 → http://yumisong.net ≫ 他の記事

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